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〜 会津磐梯山に登りました! 〜

08’9 「会津磐梯山」紀行

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〜08’9・・会津磐梯山 (1819m)&安達太良山 (1700m)登山紀行〜

★ 自然公園ふれあい全国大会&道中記へ・・・ 2008/8/29〜9/2

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9月1日・・・晴れ

(其の一)・・・会津磐梯山 (1819m)・・・

八方台登山口⇒弘法清水⇒磐梯山々頂⇒(往路を下山)⇒八方台登山口

 自然公園ふれあい全国大会の表彰式に出席後、序にといっては会津の山に申し訳ないが、出発前から1、会津駒ケ岳(2133m) 2、会津磐梯山(1819m) 3、妻が希望した安達太良山(1700m)の三山を登らせて頂こうと計画していた…。

 ところが、あちらこちらで集中豪雨が発生し、式典会場の檜枝岐村(ヒノエマタムラ)周辺でも、29日の夜から激しい雷雨で、30日の大会開催中は昼間こそ小康状態だったが、夕方から又、土砂降りになり、31日の午前中まで降り続いたので計画を変更し、会津駒ケ岳をキャンセルし、31日のお昼ごろ檜枝岐村を出て会津若松から磐梯山へ向かった。

 会津若松市内で借りたレンタカーで休暇村裏磐梯キャンプ場に31日の夕方チェックインし、9月1日の磐梯山登山に備えた…。  当初はマイカーでと思っていたが、環境省主催の大会でもあるので温暖化防止の一環としてマイカー自粛だったので、公共機関を使っての移動となり、嵩張るテントや寝袋は持参しなかったので、キャンプ場常設テントのお世話になり、持っている衣服を重ね着して寝んだが、夜中に寒さで何度も目が覚めてウトウトしながら朝を迎えた…

 4時半ごろ起床しテントの外に出ると、キャンプ場一面は淡い霧の中に沈んでいた。高床式のテントの入口に腰掛け、コンロでお湯を沸かしコンビニ弁当の朝食を済ませ、5時20分ごろ、霧が晴れて明るくなってきたキャンプ場を後に登山口の八方台へ向かった。

 民謡で有名な磐梯山は、深田久弥氏が書いた日本100名山の一つで別名「会津富士」とも呼ばれる秀峰で、有史以来何度も爆発を繰り返し、特に明治21年の大爆発は、主峰と同じぐらいの高さだった小磐梯山を吹き飛ばし、崩落土石が北麓の集落を襲い多数の死傷者を出した悲劇の山でもある。

 山頂へは、夫々の方向から6つの登山口があり、今回、我々が登る八方台コースは山頂まで比高差が約600米しかない、往復4時間弱の一番のお手軽コースだ。

 檜原湖サイトのキャンプ場から有料道路の「磐梯ゴールドライン」(我々が利用した5時半ごろは係員が不在で無料だった!)を走り、標高1193mの八方台登山口の駐車場に5時55分ごろ着いた。

 広い駐車場は夏休み明けの平日という事もあって2台のマイカーが留っているだけだった。レンタカーから登山道具を取り出し出発準備を済ませ、登山届を記入していると…ドコ・ドコ・ドコ・・と重々しい排気音をたてて大型バイク(後で判ったが1450tのハーレーダビッドソン)が這入って来た。

 ライダーは半袖Tシャツ1枚だけの元気の良いオッチャンで、私が、寒くないですか?と訊くと「いやー寒うない丁度良か」と笑われた…。何処からですか?と尋ねると「熊本からです」に吃驚!「私たちは博多からですタイ」とお互いに打解け、九州訛りで話が弾んだ。

 話によると昨日は大雨の中、安達太良山に登ったそうで、8月6日に熊本は八代の自宅を出て、北海道の山を巡って、東北の山をハシゴしているそうで、明日から2泊の予定で飯豊連峰に登って1カ月振りに帰宅するとか…。

 着替えなどしているライダーマンさんに先で一緒になりましょうと、6時13分に駐車場を後に道路を横切り「クマ出没」の看板のある登山口から山道に這入った。  登山口の入口には、国立公園内にある磐梯山の自然保護のデータ集積のため、太陽電池を電源にした赤外線カウンターが設置してあり、入下山者の数を掌握してオーバーユースによる、自然環境破壊に備えていた。

 私が、是まで入山した山でカウンターの設置してある山は、尾瀬の燧岳に登った時だけで、今後、地球規模での温暖化防止が叫ばれる中では、こういった地道な作業も温暖化防止の為にはささやかだが必至条件の一つだろう。

 山道に這入って直ぐに山の神が祀ってあった。安全とお天気をお祈りし、標高1300米位にある中の湯と呼ばれる場所までは、傾斜も緩やかな車が通れるほどの山道(多分、昔、温泉宿が盛んな頃は車で荷物を運ぶのに使ったのでは?)を、木立の合い間から洩れる朝の光を浴びて登って行った。

 登山口を出て直ぐに熊本のライダーマンさんが追い付いて来られたので、私は、カーちゃん連れですので遅いから先に行ってくださいと言うと、「イヤー、そげん急いで登らんでも良かです。一緒に登りまっしょ」…で、山頂までご一緒した。

 6時35分ごろ地面からブクブク温水が湧き出る硫黄の匂いの強い中の湯の前に出た。廃屋になった温泉宿の建物が池の向こうに侘しげに建っていて、前方頭上には磐梯山が三角形の頭を覗かせ、早くおいでと呼びかけているようだった。

 湿地帯につけられた夜露に濡れて滑る木道を渡って、赤茶けた火山土の露出した山道を少し登ると、裏磐梯登山口から来た道の合流点で、6時43分だった。   夏から秋にかけての端境期の山は咲く花の数も少なく、かといって紅葉にはまだ早すぎるし…そんな淋しい中にあって、薄紅色した山アジサイや、アザミの花が目を楽しませてくれた。

 標高が高くなってくると樹林の隙間から下界 の景色が見え始め、雲海を纏った会津の山々が姿を現し、暫し足を留めさせられた…。登山口を出て約1時間20分の7時34分に弘法清水小屋手前のお花畑コースとの分岐に出た。

 帰路はお花畑コースを下ろうとそのまま直進し、7時45分に弘法清水と呼ばれる山小屋の立つ休憩所に着いた。冷たい清水をコップに汲んで頂くと腸に沁みわたる名水だった!

 熊本のライダーマン氏は山小屋に這入って小屋の主と何やら話していたが、ニコニコ顔で出てきた掌にはシッカリと缶ビールが握られていて、私に「Kさんアンタも一杯飲まんですか、オイシカですバイ」と、ご機嫌だった。流石は肥後もっこす!

 小屋の前には白い花が咲いていたので写真に撮っていると、小屋の主がその花はウメバチ草ですと教えてくれた。その少し上に手毬のように真ん丸な花がコンニチハとばかりにこうべを垂れて咲いていた…。

 この山小屋の名物の「なめこ汁」(1日限定20杯)を予約して7時56分に小屋を後に山頂へ出発した。樹林の背丈が低くなり足元には爆裂火口の断崖も見え、越後の名山、飯豊連峰が会津の山々越しに雲海の上に黒々した山体に万年雪をつけて聳えていた。

 火山岩の転がる掘割状にえぐれた山道の両脇には、白い、ミヤマダイモンジ草や、ミネウスユキソウ・・・ウメバチソウの花の姿が次々と現れ、目を楽しませてくれた。

 そんな思わぬ花たちの出迎えを受け8時21分に、会津磐梯山々頂1819mに登りついた。山頂は岩石の散らばる狭い空間で、360度フルオープンの景色が堪能できた。山頂の南側10メートルほど下には山小屋があり、山頂標識もそこに建てられていた。

 広大な猪苗代湖は丸い円弧を覗かせ茫洋と広がり、雪の無いスキー場の斑模様を見せる猫魔山の向こうには飯豊連峰。その右側奥には檜原湖の向こうに月山の姿も微かに見え、西方には安達太良山がシルエットになって我々を招いていた…。

 磐梯山は孤立峰だから日頃は風当たりの強い山だろうが、今日は無風状態のせいか山頂付近には羽蟻みたいな虫が群れて羽を休めていたが、写真などを撮ろうとじっとしていると顔をといわず纏わりついて気持ちが悪かった…。

 もう少しゆっくりしたかったが、ライダーマンさんが「こりゃーたまらんバイ!長居は無用、降りまっしょうや」で、山頂滞在僅か6分。8時27分に下山開始した。

 同じ道を下って行くわけだが、登りと下りでは見る目が変わるので、登りには気づかなかった赤外線センサーのカウンター機器や、赤茶けた爆裂火口の尾根や、銀色に光る桧原湖。何やら名前のわからない白い花が咲き、草むらの中には小さい秋を知らせる様にクサモミジが彩りを添えていた。

 8時54分に弘法清水の山小屋前に降りて来て、予約していた名物の「なめこ汁」を頂いた。板張りの床は登山靴を履いてはいるのは気が引けるくらいに拭きあげられていたので、小屋の主に、土足で入ってもいいのですか?と訊くと、「アーどうぞそのまま良いですよ、毎日モップをかけますので」と笑われた。

 一杯300円の「なめこ汁」は本当に汁だけで、此処のオーナーのおばあちゃんが作った自家製の味噌がポイントだとか、登山者の間に口コミで人気が広がっているそうだ…。

 登山口から一緒だった熊本のライダーマンYさんと此処でお別れした。彼は下山後、会津の喜多方ラーメンを食って今回の山旅のフィナーレの飯豊連峰に向かうとか…。

 登山の前準備は、日本百名山の本を見るだけだそうで、写真とか記録とか一切撮ったり書いたりした事は無い…そうで、服装もズボンは会社の作業着、靴は、途中で破れたので、スーパーで買った2000円の運動靴だった!何と気楽に気軽にあっちこっちの山を周って登るバイタリティには恐れ入りました。

 9時10分に小屋を出る前に、小屋の主が、「今夕から又雷雨があって不安定な天気になるそうです」のアドバイスに、明日登る予定だった安達太良山を前倒しにし、時間も早かったので、下山後その足で安達太良山に登ろうか?と、妻に云うと「いいよ」だったのでそいう事に決定した。

 先行した彼の後を追って我々も山小屋を後に下山開始。岳樺の林や鬱蒼と茂る自然林は、登山口に立てあった「クマ出没」の看板通りに、クマさんがあの藪の中からこちらを窺っていそうな気配もした…。そういえば、ライダーマンさん、ちゃっかり腰にクマよけの鈴をつけていた。

 山小屋を出て30分ほど下った樹林の途切れた所で、西側に赤茶けた火口跡の壁尾根が幾層にも積み重なった噴出物を見せ、まだ、所々から白い蒸気が立ち昇っていた。

 裏磐梯登山道分岐を9時57分に通過して中の湯の木道に差し掛かると、登って来た外国人の夫婦と離合する。彼らとは昨日キャンプ場で一緒だったので(彼等は持ち込みテントで居住区は別だった)声をかけると、旦那の方は「日本語がワカリマセーン」と笑っていたが、私たちが身振り手振りを交え、リヤカーでキャンプ道具を引いていたでしょうと言うと、奥さんの方が「ザッツOK!」と思い出したらしくエールを交換した。

 ススキの立つ、中の湯を丁度10時ジャストに通過、振り返ると磐梯山が遠くなって別れを惜しんでいた。

 中の湯を過ぎるとなだらかな林道歩きで、森林浴を楽しみながら下って行く道の両側には少し時期の過ぎた紫色の花や、山アジサイの花たちが見送ってくれた。駐車場にあと少しというところで、ドコ・ドコ・ドコ・・・と重低音の排気音の音がした…。熊本のライダーマンさんが飯豊山に向かって出発されたのだ。どうぞ山もツーリングもご安全に!と祈った。

 10時22分八方台登山口の駐車場に帰り着いた。朝出る時はガラガラだった駐車場も大型バスやマイカーが沢山駐車していた…。往復休憩時間を含め4時間10分の磐梯山登山を終了、駐車場を10時47分に出発し、次の安達太良山へ向かった。      



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〜 安達太良山に登りました! 〜

08’9 「安達太良山」紀行

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〜08’9・・会津磐梯山 (1819m)&安達太良山 (1700m)登山紀行〜

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9月1日・・・晴れ

(其の二)・・・安達太良山 (1700m)・・・

ゴンドラ登山口⇒ゴンドラ上駅⇒安達太良山々頂⇒勢至平⇒登山口

 八方台駐車場を10時47分に出発し安達太良山の登山口に向かった。カーナビに導かれ国道115号線を西進、長い土湯トンネルを抜け459号に這入り、岳温泉方面の道から安達太良高原スキー場方面への道を上り、奥岳温泉手前の広い駐車場に11時52分に着いた。

 磐梯山登山口の八方台駐車場から約55km、1時間5分の移動だった。広い駐車場には40台近くのマイカーが停まっていたが、もう時間的に下山してくる登山者の姿も見られ、駐車場を出て行く車もあった。

 当初の計画では、勢至台から峰の辻を経て、稜線の牛の背を通り安達太良山に登り、下りは薬師岳から五葉松平を経て登山口に戻ってくるつもりで、ゴンドラは利用しないつもりだったが、計画変更したので、ゴンドラを利用して登り、下りは当初、登りに使うはずだったコースを下山することにした。

 駐車場の片隅で昼食のパンを水で流し込み、12時15分ごろ駐車場からゴンドラ乗り場に向かった。天気図には無い小さな気圧の谷が通過しているのか、着いた時は、山はガスの中に隠れて見えなかったが、少しずつ明るくなって来てガスの切れ間から青空も見えてきた。

 片道900円也を支払って標高950mの地上駅からゴンドラに乗りこみ、ユラユラと揺れながらの空中散歩。一気に高度差400メートル登って標高約1350mの山上駅に12時27分に着いた。

 五葉松や石楠花の茂る遊歩道みたいに整備された道に入る頃には、稜線を覆っていたガスもすっかり切れ、真っ青な空が広がり絶好の登山日和になり、山の神様のご配慮に感謝した…。

 薬師岳分岐を12時36分に通過して、下って来る登山者とあいさつを交わしながら登って行くと、色づき始めた紅葉と、五葉松の間から安達太良山の稜線が姿を現した。

 ゴンドラ山上駅から約30分の13時丁度に、仙女平分岐の標柱が立つ見晴らしのいい場所に出た。この少し先に、県民の森から来た表登山道の分岐があった。

 だんだん樹高が低くなって来ると、登山道の下草の中から、紫色のツルリンドウの花や、磐梯山でも数多く見かけた山アジサイの花、少し赤くなり始めたイワカガミの葉っぱが、秋の山を教えてくれた。

 安達太良山と言えば、高村光太郎の「千恵子抄」を思い浮かべる…「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川……」山に興味に無い人でも「安達太良山」の名は知っているだろう。そんな女性的な響きの安達太良山だが、冬期は西からの強烈な卓越風が吹き荒れるのだろう、五葉の松が一方にだけ枝を伸ばさせられた形を見ると、自然の芸術家の才能に敬意を表したくなる…。

 ゴンドラ駅からの尾根を登り切り、安達太良山の主稜線に差し掛かり始めると、東の方には二本松市街が広がり、ゴンドラ駅の建物が小さく緑の中に見えていた。

 先ほどの五葉の松と同時に、この山の特徴というかあまり他の山では見かけない光景があった。それは、標識類の多さである!背の高い木製の標柱が100メートル未満間隔で立ち並んでいたり、植生の消えた火山土地帯では、転がった岩に白地に赤のペンキで丸い目玉の様に塗ったのが、山頂直下まで続いていた。

 考えられるのは、ゴンドラを利用して観光気分で安易に登って来るハイカー等が多いせいで、一旦ガスにまかれたりすると方角が判らなくなり道迷いなどの事故防止のためと、積雪期の悪条件時の道しるべの為だと思うが、それは見事だった…!

 真っ青な秋の空に白いうろこ雲が広がる稜線漫歩は気分最高!赤茶けた火山砂礫の道を登り、山頂のピークが近くに見え始めると視界が広がり、安達太良山々塊の尾根筋の山容が目に飛び込んでくる。

 安達太良山は別名「乳首山」とも呼ばれているらしいが、その乳首に当たる部分が山頂で、目視で50メートルほどの溶岩ドームの盛り上がりで、久住山の星生崎に岩場に似ていた。

 この山も、磐梯山同様、何故か山頂標識は山頂ピークの下に立てられていた。(考えられるのは強風で吹き飛ばされる…??)その山頂標識の横を通り過ぎピークに向かうが、登り口は左右にあって左側からの道には一か所、鉄製の梯子がつけられていた。

 梯子を上り、岩場をよじ登ると安達太良山々頂1700mで、13時40分だった。何処の山にもある祠が祀ってあり、石の祠の中には「安達太良神」と刻まれた石柱と可愛らしいこけしみたいな石の像が横に立ててあり、その祠の後ろには、月山の山頂神社でも見かけた「八紘一宇」と刻まれた石柱が風雨にさらされ色あせして立っていた。

 東方には5時間前に登ったばかりの会津磐梯山が頭に雲の帽子をかぶり、「もう安達太良山に登ったのかい…!」と問いかけているようだった。丁度一人の登山者の方が休憩してあったのでツーショット写真の撮影をお頼みし、ハイチーズ!

 山頂からの景色は火山特有の無味乾燥の世界で、九州の高千穂の峰にそっくりで植生も少なく赤茶けた火山礫の台地が広がり、穏やかな稜線の縦走路には登山道がウネウネと続いて鉄山1709mを越えていた。

 10分ほど休憩して下山開始、下りは登った方と反対側から降り、縦走路を北へ向かった。牛の背と呼ばれる穏やかな尾根道を下って行くと三角形した大きなケルン状の石塔が三個も続いていたがこれは寄生火山の赤ちゃんだろうか?…ケルンにしては大きすぎる!

 火星の表面はこんなだろうか?赤茶けた火山礫の道を暫く行くと、左手に沼の平と呼ばれる巨大な爆裂火口穴が展開していた。白っぽい灰色の火山泥土が不気味に火口底を覆い死の世界の匂いがした…実際、少し前になるが此処で4人の登山者が火山ガスで遭難されている。

 此処から縦走路に別れ、くろがね小屋方面への道に這入った。尾根の縦走路から勢至平方面への道は火山岩のごろごろ転がった歩きにくい道で、下るにつれ背の低い這松類が現れ、赤茶けた世界から目に優しいみどりの世界にかわって行った。振り仰ぐと矢筈森の岩壁の上にうろこ雲が広がり、安達太良山は遠くなっていった。

 こちらのコースも、転石にペンキの色も生々しい道しるべと、背の高い標柱が交互に連続してつけられていた。くろがね小屋への分岐を左に見送り、14時半ごろ通過して暫く下った所に「友と雪」と記されたケルンの前に出た。

 籠山の斜面を横切りながらゴロタ石の中を下って行くと、道の両側はこけもも類の低木が密集して生え、よく見ると紫色のこけももの実がたくさん付いていた!口にすると酸味が強いが野趣味たっぷりだった…。

 植生の変化には驚かされる!たった100メートルほどの高度差で周りはいつの間にか背の高い樹木の生える世界に変わり、下草の密集して生える土壌が現れる。登山道は雨水によって掘割状にえぐれ、地元の有志の人たちが手入れをされているが、この頃のような集中豪雨が降れば整備した端から壊れてしまい、いたちごっこの作業が続くことになる。

 登山道に垂れ下ったススキの中を過ぎると、樹齢のいった五葉の松がこれは見事に、選定師顔負けの自然の力による芸術的な枝ぶりを見せていた…。あたりの樹林はまだまだ秋遠しの感だが、その中にあってナナカマドの葉が先陣をきって少し色づき始めていた。

 山頂を出て約一時間の15時2分に、登山道から、くろがね小屋への林道に出た。その林道の端っこに大きな噴石が転がっていた。セメントを流したばかりの上を誰かが歩いて出来た足跡みたいな穴が無数について面白かった…。

 林道をぶらぶらと下って行くと、少し時期遅れの黄色や紫色した高山植物の花たちが最後の顔見せをしてくれていた…。そんな最後の顔見せの花たちの中にあって、黄色のミヤマアキノキリンソウの花は見ごろだった。

 針葉樹の森を左手に見ながら暫く下ると、二人の青年が道の端にザックを置いて煙草をくわえ何やら話ししていた。休憩しているのかなと思い挨拶すると「こんにちは」と応え、「馬車道は登山口に下れるのでしょうか?」と尋ねられたので、道の端を見ると案内板があり、此処が林道(馬車道)と旧道の分岐点で、彼等はどちらの道が登山口に行けるのか迷って相談していたのだ。私が、どちらも奥岳登山口に行けますが、旧道の方が近道ですヨ。と教えてやると「判りました!どうも有難うございました」と頭を掻いていた。

 此処から旧道に這入ったが、前日の雨で粘土質の道はヌルヌル滑り、途中スリップダウンしたりしながら下って行くと、何度も、迂回している林道を横切りながら15時43分にやっと旧道出口に出て、あだたら渓谷を跨ぐを渡り、広くなった砂利道を10分ほど下ると樹林越しにゴンドラ駅の姿が見えた。

 出発して約4時間の16時過ぎに登山口の駐車場に戻って来た…。 一時、空模様が怪しくなって、ひと雨来るのではと心配したが灰色の雲もすっかり消え、安達太良山が優しげに我々を見下ろしていた。

 こうして、今回の会津の山旅は無事に終了。目玉の会津駒ケ岳に登れなかったのは残念だが、「楽しみは後回し」とし、又、機会を作って登りなおしにやって来よう…! 


 

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