◇モンテッソーリ教育の哲学とその教育方法 1◇

  科学的教育法といえるモンテッソーリ教育


子どもの成長にあわせてその援助の仕方を本園入園前の7回にわたる母親大学においてモンテッソーリ教育の研究会を行なっています。
子どもたちは、あたたかく見守り、かかわる教師の援助のもとにモンテッソーリ教具に触れることにより、そのよろこびを体験します。
その体験から、もっと吸収したいといった成長願望により、幼稚園に入園いたします。
秩序感あふれるモンテッソーリの教育の場に無理なく自らの生活の場であると感じられるよう、教師と共に母親のあたたかなまなざしのもとに自立へと向かってゆきます。

その教育方法は非常に科学的であって5領域(日常生活の練習、感覚教育、言語、算数、文化)にわたる指導法が系統性をもって正確に準備されています。
 その系統図は、鍵の手のように、次から次へと順序よく手渡されていくように、子どもたちは心地よい困難性解決のよろこびの中で、一歩一歩あゆみを進めるように成長してゆくことができます。

子どもは自ら誤りを発見し、自ら自己訂正していくことにより、自己学習の意欲を高めていきます。
 子どもが求めるならば、教師は何度でも教えます。モンテッソーリの言葉に“教えなさい、教えなさい、訂正しないで・・・”とあります。子どもが誤りに気づき、自ら訂正できるように導くためです。

 

  世界的に注目されているモンテッソーリ教育とは

ー モンテッソーリ教育の創始者マリア・モンテッソーリがイタリアのサン・ローレンツォに「子どもの家」を創設してから100年を迎えます。−


子どもは自らの力を信じてみまもってほしいのです。

手を出さず、口を出さず、あたたかなまなざしをもって見守ってほしいのです。

 

モンテッソーリ教育は「環境の教育」といわれていますが。

子どもの成長を促す環境とはどのような環境なのでしょうか。
子どもの発達的段階に合わせた教具、用具が取り揃えられ、子どもの視線に合わせて、手の届く高さの位 置に置かれています。すべてが整えられ、みがかれ、光り輝いて『私にさわってみて』と言っているようにです。
教師はそっとみまもります。今、何に興味関心がそそがれてくるかを、です。
モンテッソーリ教育のスタートです。

モンテッソーリ教育はまず観察から。

モンテッソーリ教育は、『待つ』ことからはじめます。子どもを信じて待つ。手を出さず、口も出さず、あたたかなまなざしをもってみまもるのです。
このみまもることが、観察することなのです。観察することにより、子どもからすべてを学び取ることができます。

子どもの求めに応じ、集中して「お仕事」をやりはじめたときは、そしてくりかえしやることを求めた時は、その自由を与え、静かにその場をはなれるようにします。
 満足ゆくまでそのお仕事をやり終えた時、共によろこび、その積み重ねが、子どもの成長となります。

 

教師は子どもひとりひとりと「椅子を出す」提供を丁寧におこないます。
子どもたちは、毎日の繰り返しにより、脳の発達が感じられます。
出席シールをはって一日のはじまり
“おてつだいするね”降園の仕度


  子どもの発見 −モンテッソーリ教育で子どもは大きく変わるのです−

 今年、イタリア・サンロレンツオにおいて「子どもの家」を設立してから100年を迎えるイタリアの教育学者 マリア・モンテッソーリの哲学にこそ、ほんとうの教育があります。ほんとうの子どもの姿を発見したのです。
 本来の子どもの持っている力、世界平和を形成することのできる円満な人格形成、この人格を形成するには、今こそ マリア・モンテッソーリの哲学に学ばなくてはなりません。


 子どものエネルギーは、宇宙に向かって、人が人としての平和な秩序をつくりあげてゆく方向に向かわせなくてはなりません。
 子どもの本来持っている優れた能力を社会のため、人々のために役立つことの喜びを感ずる人格を!この世は、なんと素敵なところなのだろう、と感じさせてあげるのが大人の役割です。
 長い、歴史の中での生まれ育ってきた文化遺産をそのまま、子どもたちに手わたしたいですね。
 美しい母国語を!ひびきを!そして、森羅万象、伝えないではいられないほどの美しい芸術の数々、人々の生活をゆたかに彩 る科学的知性の発展の偉大な宝庫を!
  それらの恩恵に対しては、慎み深く感謝の心をもってまなびすすめていくことの神秘の喜びを謙虚に学び、人はひとであるために、人はなんのために生きるのかを学ぶためにも、この世のすばらしさを伝えたいのです。


 この世で初めて出会う、事物の世界から一歩一歩、親切に丁寧に心をこめて子どもに伝えなくてはなりません。そのときから、子どもが変わります。
 無言で言葉でない言葉で、その喜びを伝えているのです。その様子をみて“子どもが変わる!”と大人は驚くのです。

  けれども、驚くことではないのです。なぜなら、それが真実なのですから。ずいぶん、長いこと、子どもは、未知の世界に埋没されていました。
  子どもは、発見されたのです。100年前に!しかし、人々は、まだそれを信じようとはしないのです。マリア・モンテッソーリの教育哲学に学ばなくてはなりません。


 人間のエゴのために、権力を失うことを恐れ、栄華を我物とするために、人が人である前に、力が力で、世界を制覇したのです。すべての科学から人間学のみ取り残されたのです。 人間が人間であることが後回しにされたのです。今世紀にいたって、人間の秩序が失われ、世界が破壊されそうになって、初めて人間の本性が問われるにいたりました。

 地球を救うことが急務になった今、人がひとであるように本来の姿を真剣に探求しなくてはならくなりました。 人が人を傷つけあい、みぐるしい世界を具現しては、未来に向かって生まれ育っていこうとする子どもたちの生きる力とはなれません。 未来に生きる子どもたちに学び、まなべるような環境と子どもへの正しい理解へと立ち向かおうではありませんか。


荒井晶子園長・荒井一郎理事長