寫眞舘 No.10, Photo gallery 10

ヴェネツィア & ミュンヘン 旅の記憶 2005.6.11〜19



丸8日間の短い旅でしたが3つのオペラ(爆笑オペラ有り)と1つのコンサートを制覇、
お城・美術館も可能な限りまわって、芸術三昧の超多忙な旅でした.

・2005.7.7  日記ページから独立
・2005.12.25 写真を強化し寫眞舘のページに掲載

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2005.6.11土 出発〜ヴェネツィア到着

朝、5時半起き。6時前出発、電車〜空港バスと乗り継いで、8時5分空港着。
バス待ち中に雨がぱたぱたと降り出し、うーん私の旅立ちを大自然も祝福してくれているに違いないと妙に納得。
(言わずとしれた大雨女である。)
同行のO嬢とは間もなく合流、チェックインを済ませ、携帯電話を借り、出国審査。
金属探知のゲートをくぐったところ、アラームが鳴ってしまった。げげ。そんなはずはない。なんでなんで?
靴とベルトを取らされたが、原因はベルトの金具だった。このベルト、数年前はひっかからなかったはず。
さすが厳しくなったものだ。意気揚々の渡欧のはずがいきなり凹みそうになったが、まぁ、何事もなかったのだし、よしよし。
それにしても、きれいな空港である。搭乗ゲートまでの道のりは美術館のよう。わかりやすいし、なかなか悪くない。
直線距離だとだいぶ近くなったはずなのに、マイカー以外は決して時間的にも近くなっていない、
全然便利じゃないぞとさんざん悪く言っていたが、これならまぁ少しは許してあげてもいい。(笑)

フランクフルトまでの飛行機で隣あわせた若そうなお兄さん(年齢不詳)が、
とても人なつっこくいつもニコニコとこちらを見ていて、いろいろ手伝ってくれた。
テーブルのフックが回せないで四苦八苦しているとすっと手を伸ばして回してくれる、食事のトレーを私の分まで片付けてくれる。
ラテンの男性は女性に親切だというが、この場合、きっとよっぽど子供だと思われたのだろう。
一体いくつサバ読んだ計算になるのだろうか。(笑)
旅の初日のこともあり、シャイな私(?)は自分からは話しかけなかったが
(いや本当は久々の英語が錆びていて自信がなかったからであるが)、
話しかけてみれば良かったと、後になってちょっと思った。
飛行機を降りてから、彼が、離れて座っていた友人達とスペイン語らしい言葉で話していたのを、すれ違いざまに聞いた。

10数時間のフライトで、フランクフルト着。乗り継ぎ前に入国審査。「EU」と「EUでない」と書いたゲートがあった。
私はたぶんここは自分の国籍のことだろうと思ったのだが、久しぶりの海外のこととて自信もなく、
友人が行き先のことだろうと言うのに従い「EU」の方に並んだら、
審査官のおじさんに日本人はあっちだよ、と言われてしまった。
こういう困った日本人旅行客は後を絶たないのだろうなと非常に恥ずかしく思った。
しかし何故か当の友人の方は、同じくEUのゲートで文句も言われることなく通ってしまった。何なんだ、一体。(笑)
…この辺が、海外のアヤシイところなんだよなぁ。これから大丈夫かなぁと一抹の不安がよぎった。

乗り継ぎ便には滞りなく搭乗でき、予定通り、現地夜7時半ヴェネツィア着。
飛行機の窓から見たヴェネツィアの街は青い海の上に平たく浮かび、はかなくすらあった。
この季節のイタリア、夜7時半なんてまだ日が出ているくらい(こちらの5時半くらいの感覚か?)
まだまだ明るいのである。
空港には一足先に到着していた、ミュンヘン在住のS嬢が出迎えてくれた。
船に乗り換え60分余、サンマルコ付近の船着き場に着く。
…おお、これがあの水浸しになるというサンマルコ広場か!(笑)
カフェ(?)の前で数人のアンサンブルが生演奏をしていて、しばし足を止めてしまう。
ネットで取ったホテルは、さして値切ったつもりもないのだが、
物価の高いヴェネツィアでは必要最低限の仕様とも見え、
ユニットバスなど少々えへへ〜♪の部分もあった。
荷物をおいて食事へ出掛ける。
日本語のメニューの掲げてあるレストランの前で、あ、日本語だ〜と立ち止まった途端、店のおぢさんにつかまってしまった。
他にあてもなく、まぁここは巻かれておこうか〜とその店に入る。
お腹はあまりすいていなかったので3人でオードブルとパスタを一皿ずつ頼んでおしまいにしたら、
おぢさんにがっかりされてしまった。でも3人分の軽食には十分な量で、あれ以上頼んだら食べきれなかったことだろう。
味はまぁ、可もなく不可もなく。
ワインは地元ヴェネト州のソアーヴェのハーフを頼んだが、旅行初日、外国への警戒心と疲労でもって、
味はほとんど覚えていない。
たった二皿にしてはべらぼうに高い飲食代(ぼられたわけではなく、物価そのものが高いのである)を支払い、
ホテルに帰ってシャワー、夜中1時に就寝。
日本との時差は、−7時間。つまり日本はそのとき翌朝の8時。…文字通り長い1日だった。
 



2005.6.12日 ヴェネツィア観光〜オペラ〜夜行列車

寝付きの良くない私、睡眠は2〜3時間。それでも飛行機の中よりは眠れた方だ。
ホテルの朝食はコンチネンタル。ほとんどパンと飲み物のみ、お粗末だった。お腹はすいていなかったので構わないが…。

観光開始。ナントカと煙は高いところが好きとか…まず、塔にのぼる。
おお〜きれい〜。
ヴェネツィアを一望。
地上に戻り細く入り組んだ街路を歩く。どこもかしこも古めかしいレンガ色である。
細い運河には、旅行者を乗せたゴンドラが行き交う。
小さな橋を通りかかったとき、脇の家のベランダの下に何やら文字が。
通りがかりのイタリア娘のトランスレートに寄れば、
その昔、モーツァルトが数日間滞在した家らしい。

有名なアカデミア橋を渡って対岸に歩を進める。
お昼に飛び込んだ、バーカウンターのあるレストラン。
お店のおぢさんに「まぁどうぞさぁどうぞ、奥までずずずずいっと…」と
イタリア語で言われたかどうか(笑)、そのまま進んだら…
あら、建物突き抜けちゃった。往来の脇の広場に並べられたテーブルと椅子。
おすすめのオードブルを聞いたら、明るく「まかせてまかせて、気に入らなかったらお金いらないから」。
このラテン人の明るさ、いまいち信用できない我々。「とにかくちょっとでいいのよ、私たち少食だから」
「わかったわかった、ま・か・せ・な・さ・い」…のノリで厨房に消えていったおぢさん。
ほどなく大皿を持ってやってきた。でっかい皿。…しかも、次々。…3皿?!それはちょっと多いって!
しかし、これがどれも美味。サラミ(生ハム?)のようなもの、貝類の香草オリーブオイル焼き(?)、
そして姿も芸術品のタコの極薄切りカルパッチョらしき皿。あっという間に平らげてしまった。
「おいしいかい?そうかいそうかい、じゃ、次は何にする?」おじさん、ご機嫌で聞きに来る。(笑)
この流れ、本来はパスタ各一皿、メイン各一皿、ドルチェにエスプレッソ…といくところなのだが、
少食の日本人娘達(笑)は、大皿のオードブル3皿でお腹一杯。
とにかく、「あとは全員でパスタ一皿だけでいいからね」とだけ念を押して、
内心ではパスタが「各一皿」出てきたらどうしようとびくびくしながら待つこと10数分、
出てきたパスタは、そう、まごうかたなきイカスミのスパゲッティ。
少々塩加減はきつめではあったが、その濃厚な味に、お歯黒に黒紅をさした気味の悪い口で微笑み合った我々であった。
おじさんは、「そうかいそうかいおいしいかい、日本人はイカスミ好きなんだよねぇ。
ところでドルチェか飲み物はいらないかい?」と聞いてきたけれども、もういらないと言うとそれ以上強要もされなかった。
しかしまだ難関あり。お勘定書きにとんでもなく高く書かれていたらどうしよう。
ドキドキしながらレシートを広げると、なんて良心的〜!
ワインのハーフボトル(カベルネ赤を薦められた)1本足しても、昨夜のレストランの二皿より安いくらいであった。
お店のおじさんもおにーさんも明るくて愛想が良く、貝の名前を聞けば一生懸命辞書をひいて調べてくれるし、
何かにつけて好意的で、世の中には善良なイタリア人もいるのね〜としばし感激に浸った我々であった。(-人-)

さて、ぼんやりとしてはいられない。私たちには時間がないのよ。
何と言ってもかの有名なフェニーチェ歌劇場にてオペラ鑑賞のチャンス有りなのだ!
開演少々前にチケットカウンターにて最後の3枚という席をゲ〜ット!
私の席は天井がすぐ頭の上にある席、しかも2列目、舞台は何にも見えないらしい。(笑)
でもいいんだ、フェニーチェの中が見られるだけでも。
正面入り口から入ろうとしたら、この席は裏(?)からまわって下さいと言われ、建物の外からアプローチ。(笑)
5階まで階段で上がり、○○Dという番号を頼りに席を探すが、どこにもそんな席はない。
係のお姉さんに聞くと「ここですよ」と示してくれたが、そこは○○Bという席だった。
…このあやしさ、さすがイタリアだわぁとちょっと感動。(笑)
(ちなみに最後の3席との触れ込みだったが、まだあいている椅子も結構あった。さすがイタリア!)
開演を待っていると、ひとりのお爺ちゃんがやってきて、
やっぱり自分の席番号と椅子と見比べてきょろきょろとしている。
もしもし、どうやら席番号と椅子の番号は違っているみたいですよと英語で話しかけてみたが、
お爺ちゃんは英語は全然だめらしい。しかしボディランゲージってすばらしい。
ちゃんと、あなたの席はここだと思いますよと通じたようだ。(笑)
お爺ちゃんのボディランゲージもなかなか雄弁で、この席、舞台全然見えないね、
でも音が聴けるだけでもいいよね、と言われて、2人でうなずき合ったのだった。(笑)

開演直前に斜め前の席の人から「私の隣、知人が別の席に移ってあいたから座っていいよ」と1列目の席を示され、
ちょっと、お爺ちゃんを後ろの席に残して自分だけ前に行くのは申し訳なかったが、せっかくなので席を移った。
半分お尻を浮かして身を乗り出すと舞台もようやく1/3程見える席だった。
(右は天井の装飾。ふり仰ぐとこんな距離で見える。)
演目は『ダフネ』R.シュトラウス。オペラにはさほど明るい方ではない、
ギリシア神話もよく知らない、でストーリーもよくわからず少々情けなかったが、
中規模と思われる円形のオペラ劇場は驚くほど音響が良く、
響きに酔う間に1時間40分もの演目があっという間に終わってしまった。
終了後、お爺ちゃんは私にニコニコと笑いかけて
「舞台は見えなかったけど、上に出ていた字幕が見えたから話はよくわかったよ」と言ってくれたので、ちょっと安心した。
私は、「舞台はちょっと見えたけど話は全然わからなかった、でも音楽は素晴らしかった」と伝えた(伝わったはず(笑))。
オペラそのもの、劇場そのものも感動だったけれど、音楽というものが
こうした言葉の壁・世代の壁をいともたやすくうち破れるものであることを実感・再認識し、感動を新たにした私であった。
 
 

さて夕方。まだまだ昼のごとく明るい。おみやげ物を物色しつつ、観光を続ける。
船に乗って大運河をさかのぼる。船内がやたら混んでいた。立って乗船。よく考えてみたら日曜の夕方。
駅まで行き、夜行列車のホームを確かめた。電車は通常通り動いている様子。
…と、一天にわかにかき曇り、ざざ降りの雨〜、雨女の到来を祝福する雨〜。(笑)
駅付近の探索はあきらめてまた船に乗りリアルト橋で下船。
カフェテリアのようなところで軽く腹ごしらえ。茄子のトマト煮込みらしきものを食す。チン!であっためた割に美味。(笑)
眠れないはずの夜行列車の長い夜に備えて、ワインを購入。
不思議とヴェネツィア滞在中、何度かすすめられたのはカベルネであった。
せっかくイタリアにいるのだしトスカーナあたりがいいかなぁと思っていたのだが、
まぁ地元の人がすすめてくれるものを飲むのもよいかと思い、このときもカベルネを購入。
そうこうするうち、時間が差し迫ってきた。
再び水路でホテル近くまで戻り、大急ぎで預けてあった荷物を取って返し、
ぎりぎりで船に乗る。夜は船の運航頻度も減るのである。
アブナイアブナイ、この船に乗り遅れたら夜行列車が厳しかったかも。
(値段をいとわなければ水上タクシーという奥の手もあったので悲愴感までは漂わなかったが。)

夜行列車は我々が乗り込んでいくらもしないうちに、定刻通り発車。(22:50発?)
背のさほど高くない私でさえ起きあがれない低い3段ベッドに簡易洗面台(右写真)のみがついただけの狭い狭い部屋。
トイレは廊下の先。
我々は3人なので1室借り切れたが、これを他人とシェアするのは少々つらいと思われる。
でも車掌さんはとても優しそうなおじさんで、取りあえず少し安心。
じきに上下のベッドから安らかな寝息が聞こえてきた。
その後、私の寝酒のワインはボトル2/3あいたが、案の定眠れたのはほんの少々だった。
 



2005.6.13月 ミュンヘン到着〜市内散策〜スーパー物色

朝6時過ぎ、朝靄のかかったミュンヘン中央駅に列車は到着した。
S嬢の先導で電車(地下鉄)を乗り継ぐ。
電車のドアは開ける方は手動。ハンドルの付いたタイプとてのひらマークのボタンのタイプと2種類あり。
ミュンヘンの地下鉄、改札はないに等しい。S嬢の用意しておいてくれた1週間乗り放題のチケットに日付を刻印すると、
あとは携行さえしていればOK。
最寄りの駅に降り立ち、徒歩7分のS嬢のアパートメントへ、トランクをゴロゴロ引きずって向かう。
着いたアパートメントは、東京の1人住まいを知る私にはたいへん広く、美しく快適な住居に映った。
この日は月曜、S嬢は普通に仕事があるのでご出勤準備ののち早速発って行かれた。タフな女性である。
一方、我々は夜行列車の絶え間ない揺れに三半規管がやられたか、じっとしていると地面がぐらぐら揺れる。
夜まで1日中揺れていた。(笑)

寝不足の頭でぼーっと荷ほどきをし、絵はがきを数枚書いただけで午後に。
午後はTC換金のため、初の冒険に出た。O嬢と共にアメックスを探して3千里(?)。
まだ慣れない地下鉄を乗り継ぎ地上に出たまではよかったが、方角が定まらない。
少々歩き回った末やっと方角だけは見定めて、地図を頼りにアメックスをさがすのだが、どうしても見つからない。
ぐるぐる同じあたりを徘徊。結局、案内地図の目的の場所を示す記号がなんだかやけに大きいことに着目、
大通りに面している方ではなく裏側の小径を探したところ、やっと見つかった。
まさにアメックスの会社の配布している案内図だったのだが…あの地図で問題なく辿り着ける人はそうたくさんはあるまい。
換金は問題なくできたが、やたらと時間と体力を消耗してしまった。

さて次は、数日後に控えているバスツアーの集合場所の確認のため、また電車を乗り継ぐ。
当日は朝早いので迷っている暇がないのだ。
これも地上に出たところで方角を見定めるのに時間がかかったが、しばらくすると見つかった。
ミュンヘンでは各通りすべてに名前が付いているので、通りの名が明記されている地図を持っていさえすれば、
目的地を探すのにさほど苦労はしないとわかったのはやっと旅の後半のことだった。
持っていたガイドブックの付録の地図があまり詳しいものでなかったのは不運であった。
ガイドブックの地図はどうやら某有名出版社のもの以外は使えたものではなく、
現地で詳細地図を調達すべしというのも次回への教訓となった。

ついでに観光スポットも少しだけ見に行こうと、マリエン広場へ。
おお、美しい!これが旧市庁舎(左写真)か〜と、観光客丸出しで写真撮影。
構ったことはない、周りはほとんど観光客なのである。(笑)
午前中に書いたはがきを出すために郵便局を探しまわるうち、
(ちなみにドイツの郵便ポストは黄色、ホルンのマークが目印。)
また祝福の通り雨に出逢う。(笑) なかなか激しい。
ドイツは山間部なので、天候は変わりやすいとのこと。
雨はじきにカラッとあがり、1時間もしないうちに石畳の路上が乾き始め、
乾燥していることを実感。そういえば滞在中ずっと目がつらかった。
レジデンツ(宮殿)と隣接する、かのバイエルン州立歌劇場(右写真)まで出向き
写真に収めた後、せっかく来たのでレジデンツ内を見学。
入り口で私の背負っていたリュックを見とがめられ、ロッカールームに預けさせられる。(無料)
バッグはたいして大きくないのだが、リュック型がだめらしい。何故かはよくわからない。
宮殿内はフラッシュさえ焚かなければ自由に撮影可。この辺が懐の深いところである。
レジデンツ内の、豪奢な謁見の間(?)。(右・下の写真)

まだ明るい夜7時前、アパートに帰り着いてさすがに少々果てていると、
仕事帰りのS嬢から電話あり。(今回の旅、携帯電話の存在が非常に大きかった。)
最寄り駅のスーパーで食料の買いだし!というので、外国ではスーパーおたく(?)の私、
疲れも忘れて飛んでいった。
外国のスーパーは、不思議の宝庫である。得体の知れないもの、奇妙なもの…
そんじょそこらの見せ物よりずっとおもしろい!
いかんせんドイツ語がからっきしなので、
モノが何であるかわからないのもまた楽し。(笑)

お買い物を終えアパートに戻ると、S嬢はしばし楽器を練習したいとおっしゃる。(やはりタフな人である。)
彼女の練習熱心は日本にいらした頃から定評があり「S菌」と名付けて慈しんでいたのだが、ドイツでもS菌元気元気。(笑)
それではとばかり私が台所に立つこととし、O嬢をアシスタントに、
マッシュKartoffel(Kartoffel…ジャガイモ。素直にマッシュポテトと言えばよいものを。(笑))、
Zwiebel の Suppe(玉ねぎのスープ)を作成。
コンロの仕様が違ったり(アメリカで自炊をしていた時を思い出した…)、食材の玉ねぎが外人っぽい雰囲気(笑)だったり、
道具類も見慣れなかったりでいつもより時間がかかってしまったが、ちょうど出来上がる頃、
S嬢が練習を終えてキッチンに顔を出しミュンヘン名物白アスパラを茹でてくださり、晩酌の時間と相成った。
ドイツの瓶ビールと昨夜の残りのワイン、全く飲まないO嬢はお水で、乾杯〜。
旅行はまだ序盤であったが、思えばこれがS嬢宅でゆっくり夕食を摂った最初で最後であった。(笑)
 



2005.6.14火 ミュンヘン市内観光〜ぶっとびオペラ蝶々夫人

ミュンヘン2日目はニンフェンブルク城観光。(お城遠景→)
まだお腹はすいてなかったので、
朝は食べずに昨夜の夕食の残りをサンドイッチにはさんで持参。
地下鉄からトラムという路面電車に乗り継ぎ15分、迷うことなく到着。
やるじゃん、私たち。(笑)
ここはルードヴィヒ2世が誕生したお城とのこと。
内部も内部だが、奥に広がる庭(左写真)が壮大で美しく、
この脇のベンチで、持参したサンドイッチにかぶりついた。(笑)

その後少々時間があったので、再びマリエン広場へ向かうことにした。
トラムの路線図を見たら、電車に乗り換えずトラム1本でいけそう!
路面電車は街の風景が見えるので悪くない。街の眺めを楽しみつつ目的地に着いたが、
どうも停留所のひとつ前くらいから様子が変。少々ひっそりしている。
このどこがあの賑やかなはずのマリエン広場だって?
…よーく見たら、そこはマリアンヌ広場だった。方角は合っていたんだけど。(笑)
トラムの来た道を徒歩で1駅戻り、地下鉄の駅のあるその場所から地図で見当を付けて歩く。
…10分ほどで無事マリエン広場到着。やっぱり、なかなかやるじゃん、私たち。(笑)

どこへともなくふらふら。おみやげ物屋さんもたくさんある。
バウムクーヘンの老舗といわれているカフェでお茶を飲んだ。
バウムクーヘンはサイズが大きいことと日持ちの問題もあって買わなかったが、
ちょっとだけ食べてみたい気はした。

さて、帰り道には、昨日教わったスーパーに立ち寄る。
今夜は旅の目的のひとつであるところのオペラ。出掛ける前に腹ごしらえせねばならない。
量り売りのサラダを買い、この機会にお土産になりそうなものを次々かごに放り込む。
もちろん、ビールとワインも忘れてはならない。(笑)
持っていたお買い物袋(海外ではくれないことが多い)にてんこ盛りになり、
レジのおばちゃんも、外国人観光客と見て取ってにっこり。
概してこちらの人は、外国人慣れしているようだ。さすが観光地ミュンヘン。
最後にパン屋さんでパンを買って、アパートに戻る。

買ったものの整理は後回しにして、まずは腹ごしらえ。
量り売りのサラダ4種は、いずれも酢がきつくお世辞にもおいしいとは言えない。(笑)
ドイツ人は酢が好きなんだろうか?しかしまぁ、食べられないほどの味ではない。
そして瓶のビール(350ccよ)を1本飲み干し、食事終了。(-人-)

一張羅に着替えて、夜6時半頃再びマリエン広場へ。
待ち合わせの噴水前には、S嬢が、ゲルトナープラッツ歌劇場への道案内、およびチケットの引き替えのため、
職場から直接駆けつけて下さっていた。
歌劇場はそこから徒歩15分ほどのところ。開演は7時半。余裕だった。
手はずをすべて調えると、S嬢は先に帰途につかれた。どうもお世話様でした、あとはちゃんと2人で帰れます。(-人-)
中にはいると、こぢんまりとしているものの、きちんとした円形の歌劇場であった。
ここで行われるオペラはミュンヘン市民向けの小規模なもので、演目はすべてドイツ語で歌われるとのことだった。
この日のオペラは蝶々夫人。
何週間か前からS嬢を通じてメールで噂は聞いていたものの、玄関の壁に貼ってあったポスターには一抹の不安が胸をよぎった。

開演。序曲に引き続き、幕がするするとあくと、2階建ての建造物。
そのネットの張り巡らされた2階(ビルの屋上を模しているか?)に鎮座ましましたるは巨大な招き猫。
でも実はこれは噂で聞き知っていたため、出たな?妖怪招き猫!と思うにとどまった。
しかしその右前足がずーっとおいでおいでしていたのはやはり笑えた。
我々には、右前足はお金を呼んでいるという知識があるからなのだが…。
そしてその背後にどでーんと控えているのは…なんと、全身どピンク色の鎌倉の大仏様の巨大な背中ではっ!?(笑)
(後の舞台転換では、招き猫に代わって彼が正面に位置することになるのだった…。)

蝶々さんの自室とおぼしき1階の部屋には何故かモモ縫いが山となっている。どこから手に入れたんだろう。
テレビもあった。そういえば2階には洗濯機もあったぞ。(笑)
スズキ、その他2名の女中の服装は、基本は白いエプロンのメイド姿、
しかし1人はシマシマの靴下を履いていたり、全員てんでバラバラで、何だかどこか奇妙きてれつ。
それがいきなり、四つん這いになって雑巾掛けをするところから話が始まるのであった。
…時代考証は、一体どうなっているのだろう??(笑)
ここまででも十分おかしいのだが、静かに笑っていられたのはそのあたりまでだった。
ぶっとんだことには…その直後、話の筋に関わりなくわらわらと現れた群衆が、みんなコギャルっぽいいでたちだったのである。
フリフリの超ミニスカにハイソックス、とりどりの色の髪に猫耳・パンダ耳を付け、内股のちょこちょこ歩き。
そして意味もなくおじぎをしまくり、携帯電話を手に手に写真を撮りまくる…。
初め口があんぐりとなったが、その後はもう笑いと涙をこらえるのが必死だった。(笑)
中にひときわ派手な、天高く網をかぶったコギャルが出てきてもしや?と思ったら、案の定それが蝶々さんだった。
長いどピンクの髪を高い位置で2つに結って両側に垂らしている。
変な子ゴローちゃんは革ジャンを着ており、ピンカートンさんは迷彩服姿にて登場。
ピンカートンさん…どこか変?何か変?と思いながら、あとで友人に指摘されるまで気付かなかったのだが、
彼は本来、水兵さんだったのではあるまいか?いつの間に陸軍出身にかわったんだ!?
他のすべてがあまりに異様なため、その程度のことは些細なことでしかないのだった…。(笑)
そして登場人物が至る所で下手くそにおじぎをしまくるのは、やはり日本の風刺か…。
最後の方で登場する蝶々さんの息子はといえば、顔を見せるやそそくさと背後に座り込み、
ポケコンを取り出しわきめもふらずゲームに熱中。それを誰もとがめない、注意できる大人はどこにもいない…。
むむむ…。

…と思えば、あら、ちょっと〜オペラのくせに、いいのそんな濃厚っぽいベッドシーン繰り広げて…?
貞節なはずの蝶々さんはその濡れ場の後、薄いピンクのすけすけキャミにすけすけケープ、フレアーパンティという
あられもない下着姿のまま、オペラの最後まで服らしい服をつけることがなかった。
「吉祥如意」と書かれた緑色の巨大な扇子を蝶々の羽根に見立て、舞台中を半裸でひらひらと身軽に舞い踊る蝶々夫人
スタイルの美しい、若いソプラノさんであったのは甚だ救いであった…。(笑)
2幕では、ぎゃっ、ミイラ!…と思うような、顔まで白い布ぐるぐる巻きの人物が出てきてびっくり。
そのミイラが音楽に合わせて苦しみ悶えると、少しずつ布がほぐれていく。やがて布の中から蝶々さんがお誕生。(笑)
つまりさなぎを破って蝶々となる過程を表したものらしく、ここはなるほど見ようによっては、ある種感動的と言えなくもなかったが…。

このほか舞台全幕通して不気味だったのは、舞台のバックに日本の映像が映し出されていたこと。
これが、数年前の六本木?あたりの街ゆく人々だったり、どこかの公団団地の建物だったり、高速道路の渋滞の様子だったり、
オペラの本編とはなんら関わりのない映像なのである。
中でも、蝶々さんの見せ場のバックにア○ム、む○んくん、プ○ミス、武○士といった看板の映像というのはいかがなものか。
「ある晴れた日に」のバックだけは、さすがに青い空・白い雲の映像となったが…。
…すべての脚色に呆然、爆笑、くわばらくわばら、であった。(笑)

しかし、である。
目の前に繰り広げられる光景はそんな様子であるにもかかわらず、
耳に飛び込んでくる音楽については、言語がドイツ語であることは除いてかなり正統な雰囲気、
歌手の力量も配役も良く揃って心地よくすらある。
あの異様な感覚。自分の目で感じているものと耳が感じているものが全く融合しない。
次元が違うものを同時に享受させられる、不気味な体験。
…ここまで来ると、あの脚色もあっぱれとも言えるのかもしれない。(笑)

あのオペラを観て、感動で泣いているご婦人がいたそうである。おそらく現地の人。
確かにもともと感動的な悲劇、歌詞が聴き取れれば感情移入しやすいのかもしれない。
しかし、視覚的にはどう感じたろうか。
現代の(数年前の?)日本の一部の歪められた姿を、遠い国の人々にあのようなかたちで与えて
イメージを固定してしまうのは、少々哀しい気がした。
(現代の日本には否定しきれない部分が少なからずあるだけに…。)
現に私のすぐ前の3席は、2幕の始まりのとき空席となっていた。脚色に驚いて帰ってしまったのではなかろうか。
O嬢は第1幕には怒りすら覚えたという。…複雑な心境に陥った私であった。
惜しむらくは、我々の他に日本人は誰もいなかったため、
あの異様なおかしさと、視覚と聴覚の相いれぬ異常体験について討議し合うことができないことである。
(…なんちゃって、格好を付けているが、私の場合、日本の事情を知る人々とおかしな蝶々夫人
 一緒に笑いとばしたかっただけである。)

それぞれの思いを心の中に残し歌劇場を出ると、なんと外は大雨に雷鳴が轟いていた。
…私の感情の高ぶりがドイツでも雷神を呼んでしまったか。(笑)
外国の慣れぬ道、しかも一張羅の服と靴を濡らしたくなかったのだが、我が旅路に雨は付き物、
覚悟を決め、ミュンヘンの雨に打たれながら一心不乱に駅に向かった我々であった。
 



2005.6.15水 ミュンヘン美術館巡り〜ビアガーデン

ふと気付くと、窓の外が明るくなっていて、電気も消さずメガネもかけたままで、ベッドカバーの上に仰向けに倒れていた。
そうだ、昨夜人々が寝静まった後、テーブルの上を片づけて、荷物の整理をしてから寝ようとベッドに腰掛けたのだが、
どうやらそのまま眠ってしまったらしい…。ぼちぼち旅も中盤。平均して通常の睡眠時間の半分も眠っていなかった私、
疲労も極致。前後不覚になってでも眠れたというのは、良い兆候とも言えよう。
ぼーっとシャワーを浴び、ぼーっと洗濯をしただけでえらく時間がかかってしまった。
何しろ手洗いで洗濯中、水を流したりためたりする一瞬のすきに、気が遠のくのであった。
…よくよく思い出せば、昨日は私の誕生日であった。ぶっとびオペラのショックですっかり忘れていた。(笑)

この日は美術館巡りがメイン。昼前頃か、目的の1軒目の美術館の最寄りの駅へ。
徒歩数分で、ノイエ・ピナコテーク到着。大きな美術館だ。(左写真)
リュックを見とがめられるかと思ったらここは問題なく入れてもらえた。
館内の一室では、中学生くらいの若者たちがひとつの絵の前に座り込んで、
1人の生徒の発表を熱心に聞いていた。
その後ほかの美術館にも行ったが、必ずと言っていいほど、そういう団体に出くわした。
遭遇したのは小学生低学年〜高校生くらいのグループ。たいてい10〜15人程度。
著名な画家の本物の絵を前に、その場で思ったことを発表。日本では行われていない授業の方法である。
引率の先生は大変だろうが、そのような授業があれば子供の興味は確実に美術に向くだろう。
しかし、芸術を自然に尊ぶ風潮がないことには、環境的に実現しない授業ではありそうだ。

ノイエを後にし、向かい合わせのアルテ・ピナコテークの建物の前へ。
こちらは古い絵画が中心に展示されているらしいが、時間の都合で入場は諦める。
横を通って、ピナコテーク・ディ・モデルネ(モダン博物館)へ。
ここがまた巨大な博物館。まだ開館されて数年、ぴかぴかである。
入ると円形の広大なホワイエ。きょろきょろしながらチケットを買い、展示室へ向かう途中
階段の手前で体躯の大きなガードマンさんに待ったをかけられた。…そう、リュックの検問。
あっちにロッカールームがあるとのこと。「あっち」へ行ってみたがわからなかったので、インフォメーションでもう一度聞く。
「階段を下りたところにあって、たった70セントですよ」とのことだった。有料なのね。さすが新しい博物館。
1階〜地階はデザイン中心の展示。2階はモダンの絵画中心。
あちらの美術館・博物館では、目つきの厳しいガードマンが常時巡回しているのが常で、ちょっとおっかない雰囲気がある。
2階の絵画を閲覧中、こわもてのガードマンさんにいきなり声をかけられ、初めは聴き取れず、
また何か叱られるのかと思ったら、ひどいドイツ語訛りの"How are you?"であった。(^^;)
まじめな顔で声かけないでいただきたいわ、こっちは慣れない外国でキンチョウしてるんですから。(笑)

脳味噌がすっかり芸術に染まり心地よくはなったが、ほとんど歩きづめに歩いている。
しかしこの距離…駅に戻って地下鉄2本を乗り継ぐより、歩いた方が絶対早い。
旅にあっては健脚の我々、あきることなく歩き続け、ほどなくマリエン広場付近へ到着。
途中、現在地が地図中のどの道か迷っているところ親切なおじさんが教えてくれたのだが、
(ミュンヘンの人は旅人にフレンドリーで、地図を片手にうろうろしていると、
 気軽に声をかけて助けてくれるのである。有り難や〜。(-人-) )
実は教えてくれた通りは1本筋が違っており(笑)、
目ですぐそこに見えている目的のフラウエン教会に辿り着くのに少々難儀した。

教会の入り口横から、非常に狭い螺旋階段(左写真)を
息を切らしながらのぼり、途中からエレベーター。
玉ねぎ屋根の双子の塔の片方から(右写真は向かいの塔)
ミュンヘンの眺望を楽しんだ後、下に降りて、
教会の礼拝堂へ。

    


この礼拝堂、折り重なる柱によって、
入り口からは一見、
建物のサイドに窓がないように見える。
そのため悪魔が安心して入ったとかで、
入り口下に「悪魔の足跡」が残されている。
うっそでーい!と思いながらも、おもしろいので
思わず自分の足と並べて記念撮影。
悪魔ってば、足でっかーい!(笑)

教会を出ると、身内に注文された厄介な土産物(笑)を探すために、近くの楽譜屋を訪ねる。
1軒目は1階に音楽関係のグッズのある店。ここでかわいい消しゴムを見つけ、
生徒へのお土産にするため大量に購入。
レジのおばちゃんがその様子から察して"Are you a teacher?"と聞いてきたので、
"Yes, I am a violin teacher."と答えると、
なんと1割値引きしてくれた上、お菓子のグミのおまけまでくれた。
なんてラッキー!音楽やってるって素晴らしい!(^0^) (駄菓子をもらったから言うのではない。(笑))

次に2軒目の楽譜屋へ。こちらは音楽書専門店のよう。一見楽譜は見あたらないので尋ねると「楽譜は地下ですよ。」
地下におりると、日本の楽譜屋の様相とまるで違う。楽譜は棚に寝かせて積みあげられていたり、箱に入っている。
楽譜の売り方にも国民性があるのね。ともかく、これでは自力で探しようがない。
お店のおじさんに、バロックのヴァイオリン譜を探している旨伝えると、
次々、二山ほど出してくれた。ヘンレ版のイタリアンバロック曲集の1・2巻を購入。
(2階に安い楽譜があるとS嬢に聞いていたのだが、ここではアプローチしなかった。)
面倒なお土産は片づいたので、あとは適当に一般のお土産を物色したのち、マリエン広場から帰途につく。

アパートに戻って小一時間、休憩したりお土産の整理等するうち、携帯が鳴った。
今夜は念願のビアガーデンなのである!(笑)
駅でS嬢と待ち合わせて、大きな公園の大きな池の向こう側にあるビアガーデンへ。
夜8時。もちろんまだ明るい。しかし、池の畔の良い席はもうジョッキをあおるお客ですっかり埋まっている。
平日なのだが、やはりドイツ人の夏のお楽しみはビールに決まっているらしい!よきかなよきかな!


どどーん。
もちろん私のジョッキは手前のでっかい方。(笑)
プレッツェルにソーセージ、そして中央のスリムなビールの背後には、
ザワークラウトと焼いたブタ。
噂のザワークラウト、千切り干しキャベツの酢漬け(?)らしいが、
まぁたまに少々食べるには問題はないお味か。
ドイツの味覚、概して、食べられなくはないが、
これ毎日だとつらいかも…というものが多い感じ。(笑)

鳥が何羽かおこぼれを頂戴しに地上に舞い降りていたが、どうやら彼らもザワークラウトはあまりお好みでない様子(笑)、
豚肉・ソーセージについては奪い合うように食べていた。
トリ肉…今夜の皿にはなかったので与えなかったが、彼らなら選り好みせずに食べるかもしれない。
(倫理的に問題かもしれないが…。(笑))

だんだんと夜は更けて、湖畔にビアガーデンの灯りが揺れるようになった頃、寒くなったのでお開き。
ビールは初めの大ジョッキのみ。いろいろ味を試したかったのだが、お腹が一杯でかなわず。
かへすがへすも悔しかった…。
 



2005.6.16木 ロマンチック街道バスツアーとムーティ&バイエルン放送交響楽団演奏会

ロマンチック街道、バスツアーに参加。
ネットで予約した日本語ツアーである。
朝7時50分には、地下鉄を2本乗り継いだ先の某ホテルのロビー集合、8時出発。
なんと大きなバスに乗客は6名のみ、あとは日本人のガイドさんと現地の運転手さん。
高速道路にのって南下。車窓はのどか。

ノイシュバンシュタイン城。日本でもあまりに有名なその白い城、
日本人観光客も後を絶たないと見え、行く道すがら、道路脇にたびたび
「ロマンチック街道」と日本語表記された看板を見たのは、やはり少々興ざめであった。
(後に売店で購入したポストカードにも日本語説明が…。嬉しくなーい。(笑))
城の下で観光バスを降り、シャトルバスに乗り換え数分。(他の手段は馬車と徒歩。)
お城内部の見学は予約制、他団体と合流するらしく、日本人が多いと日本語のガイドテープが流され、
その他の国の人はヘッドセットをあてがわれ自国の言語での説明を聞くシステム。
幸いにも日本語テープがまわったため、訪れる部屋ごとに我々のガイドさんの補足説明を聞くことができた。

豪奢としか言いようのない内装。贅を極めた調度。使われなかったオペラの間。
友も持たず、ただひたすらにワーグナーオペラの世界に身を置くことのみに
安らぎを得た孤独な王・ルードヴィヒ2世。
部屋の中が美しければ美しいほどもの悲しさがつのり、狂気すら感じさせる。

ところで外は、青い空。白い雲。…我が旅路には珍しい。(笑)
遠くに目をやれば美しい2つの大きな緑色の湖、さらに向こうにはくっきりとアルプス連峰がそびえている。

城の内部の見学から外に出ると、1時間少々の自由時間。(…と言うか、我々はツアーの食事を希望しなかった。)
持参したパンをベンチに腰掛けてかじる。朝から何も食べていなかったので、それだけでは足りず、
ハンバーガーのようなものを売店で購入し、平らげる。(中身は得体が知れなかった…(笑) )

徒歩にて、集合場所の免税お土産店(トイレに日本語の注意書き多々、ここは日本か?と思った)まで降り、
バスに乗ること小1時間、次なる観光スポットまで。

リンダーホフ城、着。(右写真)
その風景は、何ヶ月か前に偶然見たTVの中の風景そのままであった。
こぢんまりとしたお城。美しい庭。
青い空、白い雲に美しく映える。
(晴れが嬉しいのでしつこかったりする…笑)
 

我々はまずランダムに門があくという人工洞窟に向かった。
お城内部見学の予約時間があるので、
次回のご開帳(笑)がそれに間に合わないようだとアウトとのこと。
道を間違え少々遠回りをしてしまったが、急な坂を上り、
その天の岩戸のような門(左写真)に到着。
しかしやはり提示されている時間まで待つとお城見学ができなくなるため、
諦めてお城に戻る。

お城そのものは小粒ながら、やはり城内は、豪華絢爛そのものであった。
金ぴかの寝室・読書室などもあった。こんなところでくつろげるかぁ〜!(笑)
しかし正直なところ、ここ数日の間、豪華なお城ばかりあれこれ見てきたため、
だんだん自分の感覚が麻痺してきているとも感じた。…慣れってこわい。今なら金ぴかの天蓋つきベッドでも安らかに眠れるかも。(笑)
他に興味深かったのは厨房。配膳エレベーターが王のお食事の間に直結で、
すっかりセットされたディナーテーブルが、舞台に奈落からせり上がってくる歌舞伎俳優のごとく、
するすると上げられたのだとか。
…しかしその実、王は若い頃からの贅沢三昧で歯が悪く、流動食しか食べられなかったため、
厨房もほとんど使われなかったらしい、とはガイドさんの補足。

屋外に出たあと、庭の散策自由時間は30分ほど。
私は連れのO嬢をその場に捨て置き(笑)、万に一つの可能性をかけて天の岩戸(笑)に再び向かった。
2度と来るとは思えない場所、後悔のないようにしたかったのだ。
急な坂を再び上って、時間の確認。どうやら今度のご開門の時間なら何とかぎりぎり間に合いそう。
待つこと15分。その岩の扉が音を立ててあくと、中からアマテラスが…ではなく(笑)、
通路に押し寄せる人並みをかいくぐってほぼ1番に躍り出る。
そこはルードヴィヒ2世が作らせた人工の鍾乳洞。ひんやりとした中を10数メートルほど進むと、
正面にオペラのワンシーンの絵を掲げた泉が現れ、
高らかにワーグナーのタンホイザー序曲が響き渡った。
…感動。というより、さっき見られなかったものを制覇した喜び。(笑)
大慌てで2枚ほど写真を写すと、バスの出発時間に間に合わせんと急ぎ足でその場を去った。

バスにぎりぎりで戻る。ほどなく出発。オーバーアマガウという人でにぎわう保養地を車窓から見学、
ドイツ最古のビール工場のあった僧院とやらの脇もすり抜け、これで観光は終了。
あとは一路ミュンヘンへ。

日本人のガイドさんは感じのいい方で、少人数ということも手伝って、終始気持ちのよいツアーであった。
ドイツの歴史について詳しく勉強していかなかったため、ガイドさんの話がすべて興味深く聞けて、
10時間ものバスツアー、退屈することもなく過ごせた。
安い英語のツアーもあったのだが、若干お高かったものの日本語ツアーにして正解だったと思った。
夕方6時、ミュンヘン着。
市内の渋滞で遅れたりするかと思ったが、運転手さんの巧みな道選びで、時間通りの到着であった。
 

6時半過ぎ、アパートに戻る。
やれやれ、どっこらしょ…とやっている暇はない。
実はこれからコンサートに出掛けるのだ。本当に忙しい日程である。
でも、ムーティ&バイエルン放送交響楽団のチケットが1400円でとれてしまったのだから仕方ない。(笑)
場所はバイエルン州立歌劇場の隣(裏手?)のヘラクレスザール。

お仕事からお帰りになったS嬢と共に出掛けた。
ヘラクレスザールに向かう途中の建物の脇に、順に4体のライオンの鋳物がこちらを向いており、
その鼻をすべてなでるとよいことがあると言われているそうな。
見ればどのライオンもお鼻だけぴかぴか。(笑)
なるほど向こうから来た男性も鼻をなでている。
へぇ〜っと思いつつ、我々もちょっと照れながら次々触っていった。
…よし、これでよい。どんなよいことがあるのか楽しみである。(笑)

ヘラクレスザールは完全な長方形のホールであった。
我々の席は、ホールのサイドの壁面に張り付いている補助席のような席。
この写真で言うと、舞台から左側手前に数えて3本目の柱の奥あたりに位置した。
横からではあるが舞台はよく見え、音響も問題なく、申し分のない席であった。
(やはり一番近いヴァイオリンの音量は若干強めに聞こえた気もするが、私に気になるはずもない。)

プログラムは、モーツアルトのハフナー交響曲に始まり、ハイドンのチェロコン(ヘ長調)、
スクリャービンの3番交響曲「神聖な詩」。
楽団員がちらほらと舞台に現れるや、拍手がわき起こる。…さすが本場。
(やはり舞台側の気持ちを知る者としては、意欲がそそられるというものだ。)
そして現れたるはリッカルド・ムーティ。
日頃オケをあまり聴かない私は、それまでTVでしかお目にかかったことはなかったが、
あ、ちょっとお顔が老けたかな〜?などと身内のような気分。(笑)
すぐに演奏が始まるかと思いきや、ムーティ氏が神妙な顔つきでマイクに向かう。
どうやら偉大な音楽家の訃報を告げているらしい。名前までは聴き取れなかった。
(あとで確認、亡くなったのは偉大な指揮者ジュリーニであった。)
一同起立、そして黙祷。

さて、演奏が始まる。まずはモーツァルトのシンフォニー。
ひょ。かるーい…。
…実は私は、モーツァルトはあまり好んで聴く方ではない。しかしこのモーツァルトはどうだろう。
さくさくとさわやかで透明、自然で、あのわざとらしい軽薄さがどこにも見えない。うつくし〜い。。
この音。もともとのバイエルン放送響の響きなのか、ムーティ氏の音色なのか。はたまたホールか、空気のせいか…?
少なくとも、日本では一度も聞いたことのない音であった。
(一般にアジア人は髪が太く多いため音響に影響するとか聞くが…。)
 

ひょひょ…。(笑) この席からはムーティ先生の指揮もよく見える。
指揮台の上を前に駆け寄ったりしているのまで見てとれる。…おもしろい。
こういう指揮なら、やる気になっちゃう。(笑)

続く、ハイドンのチェロコン。現れたソリストはまだ若く見えるお兄さんであった。
(あとで買ったプログラムによれば、名はJohannes Moser、1979年生まれ。ドイツ語だったので定かでないが。)
これがまた、小気味のよいボウイングをする逸材だった。
ひょひょひょ。軽妙。。
私はチェロの音色は野太い方が好きで、ヒステリックに響きがちな線の細い系はいまいちに感じることが多いのだが、
彼の音は違った。これまでに聴いたことのないチェロの音色…やはり空気のせいだろうか?
超絶技巧を楽しげに演奏するヨハネスくん。音楽もダイナミック!
…ヨーロッパにはこうした若い逸材が多く埋もれているのだ。
日本で四の五の言っていてもノミの戯言のようなものである。
莫大な拍手で4〜5回舞台に呼び戻された彼は、アンコールにバッハの無伴奏を聴かせてくれた。

休憩。S嬢は、誰やら日本人のおじさまと話している。(親しげなので知り合いかと思ったらさっき会った人だったらしい…。
なんでもその人は1ヶ月前に退職して、単身ヨーロッパを旅しているとのことだった。)
2階のバルコニー席を見物に行く。…ふむ。見晴らしはいいが、ここより私の席の方がよいもんね。むふふ。

さて本日のメイン。スクリャービンのシンフォニー。
お恥ずかしながらピアノ曲しか聴いたことがなかった私は、若干おそれていた。
何をか。…眠気に襲われるのを、である。
連日の睡眠不足の中、この日は早起きして10時間のバスツアーをこなしてきた後なのだった。

…しかしその心配は杞憂だった。
演奏が始まりムーティさんの手の動きにぼーっと見とれているうちに、
眠っていない夢の中へいつの間にか入り込んでしまったようだ。
一体、時間はどのくらい経っていたのか。
何度も迫り来る音楽の幻想的な大波に溺れるうち、曲はいつの間にやら終局を迎えた。
3楽章あったはずが切れ目のわからない曲だったため、
単一楽章の一代スペクタクル叙事詩にどどーんと体当たりした気分だった。
…ムー様ったら、濃すぎよっ、派手過ぎよっ。最高〜!(笑)
思わず舞台上の写真など撮ってしまった。
暗いところで若干ズームを効かせたのでちょっとピンぼけだったけど。

帰り際、S嬢に聞いてみた。「今日のコンサートって、こっちでは標準レベルなの?」
S嬢答えて曰く「今日のはアタリです。」
さもありなん、納得納得。こんなの日夜聴いていたら、
快楽にのめりこんでもう日常生活には戻れなくなってしまう。(-人-)
…今日のコンサートがあたったのは、あの幸せを呼ぶ4匹のライオンのぴかぴかの鼻の恩恵かも?(笑)

帰っても興奮さめやらず。その夜は就寝前にビールとワインで乾杯〜!
 



2005.6.17金 美術館巡りその2〜お土産ショッピング〜謎のケイタイ迷惑メール事件〜オペラ椿姫

今日はミュンヘン滞在最終日。明日は朝早くに発たねばならないので、やり残したことがないように過ごさねば。
ということで、まずはレーンバッハ・ギャラリー。近代が中心の美術館で、私におすすめとのこと。
そこだけは行っておかねば。

地図の見方も慣れてきた。
問題なく辿り着き、チケットを買おうとしたら、なんだかレジのおばちゃんがあたふたしている。
なんでもコンピュータが壊れて、発券を手動に切り替えているようだった。
5〜10分待ったか。やっとチケットが出て、入場できた。この日はあらかじめリュックは置いてきた。

ノイエやモデルネのように巨大ではないが、ここも十分広い。
写真やデザインのような展示、絵画もたくさんあった。
カンディンスキーやクレーも多かった。とても楽しい。
規模的にもちょうどよく、たぶん絵画を一番丁寧に見られたのはここだろうと思われる。
この美術館に限ったことではなかったが、O嬢とは絵を見るペースが違うので、館内はほとんど別行動。
だいぶお待たせしてしまった。
例の美術の授業も行われていた。ここで地べたに座り込んでいたのは小学生の子供たちで、
おもにトラなど動物の絵の周りに集まっていたようだ。
ドイツ語でなければ、何を発表しているか立ち聞きするところだったのだが。(笑)

…と、巡回している小柄な監視員の女性が、ドイツ語で話しかけてきた。
私の肩に掛けていたナイロンの手提げバッグを指さしている。
げげ、リュックじゃないのにまだ何か問題が…?
"Sorry, I don't understand..." 当惑の表情を精一杯演じながら英語で言うと、
ま、別にどうでもいいわ、という顔つきをして行ってしまった。
ほっとした反面…そういうのって気になるじゃない〜。一体何を言いたかったのだろう?

ぶらぶらと絵を見て回っていると、今度は背の高いおじさんから英語で声をかけられた。" Are you a chinese? "
なんだか私って、よく声をかけられる気がするんですけど。気のせいかな。
"No, Japanese."と答える。おじさんは続けて言った。
「あーそうなの、私たち、中国人も韓国人も日本人も差がわからないんだよね。君達はわかるの?」
…う、どう答えようか。(^^;)
「はっきりとはわからないけど…だいたいわかると思います。」
「そう。日本のどこから来たの?東京?大阪?」
「名古屋です。」
「それどこかわからない」
「東京と大阪の間です」
「ふーんそうなんだ。大阪から来た知り合いがいてね。…じゃ、楽しい1日をね!」
「あなたもね」
たどたどしくても、これだけ会話ができれば、旅は断然楽しくなる。(^-^)
…あとで思った。愛知って今、万博開催中なんじゃない。すっかり忘れていた。
それを言えばきっと興味を示してくれたはずだったのに、とっさに思いつかなかった。残念!

ミュージアム・ショップものぞいたが買いたいものはなかったので、記念写真を1枚撮って、美術館とはさようなら。
さてお次はどこへ…?…O嬢の見たいと言っていた古い教会はマリエン広場のすぐそばにあるらしい、
そして今日はとにかくお土産を買わないと、ということで、迷わずマリエン広場へ。
ここは、いつ来ても観光客で大にぎわいである。我々ももうこれで何度来ただろうか。
はじめの頃、通りを歩くとライオンの置物が道ばたにちょくちょく置いてあり、
その派手な色使いにぎょっとしたものだったのだが、(ライオンは、バイエルンの旗(?)のデザインになっているらしい)
もうこの頃には気にならないほどになっていた。
ヘンケルのお店、Tシャツショップ、ミュンヘン三越(思っていたより小さかった)もまわり、こまごまとお土産購入。
そしてO嬢につきあってサッカーグッズの店、ぬいぐるみ屋さんも(テディベアの本場ですな)。
おっけー、お土産店で見たいものはこれですべて完了。

ホームグラウンドの駅に戻って、スーパーで最後の買い足し。
まずは、行ったことのなかった上の階を一通り見て回り、缶切りを購入。ドイツ製、やたら丈夫そう。(笑)
そして地下の食料品売り場にて、お土産にするチョコレート、缶入りのソーセージ、バルサミコ、乾燥きのこ、岩塩、
ジャガイモ団子のモト(来る前にガイドブックで見つけておもしろそう!と思っていた)など、
それに、その日の夕食のハンバーガー、肉団子スープ、ビールも調達。
またも、てんこ盛りの荷物で両手がふさがってしまった。(笑)

アパートに帰ったのは午後4時頃だっただろうか。ビールがぬるくならないうちに、早めの食事。
冒険心で買った肉団子のスープは、やはりいまいち。食べられなくはないのだけどねぇ。(笑)

食事が済んだら、いよいよ荷作りである。
最終日の今夜は、再度オペラである。最後の最後まで、勉強熱心な私たち。(笑)
6時過ぎには出掛けねばならないし、帰宅も夜中近くになる、また明朝は早くに発つので、
荷作りは今のうちでないとする時間がない。
着替えもせねばならないし、やはりゆっくりはしていられない。

5時過ぎ。レンタルの携帯電話が、聞き慣れぬ音を短くたて、止んだ。
…あけてみるとメールの通知のようで、イギリスの電話番号からの発信である。(この電話はイギリスの電話であった。)
しかし、「メッセージはない」と書いてある。
メールの機能については、1枚のぺらぺらの説明書には何も記載されていない。
携帯に表示される文字はすべて英語。下手に触って何かあると困るので、とりあえず放っておいて、荷作りに精を出す。

パッキングは小一時間で終わった。
来るときトランクはガラガラで、お土産を詰めるスペースは十分すぎるくらいあったため、
一杯買ったつもりのお土産も、まだまだ隙間があるくらいですっぽりとおさまった。
…しかし、買った品物が、ソーセージ缶(缶入り以外は持ち込み不可)だったり瓶だったり塩だったり、
はたまた分厚くて重い楽譜が2冊もあったり、重いものばかりだったので、トランクの重さたるやかなりのもの。(笑)

ところで携帯である。その後もちょくちょく、さっきと同じメール通知のような音が鳴っては止んでいた。
見るが、さきほどと同じ電話番号からで、相変わらずメッセージはないと表示されている。
しかも、だんだんメール通知の頻度が狭まっているようだ。
あまりにしつこいのでイギリスでも迷惑メールが蔓延しているに違いないと思い、無視を決め込んだ。

一方、S嬢からの連絡を待っているのだが、そちらの電話はいっこうにかかってこない。
今日のオペラは3人で観ることになっており、その待ち合わせについて、
仕事の手があき次第連絡をくださることになっていたのだが…。
仕事が非常事態にでもなっているのだろうか?そんなときにこちらから電話をしてお邪魔するのも申し訳ないし…。

6時半をまわってもまだ沙汰がなかったので、とにかく会場に向かうことにした。
会場は3日前のぶっ飛び蝶々夫人と同じ、ゲルトナープラッツ歌劇場。
迷惑メールはどんどん着信の頻度を増しているにもかかわらず、S嬢からの連絡は待てど暮らせど入らない。
7時、いよいよせっぱ詰まってきたので、マリエン広場に降り立ったところで、
会場に向かって歩きながら、こちらから電話してみた。
「Sさん今どちらにいらっしゃいますか?」
「ゲルトナープラッツの前です。」
「ずっと電話お待ちしてたんですが…」
「電波通じないところにいらしたんですか? ずーっと何度も何度も電話してたんですが、
 出られないので心配していたんですが…」
「へっ?…ここ数分前は電車に乗っていて不通だったかもしれませんが、
 こちらもずっと電話を抱えるようにしてご連絡お待ちしてたんですが…?」
と言ったところで、私はピンと来た。…ひょっとして。あの迷惑メール!!
…しかしとにかくこの場合、原因究明や説明はあとあと。
「えーとにかく、現在、我々そちらに向かって歩いておりますので、数分後に到着できると思います。
 とりあえず、話はそちらに行ってからということで。」
…その後すぐにS嬢とは合流でき、オペラにも問題なく間に合った。
お互い少々心配してしまったが、大事なくてよかったよかった…。
(写真はオペラの幕間に外に出て撮ったもの。夜9時半、自然光である。)

借りた電話機が英国人だったので(笑)、言葉の壁・文化の壁に妨げられて、今となってはその詳細までは明らかでないが、
どうやら謎の迷惑メールは携帯会社の留守番サービスで、すべてS嬢から着信があったという通知だったようである。
…何故切り替わってしまったのだろう?…その経緯をたどってみると。
借りた携帯電話機のデフォルトの着信音は少々耳障りだった。
さらに、人混みの中で、よその日本人観光客(我々同様、空港で借りてきた?)の電話が全く同じ音で鳴り、
慌ててしまったことがあった。
昨夜そんなことを話していたら、S嬢が電話の着信音を変更してくださったのだった。
たぶんそのときに、何か別の設定に誤って触れ、留守番設定に切り替わってしまったに違いない。
…その後、元に戻すべく少々いじってみたが、私には戻す術は見つからなかった。
かける方は普通にかけられたのでその後も何も問題はなかったが、旅の終盤でよかったなぁ、と少々思ったことよ。(笑)
 

ところで、オペラ。今日の演目は椿姫。
席は2階の前列、一番左サイドの3席。つまり舞台に一番近い。直線距離15m(?)というところで歌手が声を張り上げるわけである。
これはなかなか。こういう機会、まず持てるものではない。その上わずか1000円。
S嬢のお知り合いがオケにおられて、関係者の格安チケットをまわしていただいたのだ。
手配の労を執ってくださった皆様に感謝。(-人-)

今度のオペラは、前回の蝶々夫人のようなこともなく、その点安心して聞けた。(笑)
ドイツ語で歌われたこと以外、また、病身のヴィオレッタ嬢
野太い声質のソプラノ(決して体躯はそれ程でもなかった…ヴィオレッタ役は体力的に大変なので、
か細い女性がキャスティングされることの方が珍しいかもしれない)だったことを除けば、
全体には前評判通りオーソドックスな雰囲気の、申し分のないオペラだった。

…しかし。ささいなことではあるが、おいおい大丈夫かぁ?と思ったことが2点ほどあったので、この際挙げておくとしよう。(笑)
まず1点目。舞台上でグラスを床にたたきつけて割ったあと、箒とちりとりでさささっと片付けただけで、
登場人物を裸足で歩き回らせてよいものか。ガラスの破片はかなり飛び散るもの、アブナイじゃないですか。
私は他人事ながらかなりひやひやした。そんなところで聴衆の不安をかき立てる演出はいけません。

2点目。パーティに集う貴族の女たちの中に、帽子としておかしなものをかぶっている人がいるのを発見。
それはどう見ても女性の靴。逆さにのっかっている。つま先が前、ヒールの部分が天を向いてそびえていた。
あれま、ドイツ人にもおふざけが好きな人がいるのね…と、そこまではそれほど気に留めることもなかったのだが、
…ん?…あれは、なんだ???
私は見つけてしまったのだ、もっとすごいものを頭上に頂いている女性がいるのを。
ここでは公衆道徳上、2体の肌色の布製人形、とだけしか記すことができないのが、
残念というか何というか。(笑)
…いいの?そんな、あからさまな格好のモノを舞台上で公然と…。(^^;)
これらの帽子、多くの観客は気付いていなかったかもしれない。(席が舞台から近かった特典かも。)
お隣のS嬢・O嬢とも、後で靴の話はしたものの(O嬢は靴もお気付きでなかったようだったが)、
恥じらいを知る大和撫子(?)としてはもう一つの方は口の端にものぼらせられなかった。(笑)
…全く今日の女性の帽子といい、先日の半裸の蝶々夫人といい、
何と申してよいのやら、我々の感覚では唸らざるを得ない。
しかしひょっとして本場ドイツでは、オペラなんぞ日常過ぎて脚色・演出が出尽くしてしまい、
他に冗談の手段がないのかもしれない、とふと思った。
まぁ確かにオペラの題材なんぞ色恋沙汰だの不倫だの、
よく考えるとあんまりお上品な内容のものはないですな。(^^;)

この日の帰りは雨にも祟られず、平穏な空気の中、ゲルトナープラッツ歌劇場を後にした。
歌劇場を振り返ると、小規模ながら美しい闇に包まれたその外観を捉えることができた。(右写真)
終始、口数が少なかったのは、やはりミュンヘン最後の夜、
名残を惜しんでいたのかもしれない。
地下鉄の駅・マリエン広場の旧市庁舎の夜の姿も、昼とは趣を異にしていた。(左写真)
 



2005.6.18土 さらばミュンヘン

朝。私とO嬢の2人はどちらからともなく無言で起き出して、最終の荷作りをしていた。
まもなくS嬢が起きてきて、朝食の準備をして下さった。
食事を済ませ、片付けもだいたい済ませて、お世話になりましたとS嬢に告げ、
予定の出発時間から若干遅れて、アパートを発つ。
今日も雨は降っていない。移動の日はお天気がよいのがよい。
駅では、あらかじめ調べておいたエレベーターで地下のホームまで直通…のはずが、朝だったためか動いていなかった。
今日はトランクを引きずっているのでエスカレーターがないとつらい。
いつも利用している階段には上りのエスカレーターしかないので、
あわてて下りのエスカレーターを求めて、違う降り口を探す。あった!…よかった。

空港までは電車を1回乗り継いで約1時間。空港行きは1本逃すと20分来ないので、少々急いでいた。
搭乗2時間前に着くように時間を組んであったので1本遅れてもどうということもなかったのだが、
海外ではどんなことがあるかわからないので時間的には余裕を見た方がよいのは言うまでもない。
乗り継ぎの駅はマリエン広場。複雑でなかなか覚えられなかった駅だが、この日の経路はあらかじめ調べてあった。
迷わず乗り継ぎのホームへのエスカレーターに行き着いたのだが、なんとこのときに限って動いていない!
不覚!この長い長い階段(通常の2階分)をこの大荷物を抱えて上までのぼれというのか?
しかし、乗り継ぎの電車はあと数分、手段を選んでいる余裕はない。
覚悟を決めてのぼり始めるが、荷物がとんでもなく重い。
…ふと後ろを振り返ると、向かい側に、動いている上りのエスカレーターがあった。
「Oさん!あっちのエスカレーター動いているよ!」
叫んだが、必死のO嬢の耳には届かず、どんどんのぼっていってしまう…。
彼女のトランクは私より中身が詰まっていて重いはずなのに、火事場の馬鹿力とはこのことか?(笑)
ここで行動を別にするわけにもいかず、仕方なく私も後に続いた。
荷物を運びあげるのは、かなり必死であった。…嗚呼、お土産のソーセージ缶が、チョコレートがぁぁ〜。(泣)


電車には3分ほどの余裕を持って間に合った。ほっとしたが、しばらく肩が痛くて口が利けなかった。
もともと傷んでいる肩と腕…休養の旅でもあるのにこんなことで再び悪化させたら元も子もない。
電車の座席に落ち着いてから、しばらくマッサージを続けた。やがて痛みは多少和らいだ。
車内はだんだん我々のようなトランクを携えた人々が増え、降りる頃には満員になっていた。

ミュンヘンの空港駅に着き、たまたま目の前であいたエレベーターで上にのぼる。
フロアに降り立ったが、今度は目指すべき方向がわからない。しばらく右往左往したが、
インフォメーションを見つけたので、航空券を示して土壇場イングリッシュで尋ねる。
お姉さんはゆっくりはっきりした英語で教えてくれた。アリガトウ、助かりました〜。(ii)
…途中、まだ動いていないルフトハンザのチェックインカウンターを見かけたので一旦そこで立ち止まってしまったが、
O嬢が階上に様子を見に行ってくれて、どうにか本来辿り着くべきカウンターに辿り着いた。
しばらく並んで、無事チェックイン。…やれやれ、である。
ニコニコとチェックインに応対してくれたおばちゃんのペンダントに「一生平安」と漢字で書かれてあったのが妙にうけた。

さて、出国審査を受けゲートの中へ。今度はベルトは取っておいたので問題なく通過。
免税店にて、これが本当に最後のお買い物。
免税店を頼みにしていた買い物がいくつかあったのだが適当な店が見つからず、
代替品を探すのに結構苦労してしまった。

空の旅は、まずは11:30発、1時間のフライトでフランクフルトへ。
到着後1時間半で日本帰国便13:15発に乗り継ぐ段取りになっていた。
フランクフルトでの乗り継ぎはスムーズで、搭乗までの時間はほとんどソファーに腰掛けてぼーっと過ごした。
搭乗待ちの間に自宅に電話を1本入れたあと、電源を切って、
充電機等の入ってるレンタルセットのポーチの中に収めた。
ずいぶんお世話になったが、なかなかお騒がせの携帯電話であった。(笑)

帰国便の機内では、O嬢とは席が大幅に離れてしまった。
それでも行きのようなかわいい隣人に恵まれればと少しだけ期待していたのだが、
何故か私の席は日本人の中年男性グループの真ん中にはまった席で、
グループが並ぶように席を替わりましょうかと申し出たにも関わらず断られてしまった。
日本人独特のマナーの悪さがたびたび目に付いた上、両側からステレオいびき攻撃にあい…少々憤慨。おやじかばん(←カーソルで触れてみよう。)
それでも体の大きな、体臭のきつい外人さんにはさまれるよりはまだましかと思い、
なるべく上映中の映画に没頭するよう自らを仕向けながら、窮屈な時間を過ごした。
 

到着は日本時間の19日(日)朝08:15。定刻の到着であった。
降り立った日本は、朝晩冷えたドイツとはうってかわって、むっとする暑さだった。
ああ〜、帰ってきてしまった。丸8日間、長かったような短かったような…。
良くも悪くもこれが日本、自分の暮らす日本である。
旅を終えて一番思うのは、旅の間に出逢ったすべての人たち、美しい風景や音楽や美術の数々すべてへの感謝である。
どこの国に行っても、同じ人間ならこれだけは通じ合えるという何かを一身に感じながら、我々は旅をさせていただいた。
そして何と言っても、旅のずっと以前から、我々のためにいろいろとお骨折りいただき、
ミュンヘン滞在期間中ご自宅を提供してくださったS嬢に、心から御礼申し上げたいと思う次第である。

…さてこれからどう生きるか。
たかが海外旅行のあとのテーマとしては大袈裟な気もするが、
他国を見てきたあとしばらくは、自国について感じるところも考えるところも、また違った視点からのものとなる。
忙しい旅だったが、その分心の栄養をいっぱい蓄えることができた。この栄養をどのように現実の力にかえていくか。
まずは自分への問いかけから…。
猛暑の眠れぬ日本の夜、向こうで聞いた演奏会のプログラムを手に取る私であった。(-人-)

(終わり)



 
 

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