DIARY 16
♪2002年10月3日(木)晴れ
今日は、母と買い物に渋谷に出掛けた。
その後、私達のお気に入りのお店で食事をした。
なぜお気に入りかというと、「女性同士のお客様には、デザートサービス」が有るからだ。
年齢制限は無いらしく(笑)、母と私でも「女性同士」には違いが無いから、初めて行った時、最後にデザートが出て来て、それ以来、そのお店は私達のお気に入りのお店になっている。
食事をしながら、世間話をしていた。
そして、私の記憶には無い、私の幼い頃の、今となっては笑える話を母が話してくれた。
私は、幼稚園を卒園する頃から小学校1年生の約1年間、「リュウマチ熱」という病気だった。
どんな病気だったかというと、熱が続いて、心臓弁膜症に移行してしまう場合も有って、更には死んじゃうかも、だったんだって!
病気だった事は覚えているんだけど、つらかったとか、どんな風に生活していたとかは、まるで覚えていない。
覚えている事は、検査がやたらと多く、注射をいっぱいされた事。
血液検査で、手の甲の血管から血液を採取された時も、目に涙を溜めてたけど、くやしいのとはずかしいのとで泣かなかった事。
いろんな薬を飲まされて、一番苦い粉薬に、母がちょっとだけお砂糖をまぜて飲ませてくれた事。
ある日の深夜、高熱が出て、病院に行って注射されて、その時もらった薬がガムみたいな薬で、オレンジの味がしておいしかった事。
卒園式の日、「答辞」みたいな物を云う事になっていて、その日も熱が有ったのに、ちゃんと云えた事。
小学校へ入学してからも、体育の時間は見学だった事。
「丸墓山」まで歩いて行く初めての遠足は、母に自転車の後ろに乗せてもらって行った事。
せっかくピアノを買ってもらったのに、1日30分しか弾いちゃいけなかった事。
あとはあまり覚えていない、、、というか、自分に都合の悪い事は、忘れてしまっているらしい、(笑)。
治療法はというと、、、、薬をちゃんと飲んで、とにかく安静にしている事だったそうだ。
安静にしてなくちゃいけないから、カロリーの高い物は、食べさせちゃいけなかったんだって。
母に、「私は、何を食べてたの?」って聞くと、
「なんだったんだろうね〜。でもね、あの頃、おまえはバナナが好きでねー、バナナが食べたいってグズって大変だったんだよ」、だって。
それに、「熱が無い日は外に遊びに行きたがってね、ダメだっていうと、スネちゃって。」だって!
バナナも食べさせてもらえないし、外にも遊びに行かせてもらえない時のグズってる私の様子・・・想像するだけでもスゴイ物が有る、(冷や汗)。
でも、そんな風に母を困らせた事は、何も覚えていない。
母は、お医者さんから、「この病気は、熱が下がると治ったと思って、通院をやめてしまうお母さんがいるのですが、私が、いい、と云うまで通院して下さい。」と云われていたそうだ。
今では、この前の健康診断の検査報告書に、「おめでとうございます」って書いて貰えちゃうくらい元気な私。
母上!どうもありがとうございました。
??年前にグズってしまった事、本当にゴメンナサイ。
これからも、健康に気をつけて、グズらない私で居るように努力します、 m(__)m