記憶に残る名馬達 第五回

「栄光の7歳世代 黄金時代編」


府中競馬場在住K氏(以下K)「さて、次は2002年以降のGT獲得馬について話しましょう」
レポーター(以下R)「・・・多そうだな」
Goh(以下G)「いや、そんなに多くないですよ。3歳で活躍した馬が4歳でもGT勝ちしたん
  で、GT勝ち数は多いんですが、数は意外と少ないんですよ」
R「そうですか・・・ボソッ(早く終わりそうだ、よかった)」
K「ん?何か?」
R「な、何でもありません。さあどんどん進めましょう」
 
K「まずはダート2強の一角ゴールドアリュールです」
G「ダービー5着馬ですが、ダートで強い競馬をしていたのであっさりとダートに戻り、ジャパン
  ダートダービー、ダービーグランプリを連勝してアドマイヤドンとダート2強と呼ばれ、ジャパ
  ンカップダートへ。JCDでは3歳のこの2頭が1,2番人気でしたが、イーグルカフェに破れ
  ます」
R「よりによって・・・イーグルカフェ・・・」
K「中山ダート1800がJCDとして最適な舞台かという大きな疑問は残りましたね」
G「しかしすぐに立ち直り年末の東京大賞典を勝ち、翌年のフェブラリーSを1番人気で制して
  ダートの頂点に立ちました」
K「そして次走にドバイワールドカップを選んで準備したのですが・・・」
R「怪我でもしたんですか?」
G「いえ、イラク戦争勃発で渡航は危険という事で遠征は取りやめになってしまったんです」
R「運が無かった・・・」
K「その年の帝王賞を大敗、喘鳴症を煩い、完治には長期の休養を要するとの事から引退し
  ました」
 
G「次はデュランダルです」
K「短距離の追い込み馬という日本の短距離界では大成するのが難しい脚質の馬です」
R「なぜですか?」
G「GTの舞台を見てもらえばわかりますが、高松宮:中京1200は逃げ、先行有利、スプリン
  ターズSは先行有利で、追い込み馬も届く事はありますが、続けて勝ったりするのは困
  難な設定なんです」
K「ところがこの馬は、逃げ馬が残る展開でも2着、差し有利のヨーイドンでも1着など、展
  開の不利有利に関係ない強いレースができた馬でした」
G「坂口正大厩舎の2002世代カルテットの最上位として活躍しました」
R「なんですかそれ?」
G「デュランダル、メイショウカイドウ、マヤノシャドー、マヤノグレイシーという坂口さんの厩
  舎の稼ぎ頭ですよ」
R「同じ世代なんだ・・・」
G「同じ世代じゃなければよかったのに・・・」
R「?」
G「同じ世代で同じ厩舎でしょ。同じ距離適正の馬が裏開催に進んだり、路線変更を余儀
  なくされたりしていろいろと大変だったんですよ」
R「そうなんですか」
マヤノシャドー「そうなんです」
R「い、今ここに馬がいませんでしたっ???」
K「気のせいですよ。さあ次いきましょう」
R「???」
 
K「次はサニングデールです」
G「3歳の時に古馬混合重賞で2勝と、早くからスプリント路線の次代を担う事を約束され
  たエリートでした」
K「4歳春の高松宮記念で2着と、後一歩まで上り詰めながらも、夏に調子を崩し復帰は
  11月になってしまいました」
G「その間にあったスプリンターズS、マイルCSを連勝したのが同世代のデュランダル!」
R「ありゃ、評価まで逆転されたのか」
K「並みの馬なら、ピークの時期に出走できずに、落ち込んでいつの間にか引退と言うと
  ころでしょうが、この馬は5歳春に復活!高松宮記念を制しました」
G「このレースの2着はデュランダル。3着にも同世代のキーンランドスワンという世代の
  層の厚さを見せ付けました」
K「その後は凡走して引退というように言われているんですが、ダート1200のJBCスプリ
  ントGTで3着とか、それなりの力を見せていたのを名誉のために付け加えておきま
  しょう」
R「珍しく、ネタが無い馬ですね」
G「安心してください、この世代の馬です!」
R「あるのか・・・」
G「これだけの馬だとステップレースでも57キロ以上なんてザラに背負うんですが、57.5
  キロ以上で出たレースは10戦10敗!」
R「500グラム単位で斤量がわかるのかよっ」
 
K「さて次も同じ短距離路線という事でアドマイヤマックスです」
G「2歳から活躍し、東京スポーツ杯(GV)を勝ちますが、朝日杯FSには目もくれずにク
  ラシックに直結するラジオたんぱ杯に出走して2着。ところが骨折で長期休養し春シ
  ーズンを棒に振ります」
R「なんとも勿体無い」
K「復帰はセントライト記念で長期休養にも係わらず1番人気に支持され、2着と力のある
  ところを見せました。本番の菊花賞も2番人気でしたが、こちらは11着に破れておりま
  す」
G「その翌年はマイル路線に路線変更して安田記念2着。以後は短距離路線に定着し高
  松宮記念でGT制覇、デュランダルとの同年代でこの路線の中心馬となります。しかし、
  この頃にはマイルも長すぎるようになっていたようで・・・」
R「菊花賞出た馬がマイルが長いとかいう時点でこの世代の馬だと、なんか納得しました」
K「だんだんこの世代の事がわかってきたようですね」
R「うれしくねーよ」
 
K「さて、次はイングランディーレ。短い距離の馬の話が続いたので長い距離の話をしま
  しょう」
G「ヒシミラクルが春を完全制覇、秋はシンボリクリスエスが締めた4歳でしたが、この2頭
  が怪我・引退でリタイアした翌年の春の天皇賞を制したのがイングランディーレでした」
R「たしかこの2004年は、2003年クラシック世代の4強(ネオユニヴァース、ザッツザプレ
  ンディ、リンカーン、ゼンノロブロイ)が人気になっていましたね」
G「イングランディーレは前の年も春の天皇賞に出走したんです。ダイヤモンドS1着→日経
  賞1着と最高のステップでしたが、『勝ってきたステップが良いので期待しすぎて、正攻
  法で戦ってしまい失敗した』と大敗しました」
K「この2004年春の天皇賞の少し前、競馬関係者のパーティでイングランディーレの馬主さ
  んの社台レーシング吉田さんと横山典が天皇賞何乗るの?という話をしていました。横
  山典の相棒ツルマルボーイは、その年は春の天皇賞にいかないのが確定していたので、
  『いない』という話をしたら近くにいた武豊が『イングランディーレがいるじゃない』で騎乗
  が決まったという逸話があります。ちなみにこのレースの1番人気は武豊騎乗のリンカー
  ンでした」
R「うわぁ・・・」
K「ダイオライト記念からのステップで春の天皇賞を勝った最初の馬です」
R「いや、最初で最後ですよ・・・」
 
K「次はアサクサデンエンです」
R「マイルの馬ですから、デュランダルとか短距離の馬の次に説明すると思ったんですが、
  この順番には意味が?」
K「イングランディーレの後というのはちゃんと意味があるんです。この2頭同じレースに出
  走した事があるんです」
R「片や春の天皇賞馬、片や安田記念馬、一緒に走るってどんな条件のレースですか?」
G「ダート1600MのユニコーンSです」
R「全く関係ないカテゴリやん」
G「ええ、もしユニコーンSで善戦したり勝ってしまっていたら、その路線に進み後のGT勝
  ちは無いんです。負けてよかったという珍しいレースです」
R「確かに・・・」
K「さてアサクサデンエンは2005年の安田記念を勝ちましたが、これは実に大きな一勝だっ
  たんです」
R「シングスピール産駒、初の国内GT勝ちという事ですか?」
K「いや違うんです。この年はクラシックがディープインパクトに牝馬はラインクラフト・シー
  ザリオ・エアメサイア、古馬はダンスインザムードが相変わらず乱調、ダイワメジャー
  も伸び悩み、昨年の秋3冠ゼンノロブロイもイマイチと、関東勢がボロボロで東で唯一
  のGT勝ちがこの安田記念だったんです」
R「・・・危なかったですね」
K「安田記念1着が7番人気、7歳の今年が10番人気で2着と人気にならない美味しい馬
  でした」
 
G「さて、これでGT馬の紹介が終わりました」
K「ウォーミングアップが終わったところですねっ♪」
R「もう帰りたい、帰りたい、帰りたい・・・・・(ブツブツ)」
 
K「さてと・・・次はGTの2着から紹介していきましょう。まずは朝日杯FSの2着ヤマノ
  ブリザード」
G「道営所属の身で一流馬の登竜門である札幌2歳Sを勝ちました」
R「確かこの前年の勝ち馬はダービー馬ジャングルポケットですよね」
K「そうです。この馬にも大きな期待が掛けられ道営から藤沢厩舎に移籍。どれだけの
  期待かわかります」
R「藤沢厩舎か。スゴイな」
G「移籍初戦がGTの朝日杯FS、内を強引にこじ開ける力強い強烈な差し脚を見せた
  ものの2着に破れます」
K「その後、クラシックは弥生賞から出走するも見せ場無く破れ、皐月賞10着。立て直
  して青葉賞3着で日本ダービーに向かいますが、9着と破れます」
G「ちなみにこの時私が買っていた一点勝負は9着ヤマノブリザードと18着サンヴァレー
  の馬連でした」
R「・・・」
K「このダービーの2着が同厩舎のシンボリクリスエス、3着が同じ厩舎のマチカネアカ
  ツキ。これで厩舎の扱いが代わりましたね」
G「菊花賞9着から長期放牧、復帰は翌年のエプソムCでした」
R「長い休養ですが、何かあったんですか?」
G「何もないから長期休養だったんですよ」
R「へ?」
G「あの厩舎はOP馬が多いので、放牧で忘れられて放置というくらい長い休養に入る
  馬が多いんですよね。この時も『忘れられていた』と思われています。ちなみに次に
  忘れられたのがコイントスです」
R「・・・」
K「その後、OPエイプリルSで勝つものの、再び調子が上がらず佐賀競馬に移籍・・・」
R「北からだんだん南に移ってきたな・・・」
 
G「皐月賞2着はタイガーカフェ。皐月賞の力強い先行抜けだしを見てその隠された実
  力に驚いた人は多かったと思います」
K「その後4年間、隠された実力は隠れたままでした」
G「準OPを抜けたのは2006年の6月・・・。同い年のアサクサキニナルと2年に渡り準
  OPで繰り広げた壮絶な死闘が印象に残っています」
 
G「菊花賞2着はファストタテヤマ。クビ差だけヒシミラクルに破れました。この差がその
  後の2頭の運命を分けたかもしれません」
K「上がり3ハロンだけに全力を掛ける馬でした。どんなペースだろうと最後方待機です」
R「極端な脚質ですね」
K「デイリー杯2歳からこんなレースしかできない馬でした」
R「普通、2歳って逃げ・先行脚質じゃないか?」
K「クラシックに入ってからも全く同じレースをしてたんですが、京都新聞杯を勝つなどハ
  マれば強烈な馬でした」
G「イングランディーレの勝った天皇賞も逃げ馬のペースに関係なく、上がり3ハロンだけ
  に全力を尽くし、メンバー最速の上がりタイム34.7を記録しました」
R「何着だったんですか?」
K「11着!順位は関係ありません。上がりだけに賭ける脚がこの馬の魅力の全てです」
R「レースに参加しろよ・・・」
 
G「2004年の宝塚記念2着はシルクフェイマス。3歳には神戸新聞杯にも出走しているん
  ですが、参加しただけ。本格化は父マーベラスサンデーと同様に4歳の夏からでした」
K「北海道シリーズから5連勝で春の天皇賞出走。いきなりのGTで3着。続く宝塚記念は
  2着と、この馬が頂点を狙えると思われた時期でした」
G「しかし当時は致命的な弱点がありまして、雨が一滴でも降ると大敗しておりました。
  7歳になり克服したんですが、シルクフェイマス好みのペースを作れる馬が引退して
  おり、自分からレースを作る(逃げる)といったレースをしなくてはならず、GT勝ちは
  遠くなりました」
K「7歳秋は札幌記念から始動・・・したと思ったら故障で復帰は来春の予定・・・」
R「来春って、その時には8歳・・・」
G「GU3勝をあげながらもGTでは2着1回3着3回。中・長距離路線の怪物、ディープ
  インパクトが有馬で引退する事が確定していたんで、来年のGTを取りにいったのだ
  と思います・・・が!」
K「この年の秋で、この世代はじめGTを狙えそうな馬が軒並み怪我で引退するんです。」
G「この馬が怪我したのが7月。早々に現役続行を決めているあたり、厩舎の期待は解る
  んですが、7歳で重賞勝ってしまった事で、完全に引退タイミングを逃しましたね」
R「血統も悪く無いし、種牡馬入り出来る実績はあると思うんですが」
G「まぁ来年の層が薄くなったと前向きに捉えつつ、ファンとしても期待しますよ。一刻も
  早く見切りつけてくれる事を・・・」
 
K「2006年の宝塚記念2着はナリタセンチュリー。3歳の1月にデビューしたものの本格化
  は5歳でした。そしてこの馬が活躍し始めた時期にサクラセンチュリーという馬もちょう
  ど活躍していましてだいぶ混乱させられたものです」
G「春天皇賞5着、秋天皇賞6着、JC5着。2004年の京都大賞典は秋古馬3冠のゼンノ
  ロブロイに勝っているなど実力はトップクラスでしたが、体が弱く6歳はたった2戦しか
  できませんでした。そして7歳になり1年2ヶ月ぶりに春の天皇賞に出走し12着に破れ
  ますが、2戦目の宝塚記念はディープインパクトの2着と好走し改めてその実力の高さ
  をアピール。秋に大きな期待が掛けられていたものの、屈腱炎を発症し引退しました」
R「本当に休みが多い馬ですね」
K「武豊・柴田善・吉田稔といった騎手も騎乗していますが、全8勝は田島裕でした」
G「ちなみにナリタセンチュリーは5歳の時に3勝していますが、この年の田島裕も3勝。
  全勝ち星がナリタセンチュリーでした」
R「なんと言いますか『人馬一体』ってこうゆう事を言うんですかね」
G「・・・違うと思いますが、間違ってはいません」
 
K「さて、やっとこれから本番ですにゃ〜〜〜〜」
R「まだ続くのか〜〜〜」
つづく


to be continued