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04.3.11
回想エッセー
[8] 
【念願の東京に到着】

11月29日。
きょうは、ふじみとむ。さんの『玉川温泉ガン闘病日記』出版を祝う会。
午後2時すぎ、乗り込んだ新幹線「はやて」が東京駅に滑り込んだ。
とうとう東京にたどりついた、祝賀会にたどりついた。
ホームには欽也さんが笑顔で待っていてくれ、その脇に初めてのひろこさんと、娘たち2人。
外は雨だった。てちさんも来てるのかな。
中央線に乗り換えて飯田橋へ。
ホテルは近いけどタクシーでホテルエドモントへ。

きょうの余興にと思い、竹の横笛を持参。
しかし、全然この1年ねぷたばやしの音は出していない。
できれば思いっきり音を出して練習したいと思い、フロントにその旨を問い合わせたら、隣に聞こえ失礼になるので大きい音は出さないで欲しいとのこと。
しかたなく、小さな音で主に指の動きを確認するにとどめる。
まぁ、本番はなるようになるだろう。



【幹事が集まる】

ホテルにあるコンビニで水と傘を買い、欽也さん、ひろこさん親子と会場へ。
傘を差しながら歩き、神楽坂を上る。途中人気だという「五十番」の肉まんを横に見ながら、日本出版クラブ会館に。
あぴさんが一人先に待っていた。あぴさんとは二度目で、そのあぴさんから思わずお国言葉(青森に近い秋田)が飛び出し、自分もつられて応対。
くまのぷ〜さん、Hayateさんも到着し、欽也幹事長の下でいろいろ打ち合わせ。そうしてるうちに、主役のとむさんが現れた。
前年の玉川で会ったときから見ると、大分色白で細身になったが、それでもしっかりした足取りでとびきりの笑顔を見せた。
「皆さんどうも」。その声も非常にきれいで心地よい響き。
いよいよ出版を祝う会が始まる・・・



【祝う会打ち合わせはMLで】

とむさん闘病4年目の2003年5月。
「癌性リンパ管症」の疑いと診断。余命3カ月という。
その3カ月が過ぎた8月。
とむさんに1本のメールが入る。
秋田の無明舎出版から、玉川温泉のガン闘病記出版の打診。
とむさんは、それまで書きためた日記を基に執筆を開始した。
10月に執筆終了、当初は12月出版予定だったが、出版社の配慮もあり、11月20日発売と決まった。

それまでは、漠然と出版記念会をやろうね…的な会話だったが、いざ出版の日が決まり、なんか落ち着かなくなった。
自分の中では「絶対やりたい」という思いに。
11月初め、とむさんにメールで「玉川がいい、それとも宮城がいい?」などと打診したところ、やっぱり一番人が集まりやすい「東京がいい」ということで、まず「東京でやる」ことに。
これにはやっぱり欽也さんが一番の適任ということで、欽也さんに幹事長をお願いしたところ快諾。Hayateさんと自分の3人で発起人となり「11月29日」と決まった。
さらに幹事としてひろこさん、あぴさん、くまのぷ〜さんの女性陣を加え、メーリングリスト(ML)で打ち合わせを重ねた。終わってみると実に164回を数えた。



【続々と集まり、サイン会も】

さて祝う会。
開会の午後5時半前から、次々と集まってくる。
kanonさん親子の知った顔もあるが、ほとんど会うのは初めての人たちばかり。webで会話はしてるので、とにかく会うのが楽しみで、来た人みんなにHNを確認しては顔を一致させる。だいたい覚えられたのには自分でもビックリ。
なな恵さんはなぜか、すんなりと自分もおとぼけ状態で会話ができた。はるさんは、その若さに最初は「はるの部屋」のはるさんとは認識できず、あとで「エッもしかして」ともう一度確認するありさま。いちごさんは、想像通りのはつらつとした20代の若い女性。言葉も勢いがあり、どこか跳んでいる。そんなことをしているうちに、コク・ムックさんも懐かしい顔を見せた。ひろこさんの子供たちも含め、総勢31人がそろった。
とむさんは会場の特別席で、サイン会。
当日本を購入した人、持参した人に丁寧にサインしてもらった。
「一日一生 ありがとう」と。
なんか段々雰囲気が盛り上がってきた感じ。





【あぴさんとなまり言葉で司会】

今回、司会の大役を仰せつかった。
司会はいろんな会で何度か経験してるので、それほど緊張ということもなかったが、問題は「声」が続くか。
そんな心配もあり、助手をあぴさんにお願いする。
お互い、秋田、津軽弁で会話できる仲。そんなことも含めて楽しく笑いながらできればいいかなと思った。
そういうことで会は「なまり言葉」の司会で始まった。

欽也さんが主催者のあいさつをきっちり決める。さすが幹事長という感じで、本の出版に至るまでや、エピソード、この会の開かれるまでを分かりやすく述べてくれた。
お祝いの言葉は、秋田から駆け付けてくれた無明舎出版の安倍社長が、その人柄を示すように機知とユーモアに富んだ内容。とむさんへの執筆依頼のいきさつや、とむさんの不思議な文章力などを話したあと、「がん」つながりという「刺青持ち」の中にいて、居心地が悪いものだと話し、会場の笑いを誘う。このあと、丸山ワクチンでとむさんがお世話になってるS先生からもお祝いの言葉をいただいた。遠い所から急きょの出席でこちらも非常にうれしいものがあった。



【とむさん、とつとつと語る】

記念品贈呈では、参加者全員から写真立てを贈り、これはくまのぷ〜さんが選んでくれたもので、彼女に渡してもらった。出席はかなわなかったがikkouさんから花束が届き、これはなな恵さんにお願いし、ひさゆきさんも花束を用意、心を込めて渡した。

本日の主賓である著者ふじみとむ。さんのあいさつ。はじめは書いた紙を読んでたのだが、本人もどうも話しづらそう。そうしてるうちにその紙をポケットに入れてしまった。改めて、自分の言葉でとつとつと語り出した。本人の思いがたっぷりと詰まっていることを改めて感じた。
乾杯の発声は、静岡から駆け付けた玉川温泉でのがん友Mさんが、一所懸命にグラスを掲げてくれた。



【和やかに会話楽しむ】

このころ、司会ではあるが自分もかなり飲み、だいぶご機嫌状態。
kanonさんMINIさん親子からサンタの帽子を借りてかぶり、マイクを持ちながら、あちこちを回り歩く。同郷のすーじーさん、あつこさん、なんかそう思う気持ちがなれなれしくさせる。
やすさん、もう想像どおりのひげ面だが、むさくるしさがなく、なんとも人なつこい。うみさん、ミサキさん(てちさんの妹)にもごあいさつ。晴実さんも元気印だ。
ひろこさんの娘たちも歩き回り、和やかな雰囲気に。上のお姉ちゃんは一生懸命にビデオを回してくれた。
とむさんの玉川温泉でのがん友で、最近卒業された方の奥様のす〜さんとその娘さんとも「初めまして」とごあいさつ。なんとも気さくな似たもの美人親子で、次の日の朝食もご一緒した。
また、ミセス・アントワープさんや、SUZUさん、ぷっくらこさんとも言葉を交わすことができた。



【奥さんから感謝の手紙も】

お祝いの電報は、元うぐいす嬢のあぴさんが、なんともなまりのないきれいな、それも透き通る声で披露。
また、Hayateさんが、参加者全員の名前を呼んで「出欠」をとり、皆さん手を上げてこたえてくれた。
テーブルスピーチは、ひさゆきさん、ひろこさん、kanonさんに、それぞれの思いを語っていただいた。

このころになると、自分もかなり酔いが回ってきてるので、これはヤバイと思い、まだ大丈夫なうちに「ねぷたばやし」をやろうと決心。笛を持って舞台に上がった。全然練習してなかったので、すごく不安だったけどなんとか音は出てくれた(汗)。

最後は、とむさんの奥さんの手紙をひろこさんが代読。感謝の念がつづられた感激の手紙だった。

そして、名残惜しくもHayateさんの一本締めで、一次会はめでたくおひらきとなった。



【思い出という土産抱え】

PS:二次会は近くの居酒屋だったのだが、自分自身が酔ってしまいだいぶ記憶があいまいなため、割愛させていただく。とにかくここでも楽しかったという思いだけは残っている。
次の日は同じホテルの泊まり組、とむさん、欽也さん、Hayateさん、kanonさん親子、す〜さん親子と一緒に朝食をとり、またまた話が弾む。

そして東京駅…
楽しい思い出というお土産を胸いっぱいに詰め、それぞれ満足の表情で帰路に着いた。

[写真提供 くまのぷ〜さんほか]




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