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03.1.21
回想エッセー
[4] 

「上京・その長い一日」

長男daiが今春、高校を卒業しコンピューター関係の専門学校に入学が決まった。
自分も高校卒業後、東京のマスコミ関係だが専門学校を選んだ。
最近そんな話題をdaiとじっくり話し、あの人生で一番長かった一日が走馬灯のようによみがえったので、書き留めておこうと思う。

【空港へぎりぎりセーフ】
昭和52年(1977)4月10日。
この記念する日は、ぜひ初めての飛行機で上京したいと父母に懇願、なぜか三沢空港から飛ぶことになった。
車で3時間は有に掛かる。
県南に詳しい兄のようないとこが、空港まで乗せていってくれることになった。
その日の朝、自分の上京を祝ったものか、はたまた別のものかは分からないが、とのかく二日酔い以上の状態で、兄いとこが青い顔をしてやってきた。
それでもとにかく空港を目指して出発したが、その運転は最悪のふらふら状態。
途中何度も止まってはゲロゲロで、時間ばかりがやけに早く過ぎていくが、車がなかなか進まない。
焦りに焦ったが、ほんの数分のところでぎりぎりセーフで飛行機に乗った。

【機内での会話が】
初めての空の旅ということで、気分も上昇。
が、隣に座ったおばさんが、なんと標準語で話し掛けてきた。
標準語で会話などしたことがない。
「僕は、僕は・・」でなかなか言葉が出てこない。
冷や汗もので血圧も上昇。

【羽田空港で別の人の車へ】
羽田には、東京で仕事をしているMいとこが迎えに来てくれた。
なかなか見つからず心細い思いをしていると、遅れてMがやって来た。
道路が混んで遅くなったのだという。これでホッと一安心。
で「車を持ってくるから少し待ってろ」と言ってまた目の前から消えた。
心待ちに待っていると玄関に車が来た、あわてて荷物を後ろの座席に置き助手席に乗り込んだ。
さぁーと、運転席を見たら、エッ…??全然知らない人でビックリ。
相手も開いた口がふさがらないという感じで、あ然。
平謝りに謝った。

【道に迷い車をこする】
学校は東京・港区だが、寮は川崎・高津区。
Mが地図を頼りに首都高速などを走り、玉川を超え高津に入った。
目的の寮は、住宅街の一角で結構込み入った路地も多く、一方通行もありなかなかたどり着けない。
そうしてるうちに、車が通れないような路地に入ってしまい、思わず車をこすってしまう。
もう前には進めない、がその先に寮がある。
自分がそこで降りて寮に向かい、Mはバックして別の道を探すことにした。

【部屋のドアが開かない】
寮の自分の部屋は2階で、4畳半の一人部屋。
案内されて入ると、送ってあった布団がドンと置かれていた。
「さー、いよいよ新しい生活が始まる」と心を新たにする。
とりあえず、寮の中を覚えようと部屋を出ようとしたが、取っ手が空回りしてドアが開いてくれない。
困った。どうしよう。・・またまた心細くなってしまった。
結局、Mいとこが来てくれたので、無事脱出することができた。

【周りは知らない人ばかり】
近くの商店で、必要な買い物をしたあと、Mが帰った。
ホントに独りになった。周りは知らない人ばかり。
ドキドキしながら食堂へ行ったら、何人かがテレビを見ていた。
先輩もいるんだろうと思い、頭を下げて言葉を発しようとするが、やっぱりうまい具合に言葉にならない。愛想笑いをしながら、部屋へ帰った。
間もなく、夕食の時間になり食堂へ行った。男子寮の15人ほどが一同に集まった。
皆さん、結構親しい感じで会話をして食事をしてるように見える。が、自分はなかなかキッカケがつかめず、またまた心細く・・。
もう食事が終わろうとするころ一人が「みんなぁ、よければこの後、○○号室に集まらないか」と呼び掛けた。

【なんとみんな一期生】
その部屋には10人ほどが集まった。車座に座った。
みんなに呼びかけたFが気を利かせたのか、目の前には酒類が用意されていた。
そしてなんと「自分たちは一期生で、この寮も全員新顔なので仲良くやろうぜ」と言うではないか。
まず、一期生というのに驚いた。が「みんな地方から出て来て自分と同じなんだ」と思ったら、心が軽くなった。みんなの会話もよく聞くと、それぞれに訛りがある。
そんなことでお酒にも手伝ってもらったが、その夜は忘れられない人たちとの出会いとなった。

人生転機の日の長い長い一日だった。
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