父を迎えに神戸へ

駅のホームで、母の手に絡まっていると、遠くから聞こえてきた。
「ポーーー」、汽笛だ。
しばらく待っていると、「シュシュシュシュ」という音が大きくなり、煙と一緒に汽車がやって来た。
煙をもくもく上げながら、力強い機関車の音とともに、視界に段々大きく広がってくる真っ黒い物体に、心がときめいた。
「シュッシュッシューーー」
ホームに黒光りした機関車が入り、白い水蒸気を吐き出して止まった。

いま思うと、学齢前の記憶なのでそれほど定かではないが、イメージとしてはそんな感じだった。
そうやって、見送りの人に手を振り、何人かの人と一緒に母と汽車に乗り込んだ。
たぶん奥羽線で、青森から大阪まで行く汽車だったと思う。
学齢前はそうやって、何度か汽車に乗り込んだ。
というのは、船乗りの父を神戸へ迎えにいくためだ。

父は捕鯨船に乗っていた。
母船を中心に船団を組んだ大規模な捕鯨で、夏は北半球の北洋へ、冬は南半球の南氷洋へいって鯨を捕った。「オーロラも見た」とよく話してくれた。
年に2回くらい家に帰ってきたんだろうか。その辺の記憶は定かではないが、わたしの兄弟3人がみんな同じ時期(冬)に生まれているので、春にも帰って来たんだろう。
とにかく体のそれも上半身の筋肉はすごいもので、首から肩にかけては二段三段に盛り上がっていて、二の腕も隆々としていた。そんな背中や肩に乗っかっては飛び跳ねていた記憶がある。

汽車は普通の木製の堅いいすで、寝台ではなかったようだ。左右のいすの肘掛を端から端まで渡り歩いて遊んだ。たくさんの人が乗り合わせていたように思う。
ずっと頭に残っているのが神戸の三ノ宮、あの阪神淡路大震災では大打撃を受けたところだ。
この港に捕鯨を終えた船団が帰ってくるのだ。
ここの岸壁でも、母の手に絡まっていると、どこかからか吹奏楽団がやって来て、演奏を始めた。迎えの家族もたくさんいる。力強い演奏の調べにに迎えられ、船団がゆっくり港に入ってくるというのだ。なんか子供心にもおごそかな感じでワクワクした。
そうして待っていると、大船団が港に入ってきて岸壁に接岸された。

その船の中へ入った。
あの独特の船の匂いは、いまも記憶の中にある。
寝台が2段くらいになっていたのだろうか。
ふっと見ると、片足を包帯でぐるぐる巻きにした人が座っていた。けがをしたという。
そのとき「大変な仕事をしてるんだ」と思ったような気もする。
風呂場へも連れていってもらった。もちろん海水なのでとてもしょっぱかった。
そんなこんなで、船の中を走り回ったのだろうか。

夜は神戸の街を歩いた。
父と母の二人の手にぶら下がって歩いた。
ネオンというのを始めて見た。
電飾が縦や横に動いたり、赤や青や黄色が消えたり付いたり、幻想の世界にいるようで、夜がこんなに明るいのをうらやましく思った。
そのころ、夜の我が家の周りは真っ暗闇で、独りでは怖くて外へ出られなかった。トイレは外にあったので、いつも母などに付いてきてもらっていたのだ。



土産とクジラと父

父は、わたしが小学校3、4年生のころ(昭和40年代前半)まで船に乗っていた。
いつも帰って来るときは、いろんなお土産を持ってきた。
中でも、毎回バナナは欠かさなかったと思う。
父も待ってたが、バナナも待っていた。
仏壇に供えられたバナナを見ては、「もう食べてもいい」という声を待っていた。
我が家では、お盆や正月のほかに父が帰った日にも、大好きなバナナを食べることができた。
最後のお土産はテープレコーダーをねだった。
そして差し出されたのが、なんと小さな箱だった。
初めて見る、変な箱はなんとカセットデッキだった。
カセットテープなるものは、まだこの田舎まで流通しておらず、カルチャーショックを受け、そしてうれしかった。たぶん近所の遊び友達に見せびらかしたように思う。

父は家に帰ると、よく寝ていた。
そして、たまに映画を観てはそばやで「もっきり」(お酒)を引っかけて、ラーメンを食べて帰ってくるのだ。
また当時としては、結構珍しかったオートバイに乗っていた。自分を前のガソリンタンクの丸い上に座らせ、実家などへドライブした。父も婿だが、母とは大恋愛の末だという。

もちろんクジラは食べ放題だった。
これをさばくのも父だった。
あのバイキングの剣のような包丁を持って、クジラの塊をさばいていく。
血や脂が付いて切れにくくなると、皿の底で包丁を2、3回研ぎ、リズミカルにまたさばく。
子供心にカッコいいと思った。
それを湯がいて、ご近所に配る。
と、待っていたかのように、近くの「ケヤグ」(友人)らが集まってくる。
囲炉裏を囲み、酒盛りがはじまる。
クジラの刺身など珍しいものも出され、父もご満悦。
自分もそのクジラを小学校の時は学校へ持っていき、先生方に食べてもらい大満足だった。

力持ちで、男らしく、仕事が出来るカッコいい父を、いまでも誇りに思っている。
回想エッセー目次へ
回想エッセー目次へ
02.10.10
回想エッセー
[2] 

「捕 鯨 船」