ガンダムMK-III
MSF-007(RX-166)


ガンダムMKIII

MSF−007(RX−166)

 U.C.0087末に完成した試作戦術攻撃型MS。ガンダムMKIII(MKIII)
は、一年戦争時のガンダム神話をいまだ崇拝する連邦軍により、RX−178“ガン
ダムMKII”(MKII)において一度は失敗に終わった純粋なRX−78“ガンダ
ム”(ガンダム)の後継機、そして最強の時期主力MSを目指しキリマンジャロ基地
において型式コードRX−166として開発された。(なおRX−166の前2桁の
16はキリマンジャロ基地を、末尾の6は同基地での開発順番が6番目の機体である
ということを表している。)

 MKUは戦後の新技術を用いてガンダムを復活させるというコンセプトで開発され
たが、機体強度の低さと構造の複雑さという欠点を抱え、機体の開発者自らして「旧
型機となんら代わるところはなく失敗作である」とされてしまう。しかし、一部の技
術者は新技術である360度全天周囲モニターを用いた新型リニアシートや、構造の
複雑さを招いたとされたムーバルフレームの持つフレシキビリティと、さらにこれを
組み込んだMSのメンテナンスの容易さを高く評価するものもいた。

 このような評価と、軍上層部の新型ガンダムを保有すべきだとの意見に後押しさ
れ、MKUの改良、発展機をテーマにMKVの開発が決定された。だが、戦後多くの
試作MSの開発が進められたにもかかわらず、連邦の技術で、見通しが全くつかな
かったのが装甲材質の改善であった。連邦軍はこれを克服する最終手段として、U.
C.0084から意図的にその関係を疎遠にしてきたアナハイムエレクトロニクスの
技術陣をメインバイザーに擁して、MKV開発プロジェクトをスタートさせる。そこ
までしても連邦はアナハイムの持つガンダリュウムの精製技術を欲していた。

 一方、アナハイムエレクトロニクスが連邦とのMKVの共同開発を決定したのは、
表向きには関係修復のためであったが、エウーゴによるMKU奪取後から着目してい
た、ムーバルフレームが持つ独自的な技術の開発データを細部まで自社の技術にリー
クするための目論見もあった。このためにムーバルフレームのシステムの柔軟性と剛
性、さらに生産のための単純化も開発における必要クリアー条件の一つに付け加えら
れた。

 両者の思惑が渦巻く中、MKVの装甲材質には連邦の要求通りガンダリュウムγが
調達される。また、新型のムーバルフレームの完成もこれに加わり、結果として機体
の大幅な軽量化につながることとなった。(これは、MKU奪取後におけるエウーゴ
のプロジェクトZの一環である、ガンダリュウムγとムーバルフレームの融合がこの
時点において、連邦軍にももたらされていたといえる。)この軽量化で武装のペイ
ロードも大幅に増加し、装備可能となったオプションスラスターにより、MKV単体
でも十分であった機動性をさらに高めることにも成功した。

機体スペックも、開発時に設定したものは全てクリアーしており、完成時に主流にな
りつつあったT.F.MS(トランスフォームモビールスーツ)と比較しても航続距
離等の項目以外では遜色のない出来であるといえた。トライアルを繰り返すにつれ、
当初は汎用試作型に区分けされていたMKVも、もはやそれには当てはまらないと判
断され試作戦術攻撃型MSに変更されることになる。

 その後、純連邦用のMSとして開発されたMKVだったが、キリマンジャロ基地が
連邦軍を掌握したティターンズの本拠地になったことと、開発スタート時における、
MKUの設計プラン借用のみかえり要求などの政治的圧力により、ティターンズのフ
ラッグシップMSとして接収されてしまう。その時点において、MKVは一応の完成
をみていたのだが、すぐに一部装甲の意味の無い形状変更を強いられることになり、
装甲換装が行われた。(これは、地球至上主義のティターンズが、スペースノイドの
代表企業とも言えるアナハイムの技術者を主任として完成されたMKVに対して、お
こなったささやかな抵抗であると思われる。)




当初、エゥーゴ及びカラバのキリマンジャロ基地攻略において焼失したとされていた
MKVだったが、それは大破した機体ナンバーが、1号機にあたる01だったための
誤報であったとされている。しかし、後日焼失した機体を含め、同機が3機同時に製
造されていたことが確認されてからはほぼ同時に起こった残り2体のMKVをめぐっ
ての不祥事(後述)を、連邦軍が隠すための虚偽の発表だったのでは?と唱えるもの
も少なくない。

 事実、メールシュトローム作戦直前にアナハイムエレクトロニクスが、MKVを自
社開発MS(開発コードMSF-007)として発表したことにも連邦軍は公式には異論
を唱えていない

 このとき発表されたのは、塗色こそ変えられていたものの装甲は換装後の物と同一
形状のものだった。今日オフィシャルとして知られているのはこの時の機体である。
その後MKVはエゥーゴに供給されることになるが、ではなぜアナハイムエレクトロ
ニクスがMKVの生産時、改装後の装甲を採用したのかという疑問がわいてくると思
う。

 ここからの話は推論の域を出ないが、実はMKVが数機完成したのは機体発表後で
はなく、それ以前で、アナハイムエレクトロニクス首脳陣と親密であった(一部では
これを事実無根とする意見もある)とされるジャミトフ・ハイマン大将やバスク・オ
ム大佐の戦死後の、連邦の実権がエゥーゴに移りつつある時だったのではないだろう
か?真意は定かではないが、ティターンズからのMKV生産依頼をアナハイムエレク
トロニクスが請けたのはトライアル終了直前であったとの噂もあり、それならば、既
に完成していたこの装甲形状のMKVを、アナハイムエレクトロニクスが当時の戦況
を判断し、戦役後の利益確保のため急遽エゥーゴへ供給変更したということで説明が
つく。

 様々な経緯をたどりながらも高性能を示したMKVではあったが、アナハイムエレ
クトロニクスではブァリアブルタイプガンダムの生産が優先され、MKVは数機のみ
で生産を打ち切られた。




参考資料 プロジェクトZ・ミッションZZ(モデルグラフィクッス刊) Bクラブ 5号(バンダイ刊)

       MS ENCYCLOPEDIA(メディアワークス刊)






ガンダムMKV2号機

GUSION

(グシオン)

U.C.0087年代の連邦製試作MSは、同時に3体製造されることが基本とされ
ており、MKVもこの類にもれず3機が同時に製造されていた。しかし完成の直後
に、急遽一部装甲の変更命令(前述)が通達され、無重力トライアルのスケジュール
に合わせ、専用装備を施していた2・3号機の2体のうち、2号機(機体ナンバー0
2)の装甲換装を最優先に作業がされた。

 換装後の2号機は、1・3号機とは印象を大きく異なるものにしていた。その一番
の要因は、1・3号機が今までのガンダムフェイスとほぼ同系のものをマスクデザイ
ンに使用しているのに対し、2号機のそれは今までの物とは一線をかす、スパルタン
かつ威圧的なものであった。

機体のカラーは、当然のことながらティターンズのメインカラーである、ダークブ
ルー系のものとされた。

2号機の装甲換装終了後、2・3号機の2体は直ちに宇宙へアナハイムスタッフを
含めたデータ収集斑と一緒に宇宙に運ばれ、偶然にも焼失を免れる結果となる。

 だが、トライアルの最中にティターンズのキリマンジャロ基地壊滅及び、シャア・
アズナブルによるダカール演説の報が入り、MKVの開発研究班のなかにアナハイム
の技術陣はもとより、連邦軍に籍を置く技術者及びテストパイロットにもエウーゴに
賛同するものが現れはじめた。間もなくして、MKVを奪取しようとする事件がその
ものたちの手により起こることになる。

 この事件で2号機も強奪されかけたものの、辛くも、阻むことができたが3号機に
ついては、これを取り逃がしてしまう。(このとき2号機の機体そのものの回収はで
きたものの、2・3号機の両テストパイロット及びエウーゴ派の研究メンバーの逃亡
は許してしまっている。)

事件後、2号機には新しく専属パイロットが派遣され、それと同時に奪取されたMK
V3号機と便宜上区別するために、グシオンのコードネームがつけられた。グシオン
はエゥーゴ所属の3号機破壊のため追撃部隊のMS隊に組み込まれ、それを境に同型
機の3号機とは幾度となく戦場で合間見えることとなる。

 MKV開発以降も地球圏におけるガンダムタイプのMS開発はノンブァリアブルタ
イプを基本としており、キリマンジャロ基地焼失以前にティターンズがオーガスター
研究所に送ったMKVのデータを基に、準サイコミュウ兵器搭載のガンダムMKW、
更にガンダムMKXが開発されている。






ガンダムMKV3号機

EGLEY

(イグレイ)




焼失を免れた、MKVのうちの一機。基本的にはこの3号機と、焼失したとされる1
号機の装甲形状は同一である。それは、完成後、装甲換装を急がれた2号機とは別
に、1号機の装甲換装は、は重力下仕様のテストが優先されたため後回しにされ、3
号機(機体ナンバー03)はオリジナル装甲と新型装甲との比較のために装甲の換装
はされなかったためである。

この3号機のオリジナル装甲の一部が、MSN-100やMSA-003と酷似してい
るのは、開発の当初からアナハイムのスタッフがかかわっていたためであろう。

 2号機の装甲換装後、無重力トライアル参加のため、宇宙に送られたMKVのアナ
ハイム技術陣のなかには、この開発がティターンズの傘下のものとなってきたことに
より、MKVの完成後にスペースノイドである自分たちの身の危険を危惧する者も少
なくなかった。

そんなおりに報じられたキリマンジェロ基地崩壊と、シャア・アズナブルによるダ
カール演説が、ガンダムMKVの奪取と、エウーゴへの逃亡を決意させることにな
る。

幸い、ティターンズ内部が混乱しはじめていた事と、連邦軍スタッフのなかにも協力
者が現れたことにより、アナハイムスタッフを中心としたグループによる逃亡と、そ
れに伴うMKV3号機の奪取は成功するに至った。

これでティターンズ(地球連邦軍)は2度にわたり、ガンダムタイプのMSをスペー
スノイドに奪取されたことになってしまった。(公にはされていないが、U.C.0
083時のデラーズフリートによるGP02の強奪を含めると3度目となる。)




エウーゴに渡った3号機は、アナハイムの息がより濃くかかった実戦データ収集部隊
に配備され、他のアナハイム製の試作MSとともに末期のグリプス戦争、第一次ネオ
ジオン抗争に参戦、開発時に期待した以上の性能を撃墜スコアにより証明している。

その際に、開発当初につけられた愛称のイグレイが機体識別の通信コードとして使わ
れていたといわれている。

なおMKVの武装が2号機と3号機において違うのは、奪取時において武装が2機と
も一切施されていなかったためであり、その後両軍特有の武装がそれぞれに施された
ためだという。

定かではないが、3号機については、アナハイムが施した試作武装の中に準サイコ
ミュウ兵器の一種のような物を搭載した記録もあったといわれている。




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