旧東海道再び(戸塚から小田原まで)


2006年3月5日(日)

旧東海道再びの第二弾。

今日もIw君と一緒だ。
8時。 前回の終了地点、戸塚の大踏切から出発する。
昔は箱根駅伝のコースだった宿場内の旧東海道。
着々と準備が進む交差化工事が完了すれば、旧道コースが復活するかも知れない。
 戸塚大踏切

何本もの列車を見送り、少なくとも5分は待たされて走行開始。
ここは開かずの踏切なのだ。

戸塚宿の上方見付跡を過ぎて戸塚の大坂にとりつく。
大坂下・大坂台・大坂上と字名にも残る、まさに胸突き八丁の坂。
Iw君、坂あがりはまだまだ苦手の様子。 あえぎながら追いついてきた。

上りつめると、バイパスに合流し、交通量もぐっと多くなる。
車道は拡幅工事が完了し、高機能舗装で走りやすそうだが、自歩道はガタガタ。
それこそバリアフリーなどとは縁遠い、ひどい道だ。

大坂上からゆるゆると下りながら、途中に一里塚跡。
自転車の目線では見つからない、見上げるような場所に説明板があった。
空気が澄んでいれば、このあたりからでも富士山が見えるのだが、
今日は目をこらしても見えない。
 原宿一里塚跡

さらにすすんで原宿交差点。
神奈川の交通情報ではよく耳にする場所である。
 原宿の交差点

藤沢に入って間もなく松並木跡の碑。
道路の右側(京都に向かって)にあるので一旦道を渡ることになる。
藤沢一里塚の跡かと思って近づいたら、違っていたのだった。
 松並木跡

その肝心の一里塚跡を見落として遊行寺に到着。
時刻は9時。
立派な冠木門から続く参道は、四十八段のいろは坂だが、
今日は門前で失礼する。
 遊行寺総門

遊行寺前の三曲がりが旧街道。
朱塗りの橋を渡って先へ進む。

辻堂の一里塚、茅ヶ崎駅に程近い茅ヶ崎の一里塚を過ぎて鳥井戸橋。
辻堂一里塚跡 茅ヶ崎一里塚跡

ここは左富士の名所なのだが、うっすらとしか見えない。
おまけにファミレスやら倉庫やらに囲まれて台無しなのは残念だ。
 鳥井戸橋 南湖の左富士(富士山わかりますか?)

馬入橋を渡ったところで10時。 ペースはこんなものか。
だが、車道で巡航状態に入るとIw君、やや遅れ気味になる。
ときどき後ろを振り返って速度を緩める。

富士山もだんだんと大きく見えてきたが、霞んでいる。
 馬入橋からの富士山

平塚駅前を過ぎて、平塚宿江戸見付跡。
ここは道路の右側に史蹟が多く残っている。
自歩道は広めで走り易い。
 平塚宿問屋場跡(建物は消防団の詰所)

問屋場跡から旧街道をはなれて平塚という地名の由来そのままの平塚に寄り道する。
 平塚の碑

整備された小さな公園内には、紅白の梅の花が咲いていていい香りがする。
風は穏やか。 天気も良く、気温もずいぶん上がってきた。
 平塚の塚の梅

平塚宿を過ぎて大磯宿。
この付近の旧道は前回走っていない。
どうも旧道への分かれ道を見過ごしていたらしい。

実は今回も見過ごしていて、京都側から旧道に入って日本橋方向へ逆戻り。
本来の分かれ道まで戻ってUターンという面倒なことになってしまった。
化粧坂の一里塚跡を見つけて一安心だ。
化粧坂一里塚跡

本陣跡には蕎麦屋。
軽く腹ごしらえでも、と思ったが、小腹が空いている、というほどでもなく通り過ぎる。
 大磯宿本陣跡

国府本郷の一里塚、押切坂の一里塚を過ぎて、国府津駅前。
曽我の梅林もきっと見頃だろうなと思いつつ直進する。
国府本郷一里塚跡 押切坂一里塚跡

小八幡の一里塚は危うく見過ごすところだった。
森戸川に架かる親木橋を渡った先にある『一里塚』のバス停が目印だ。
一里塚から1キロほど走ったところに1号線の80キロポストがある。
一里塚バス停 小八幡一里塚跡 80キロポスト

小田原宿、山王原の一里塚はちょうど江戸口見付のあたり。
往時の二十里がちょうどこの場所ということだ。
山王原一里塚跡

小田原城に着いたところで、時刻は13時ちょっと過ぎ。
時間的にはまだまだ走れるが、今日の旅はここで終了だ。 
城内を少しばかり散策。 ここの梅もちょうど見頃。
 小田原城の梅

しめくくりは小田原城近くにある料理屋での昼食。
地の魚で一杯やりながら反省会にする。

聞けばやはりペースが速すぎたらしく、ちょっとバテ気味だったとか。
いやいやこれは申し訳なかった。

 小田原駅にて

一時間ほどのゆっくりした食事を終えて小田原駅で帰り仕度。
まだまだ陽は高く、電車の中はポカポカでついウトウトしてしまう。

箱根越えは秋口あたりにしたいとIw君。
トレーニングを積んで、箱根の坂を押さずに登りきるつもりなのだろうか。

本日の走行距離:49キロ

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