中仙道(其の三 太田から中津川まで)


2005年10月31日(月)

中仙道旅も三日目。早朝6時半に宿を出る。
今日のルートが今回二泊三日の中仙道旅のメインであり、最大の難所でもある。
御嵩宿から大井宿(恵那)までのルートは、2.5万図でも黒線や破線ばかりが目立つ。
できれば『押し』や『担ぎ』などは御免なのだが、併走する舗装路も無いのだ。
サイクリングならぬハイキングになることを想定して、できるだけ早く出発することにした。
太田宿のはずれにはまだ灯りの残る常夜灯。 一枚厚着をする。
 太田宿出立(06:30)

木曽川を太田橋で渡る。
無骨な造りの3連曲弦ワーレントラス橋が、朝陽に映えて美しい。
併設して新橋が架橋されるらしく、工事が進んでいる。
この無骨な橋も是非残してほしいものだ。
 太田橋

橋を渡って左に折れる。JR太多線の下をくぐると、突然に道の状態が良くなった。
まだ仕上げ工事中の新道のようで、手持ちの地図には載っていない。
いい気分でしばらく走っていたら、いつの間にか名鉄広見線が左に見えている。
旧街道のルートでは右側に見えるはず。

そのうち新道が唐突に途切れ、その先は細い田舎道になっている。
これはどうにも道を間違えてしまったようだ。
さきほどの線路が見えているから、大きくは外れていない。
架線を目印に御嵩口駅にたどりつき、本来のルートに復帰できた。
となりの御嵩駅で登校途中の小学生に出会う。
そうか、今日は平日なのだった。
 御嵩駅(07:30)

御嵩駅付近が御嵩宿である。
 御嵩宿

わずかに往時の面影が残る朝の宿場を駆け抜ける。
国道21号線に合流して1キロほど走ると、木造の東海自然歩道の道標とともに
青地に白文字の道標。 どこの管轄で整備されたものか判らないが
この先はこの道標が案内役のようだ。
そしてここから地図上でいえば黒線や破線の実走が始まる。
 いよいよ山道へ(07:45)

国道から分かれた旧街道は有無を云わせず山の方へと向かっている。
最初の洗礼は牛の鼻欠け坂。 本名を西洞(さいと)坂という。
荷物を背負った牛が、あまりに急なこの坂を上っているうちに
鼻が擦れて欠けてしまうのだとか。
取り付きは歩きやすい草生した道なのだが、やがて山道になる。
が、鼻を欠くほどのことはない。 200メートルほどの坂である。
 牛の鼻欠け坂

一旦舗装路に出たのもつかのま、謡(うとう)坂の石畳が現れる。
昨日も同じ名前、うとう坂の石畳を通ったのだ。

民族学者、柳田国男の名著『遠野物語』に記された一話の解説によれば
ウトとは両側高く切込みたる路のことなり。
東海道の諸国にてウタウ坂謡坂などといふは
すべて此の如き小さき切り通しのことならん。
とあるのだが、中仙道のうとう坂は切り通しでは無い。

ここから細久手宿手前まで、僅かの舗装路を除いて山道である。
押しの一手で1時間半近い道のりだ。
 謡(うとう)坂石畳(08:05)

 謡坂十本木の一里塚(08:15)

 山の中を進む

 鴨之巣の一里塚(09:00)

平岩の集落で舗装路に出る。
坂道を下ったところに雑貨店を発見した。
これから先も自販機の類は期待できそうにないので、
スポーツドリンクの予備を一本補給しておく。
 平岩の集落で舗装路に出る(09:20)

雑貨店から道なりに走っていると、どうもまた雰囲気が怪しい。
旧街道の匂いがしなくなってきたのだ。
雑貨店まで引き返して再走。 
山のほうへ分け入る脇道に進むしかないようだ。

500メートルほどの小道を抜けると舗装路になる。
ここからから細久手宿を抜けて八瀬沢まで、舗装路が続いて生き返る。
 細久手宿『旅館大黒屋』で小休止(09:40)

 奥之田の一里塚(09:50)

 右へ行くべきだった分かれ道

 おかげで馬に出会えました

細久手宿から30分ほど。
八瀬沢にある琵琶峠の上り口に到着。
往時の道中記には『道至つて険しく岩石多く、上下十町ばかりなり。
坂の上より丑寅の方に木曽の御岳見ゆる。』とある。
 琵琶峠西上り口(左へ)(10:15)

平成9年から12年にかけて往時の状態に復元された石畳だが、
相棒と一緒では歩きにくいこと甚だしい。
担ぎにもトライしてみたが、荷物が重いのと、脚の疲れですぐに断念。
ガチャガチャとチェーンの音もにぎやかに押して進むしかない。
 八瀬沢の一里塚

 ひたすら続く石畳

峠の頂上には和宮歌碑がある。
『住み馴れし 都路いでてけふいくひ いそぐとつらき 東路のたび』と読める。
中仙道は、公武合体の犠牲者と言っていい、和宮の道でもある。

ここからさらに展望峠へと登る道が続いているが、行かない。
 琵琶峠頂上(10:30)

上り下りで約20分の峠越えを終えて、再び舗装路。
間もなく、奇岩、二つ岩が左手に見える。
言い伝えによれば、陰陽を表しているという。
烏帽子岩は横幅10メートルはあるだろうか。
母衣岩はその倍くらいはありそうだ。
二つ岩
烏帽子岩 [ 陽石 ] 母衣(ほろ)岩 [ 陰石 ]
付近の山の手を良く見れば、同じような大岩がゴロゴロしている。

二つ岩から5分ほど走れば大湫(おおくて)宿に入る。
宿場はずれの高札場は往時のように復元されているが、
隣に大湫宿の石碑がある。
 大湫(おおくて)宿 高札場(10:50)

宿場を抜けたところから、十三峠にかかる。
十三峠とは大湫宿から大井宿に続く山道のこと。
ここからおよそ西行坂までの10キロあまりのことを言うらしい。
峠口の手前に雑貨屋があった。
空になりかけたメインのペットボトルを満タンにしておく。
 十三峠入口(10:55)

ここからすでに押しモード。 すぐに山道となる。
道端には坂の名を刻んだ石碑が随所に建っている。
高さはいずれも30センチほどと、お地蔵さん並みである。
目に付いたものだけ写真に撮る。
竜子ヶ根 山之神坂 しゃれこ坂(八丁坂) 曽根松坂

山道はアップ、ダウン、アップ、アップといった感じか。
道幅は車一台が通れるほどで、ゆったりしている。
路面もきちんと整備されており、歩き易い。
ハイキングコースとして楽しむなら、とても良い道なのだが、
相棒と一緒となると話は別だ。

MTBの極太タイヤなら大丈夫に思えるが、路面には角のある
小石が敷き詰められ、ハチサンタイヤがここではか弱く見える。
たとえ平らな部分でも、乗っていけばちょっとした拍子に
バーストしてしまいそうなのだ。
 権現山の一里塚(11:35)

そんな山道はやがてぐっと下り、一旦開けた場所に出る。
大きな岩に中山道と刻んだ石碑がある。
ここからまた山道へと分け入っていく。
 中山道石碑(12:05)

この先は少しアップで、ダウン、ストレート。といった感じ。
とにかく起伏が激しいことは確かだ。
三城峠 ばばが茶屋跡
茶屋坂と読める
西坂 里すくも坂と読めるが
黒すくも坂説も

乗って行きたいけれどパンクが怖い。
だから押して行くしかないのだ。
 紅坂の一里塚(道の両側)(12:30)

平六坂と読める

乱れ橋を渡ったところから始まる乱れ坂はまた石畳である。
 乱れ坂の石畳

乱れ坂

乱れ坂を上りつめ、槙ヶ根付近まで来ると、
中央自動車道や国道19号線を行く車の音が近くに
聞こえて来て、なぜかほっとする。

ここに名古屋に向かう下街道(したかいどう)との追分がある。
中仙道の宿場を保護する目的で、商人や荷の通行が禁じられていたという
いわくつきの街道であるが、なにしろ山の中を行くより楽なのである。
理不尽な掟は守られがたく、裁定沙汰も多かったようである。
 槙ヶ根追分(13:10)

この先で一旦舗装路に出るが、左手の工場がやけに埃っぽくて閉口する。
再び山道に入るが、ちょうど尾根づたいを行く道のようで、空が開けて明るい。
500メートルほどで槙ヶ根の一里塚。 高みからの眺めがいい。
 槙ヶ根の一里塚(道の両側)(13:25)

十三峠もいよいよ最後。 西行坂は、またまた石畳である。
下りでの石畳は琵琶峠以来のことだ。
 西行坂(13:30)

西行塚付近で石畳は舗装路になり、待ってました、とばかりに相棒に跨り、風を切る。
高速道路をくぐり抜け、JR中央本線を踏切で越えて山越えは終了。
1キロほど走って長島(おさしま)橋を渡ると大井宿である。


用も無いのに恵那駅に立ち寄り、交通手段の発展を実感する。
 恵那駅到着(13:45)

大井宿を抜けて今回の中仙道旅の最終目的地、中津川に向かう。
宿場を抜けると坂道が多くなり、寺坂の先は山道にも無かった階段だった。
階段は担ぐしかない ←ここは 寺坂

関戸の一里塚は見落としたが、三ツ家、中津の一里塚を過ぎて、いよいよ中津川の宿場が近い。
中津の一里塚の先にある急坂は、小手ノ木坂というらしい。
坂の名前の石碑は、この先の中仙道にはいくつあるのだろうか。
小手ノ木坂

恵那駅から1時間と15分ほど。
ようやく宿場らしい街並みが見えてきた。
杉玉の下がる造り酒屋が目にとまる。
 中津川宿(14:55)

みやげ物の地酒を手に入れて中津川駅へ。
少しばかり紅葉が始まっているのか、恵那山がよく見える。
 中津川駅到着(15:15) 恵那山を望む

さすがに三日間も走るとペダルも固く締まっている。
外すのに苦労しながら、中津川から先のことと、走り残した
三条大橋から草津までの再挑戦のことを考える。

暖冬なら近いうちに。 厳冬で雪が多いなら雪解け後か。
 中津川駅にて帰路

本日の走行距離:62キロ

三日間の合計:202キロ

記録トップページに戻る


トップページに戻る