塩の道(其の七 千国街道 白馬〜糸魚川)


2005年7月30日(土)

今日こそ嶺方峠、と張り切るが天気予報は芳しくない。
午後から山沿いで雷雨という予報なのだ。
山の上がだめなら、昨日源流を見た姫川の河口、糸魚川まで走ろうということになった。
北塩ルートの起点まで走れるとなれば、これもまたいい。
雨が降ってくれば大糸線輪行でショートカットする手もある。

9時半出発。
岩岳、栂池高原など、昔スキーバスに揺られて来たスキー場を通りすぎる。
あの時泊まったのはどこだったのか、すっかり忘れているし、
夏の姿を見ても、昔の記憶とまったく結びつかない。
 岩岳スキー場

千国の集落を下っていると、大きな茅葺屋根が見えてきた。
 牛方宿

牛方宿とある。
中に入れるようだ。


ここは、かつて塩の道における輸送の主役、牛とともに泊まるための宿だったらしい。
間口6間、奥行10間というから、建物だけで60坪近い大きな家。
一人前の牛方は、一度に牛六頭とともに移動したらしいから、
こんな大きく見える宿でも、牛方一人と牛六頭が一度に泊まれば手狭に見える。

中に入ると、うっすら煙が充満し、いぶされているようだ。
暗さに目が慣れるまでしばらくかかる。
茶の間に招かれてお茶とハタンキョウ(スモモ)を頂く。
スモモと呼ばずにハタンキョウと呼んでいた言葉の響きがいい。

目の前の囲炉裏にくべられた薪からチロチロと炎が上がっている。
自在カギに吊るされた古い鉄瓶から湯気が昇っている。
煙を追いかけて見上げていくと、天井が高い。
囲炉裏の煙は柱や萱に沁み込んで、防腐剤や虫避けの役目を果たす。
しかし、これだけ立派なつくりは初めてだ。

中が冷んやりしているのは土間のせいだろう。
外は暑いが、別世界のようだ。
 重みがあるね

一息ついたあと、部屋を見てまわる。
上座敷の床の間に家相をしるした軸が掛けてある。
周囲にはその方向に見える星座も描いてあって興味深い。
 見取り図 左上が北、右下が南 

茶の間に戻ってみると、中年女性の観光客が、
女主人にはたを織ってほしいとたのんでいる。
飾り物かと思っていたら、きちんと動くようだ。
カタン、カタンと動き始めたはた織り機。
リズミカルな音を聞いていると気分も安らいでくる。
 はた織機も現役

あまりの居心地よさに1時間も長居してしまった。
もう12時近い。 ちょっとだけ急がねば。
 千国の集落

牛方宿から10分あまり。
千国の番所を通過する。
往時はここで牛方達から税を徴収していたのである。
 千国番所



この先は寄り道のあてもなく、糸魚川目指してひた走ることになる。
交通量の多い国道148線を避けるため、なるべく旧道を選んで進みたかったが
たちまち姫川橋から先の2つのトンネルはエスケープできなくなった。

夜間走行用の反射テープをたすきにし、フラッシュライトをオン。
いざ、トンネルへと突入する。
車のエンジン音以上に不気味なうなりを上げる排気用ファン。
たよりないバッテリーライトもあいまって、怪談話より肝が冷える。
いつものことながらトンネル走行は嫌なものだ。
 姫川橋

トンネルを抜けたところで時刻は13時。
すぐ先にある道の駅『小谷』で昼食にする。
ひざが笑っているような緊張感をほぐす目的もある。

昼を食べながら、この先のルートを検討。
最大の難関は大所トンネル。
ここは葛葉峠を越えてエスケープしようということになった。

13時30分走行再開。
塩坂トンネルを旧道でやりすごす。
さすが旧道、車がまったく通らないのはいいが、トンネルは電気が消されていた。
肝試しの第二弾としては趣向が凝りすぎている。
 真っ暗闇の旧道トンネル

一旦148号に出てまた旧道へ。
湯原トンネルをやりすごし、そのまま葛葉峠に向かって登りが始まる。
途中にある国界橋はその名のとおり、長野県と新潟県の境にある。
とうとう新潟県まで来たのだ。
 国界橋を渡る

国界橋をわたり、いよいよ峠道かと進んでみると、その先は草ぼうぼうのどうみても廃道。
車止めもわざとはずされているように見える。
標識はかかっているが、やめておいたほうが良さそうだ。
仕方なく国道まで降りる。
 廃道?の県道375号

ということは、大所トンネルを抜けるしかなくなった。
全長2315メートルの長大トンネル。
日光で走った日足トンネル(2765メートル)よりは短いが、ここは交通量が多い動脈なのだ。
無事に抜けられることだけを考えてアタック開始。

知らず知らずにスピードが上がる。 若干の下り勾配なのだ。
30キロは出ているだろう。 早く抜けたいのだ。
途中2ヶ所の退避場所が長大トンネルの証。
幸運にも危険を感じることもなく抜けることができたが、肝は凍りついている。

トンネルを抜けると雨が降っていた。
 大所トンネル

大所トンネルの先はスノーシェードの連続
小滝までの間に28ものスノーシェードが続いているのだ。
おかげで雨に濡れる心配は無くなった。
外の明かりが見えている分、恐怖感は少ないが、道幅が狭いのは同じ。
景色を楽しむ余裕もなく、ひたすらペダルをこぎ続けた。

小滝から先はようやく道幅も広くなり、走りやすくなる。
姫川も小滝川と合流し、川幅をぐっと広げたみたいだ。
小滝川上流にはヒスイの産地がある。

郊外型の商業施設が見え始め、街に近づいたことがわかる。
JRの跨線橋を渡り、一度離れた姫川へと向かう。
河口付近の川幅は300メートル以上ありそうだ。
姫川と書くとおとなしい川に思われそうだが、雪崩や鉄砲水などで
何度も道路や鉄道を寸断した。
『とんでもない暴れ川』と宮脇俊三の著書では紹介されている。
 これも姫川橋

河口の向こうに日本海が見えている。
 姫川河口

姫川河口からややしばらく西へ走り、海辺の公園へ。
波打ち際まで歩いて海水を含んでみる。
はじめての海に来たごあいさつ。
当然だがしょっぱい。
『荒れる日本海』は冬のことか、この景色だけみると、
暑さもあって太平洋側と変わらない。
 やってきたぞ日本海

ほんのちょっとしたきっかけから、かかわりを持つようになった塩の道。
糸魚川まで走ったことで、残すところ塩尻から松本、松本から信濃大町だけになった。
往時の経路を正確にたどれば、南塩ルートも北塩ルートも険しい山道をたどるしかないが、
まあ、この2日間の国道沿いルートでもよしとしたい。

糸魚川からの帰路は予定どおり輪行。
越えてきた山のほうでゴロゴロ鳴っている。 天気予報は当たったようだ。

一両編成のディーゼル車両がブルンブルンと動き始めたとたんに大粒の雨。
車内の冷房が効いていて、外が蒸しているのだろう。
窓の外が曇ってしまった。

 糸魚川駅にて 国鉄色のキハ52 115

 大糸線輪行の図 車両はキハ52 156

 テーブルの下のこれ。 何だか知っているあなたはチョイ鉄。

本日の走行距離:65キロ

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