塩の道(其の五 掛川から相良町まで)
2005年1月23日(日)
2005年の走り初め
久しぶりにパシフィックでツーリングだ。 相棒1号は改装中なのだ。
昨年の塩の道ツアーでは、その起点となる相良町から掛川の間をスキップしている。
今日のイベントは、ちょうどその区間を走るもの。
集合は9時30分。 10時スタートだから気分的には楽だが、
毎度おなじみのこだま441号を使うしかない。
掛川駅から集合場所のヤマハリゾートつま恋へ自走する。
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久々のツーリング任務 |
参加者の皆さん |
参加者の皆さん |
集合時間が近づくにつれ、なつかしい面々と久しぶりの再会。
そして少々遅い新年の挨拶になる。
ブリーフィングを済ませて予定どおり10時走行開始。
今日は雲が厚く寒い。 雨にならないことを願う。
広大なつま恋の敷地を出て、早くも上小笠川に沿うように残る塩の道に合流する。
上小笠川沿いに走る
御門(みかど)付近に古い常夜灯が残っている。
地図上では『御門』という表記だが、古くは『三門』とも書いていたらしい。
大きく豊かな集落だったようである。
御門(みかど)付近
応声教院で小休止。
その時は知らなかったが、調べてみると、のんべえ地蔵なるものがあるらしい。
見てみたかった。
ここは斉衡2年(856年)の開山。 天台宗から浄土宗に改宗したとある。
応声教院
細い生活道路をクネクネと進んで行く。
ときおり塩の道の標があって、これでようやく塩の道とわかるほどだ。
ほんのわずかだが、地道が残っている部分もある。
こう複雑だと、いきなり行って正確にトレースするのは無理。
今回もらったルートマップは大切にしよう。
上小笠川が菊川に合流するあたりから先も、細い路地をクネクネと進む。
平坦な道だし、スピードも出ないので体も温まらない。
磯部の正林寺あたりで山越えとなる。
あえて山道を進むのが、このツアーのこだわりである。
短い急坂は押しの一手
登ればお茶畑が広がるのどかな風景。
曇り空に緑もくすんで見えるのが残念だ。
とうとう小さな雨粒がポツリポツリと落ちてきた。
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下る途中に遺跡の発掘現場があった。
かなり規模は大きいように見えるが、調査が終われば埋め戻され、バイパスになるようだ。
相良の町に入ると一転、喧騒な街中の風景になる。
観光案内所には塩の道の大きな看板が出ている。
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走り始めて約2時間。
塩の道起点の碑に到着した。
何を主張するでもなく、小さな敷地にぽつねんと建っている。
だが掛川から塩尻まで走った私にとってこれは特別。
『起点』の文字が大きく見える。
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起点の碑の近くで『相良の根上りマツ』が見られる。
宝永4年(1707)の大津波の時、根を覆っていた砂が流され、
空中に根ざしているように見える。
樹種はクロマツらしいが、根が露出しても枯れない性質だそうだ。
この時の津波は、宝永の大地震と呼ばれる地震によるものだが、
この49日後、富士山には宝永の大噴火が発生したのである。
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さらに海岸まで走って、製塩所を訪ねる。
こここそ、塩の道の原点である。
相良では、揚げ浜式と呼ばれる製法で塩が作られる。
ちょうど大釜での煮詰め作業をおこなっていた。
その小屋のなかで昼食となった。
冷たい浜風を避けてくれるうえに、火があって暖かいのがうれしい。
手作りお弁当の昼食
静岡の海岸線には、海がめの産卵場所がいくつかあるが、
ここ相良の海岸もそのひとつである。
地元の参加者によると、『子供の頃、海がめの卵食べたことあるな』
『そうそう、1コ10円で売ってた』のだとか。
今はもちろん、そんなことできません。
冬の海岸はやはり殺風景
往路に時間を掛けすぎて、帰りは現代の道を通るが、ちょっとだけ寄り道。
相良の油田は太平洋岸唯一の油田。
明治から大正にかけての最盛期には、150もの井戸があったそうだが、今ではたった一つ。
深さ310メートルの井戸が残っているだけである。
明治時代の年産721キロリットルというのが記録だそうだが、
現代の一人あたり石油消費量は年間2キロリットル。
ほんのわずかな量だ。
復元された作業小屋には坑内に空気を送る踏鞴(たたら)も復元されている。
要はふいごの大型版で、4〜8人の人夫がシーソーのように動かしたのである。。
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復元された作業小屋 |
復元手掘井戸と踏鞴(たたら) |
油田の証 |
黒田家住宅は、往時の代官屋敷である。
長屋門が重要文化財に指定されているが、驚いたのは1ヘクタールもある
屋敷の周りに堀がめぐっていることである。
船着場まであってまるで城郭のようだ。
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代官屋敷黒田邸見取り図 |
国指定重要文化財
黒田家主屋長屋門 |
つま恋に帰り着いた頃には、雨も強くなってきた。
相棒が濡れるのを嫌うサイクリスト達は、早々に帰り仕度である。
家までの帰路、気温はいっそう低くなり、熱海あたりから雪になった。
実はつま恋から掛川間の塩の道を走っていないので、完走できていない。
公式ツアーと別に走るつもりだったが、雨が降ってきたのでやめたのだ。
ここはまたいずれ近いうちに。
本日の走行距離:54キロ
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