旧東海道(岡崎から宮まで)


2003年12月14日(日)

二日連続の東海道旅。
7時に宿を発つ。 日の出の時刻は過ぎているがまだ太陽は見えない。
今日も冬らしい寒さは無く、かえって気持ちいいくらいだ。

岡崎城の大手門前から旅を再開。
復元された大手門はさすがに大きく、威容を誇っている。

 岡崎城大手門

岡崎城を後にして矢作橋(やはぎ)を渡る。
ここは秀吉が幼いころ蜂須賀小六と出会った場所とされている。

岡崎宿の次、知立宿(ちりゅう)は池鯉鮒宿とも記される。
宿場名として表記する場合は後者のほうが一般的なようだ。

1号線から分かれて旧道に入れば、ここにも松並木が残っている。
池鯉鮒宿までは途切れ途切れながらも松並木が多く残っている。
幹に巻かれた薦(コモ)が冬の証。
寒風を避けて薦に潜り込んだ虫は春先に薦もろともに焼かれてしまう。

 街道筋の松並木

 知立の松並木

松並木が終わるあたりから池鯉鮒宿。
道筋は往時のままのようだが、神社やお寺を除けば『xx跡』の石碑ばかりのところである。

知立古城址で休憩していたら地元の人に声を掛けられた。
城址と言っても小さな公園があるばかりである。
たっぷりと街道筋の昔話を聞いているうちに、体が冷えてしまった。

 知立古城址

池鯉鮒宿を抜けて鳴海宿へ。
間の宿有松を通る。 ここは、あの桶狭間の戦いの場に近い。
信長、秀吉、家康へと時代が動いたのは桶狭間の戦いからわずか40年の出来事である。

有松への旧道へ入らず、桶狭間交差点を過ぎてしばらく行けば1号線の350キロポストがある。

 日本橋から350キロ

有松の旧道へ戻る。 格子を構えた家が並ぶ静かな道。
朝早いので観光客相手の店もまだ閉まっている。

 間の宿 有松

鳴海宿を通るが、間の宿有松のほうが旧街道の雰囲気がある。
古刹の他にはこれと言って見るほどのものもなく通過する。

宮に近づくと神社やお寺が多くなる。
もっとも宿場が近づくとたいてい神社やお寺が多くなる。

旧道をバッサリと分断する広大な1号線を陸橋で渡って少し走れば宮の渡し跡。
船着場があって『渡し船』のノボリが出ていた。
桑名まで連れて行ってくれるのかと思いきや、どうも違うようだ。
船で桑名まで行けるのなら迷わず利用するのだが・・・。
埋め立てで海が遠くなった今、船で行けば七里といわず十里はありそうだ。

 七里の渡し跡

七里の渡し跡から熱田神宮へ向かう。
境内に自転車は入れられない。  西門前に相棒を置いて歩いて本宮まで。
ここまでの無事に感謝し、この先の安全を祈願する。

 熱田神宮(西門)

熱田神宮からJR金山駅まで自走。
熱田神宮近くの熱田駅には新快速が停車しないのだ。
ここから6時間の鈍行旅で帰宅である。

宮までで東海道旅70%走破。
三条大橋はまだ遠い。

本日の走行距離:43km
本日出会ったサイクリスト:1人


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