旧東海道(袋井から新居まで)


2003年8月21日(木)

寒い夏だったが、お盆も過ぎてようやく天気も安定してきた。
天気予報では曇り、雨の心配もなさそう。
暑さもそれほど厳しくなさそうなので、シーズンインの足慣らしも兼ねて出かけることにした。

【袋井】
袋井宿は、江戸から数えても京都から数えても、どまんなかの27番目の宿場。
というわけで、とにかく『どまんなか』というのがここのキーワード。
各所で見かけます。

 『東海道どまんなか茶屋』 ストレートなネーミングです。

袋井宿のはずれ、太田川を渡ったところで、休憩中のキャンピングと、ドス黒く日焼けした茶髪の若者を発見。
聞けば実家のある滋賀県を4月に発ち、海沿いに右回り。 日本一周中のサイクリスト『まー助』さんと言う。
関西弁とその風体から、日焼けしたトミーズ雅と言えなくもないか。(顔は雅氏より細め)

彼の相棒、ジャイアント グレートジャーニー1 には旅の装備がてんこ盛り。
でも見た目がコンパクトなのはパッキング上手なためか?
年内には旅を終える『予定』というまー助さん。 頑張れ!

 まー助さんの相棒と  リアのヘルメットのように見えるのはザル

まー助さんと別れてすぐ。
木立のなかを抜ける明治の道は、しばし暑さを忘れさせてくれる道。

 『明治の道』 暑い日には木陰がうれしい

【見付】
見付宿は東海道の脇街道、姫街道への分岐点でもある。
本坂越、あるいは本坂街道とも呼ばれるこの道、舞坂から新居に至る今切を『縁が切れる』として
忌み嫌った女性や、高貴な家の姫行列が通ったことから姫街道と呼ばれるようになったらしい。

 御油まで約60キロ

天竜川橋は1933年の完成。
富士川、安倍川、大井川と、静岡を流れる4大河川に掛かる旧国道1号線の橋としては一番遅いことになる。
ところでこの橋、しっかりした歩道が無い。 
歩行者がどうやって渡るのか心配する以前に、自分がどうやって渡るか悩んでしまった。  
すぐ上流に架かるバイパスの新天竜川橋にも歩道が無い。
結局、大型車に追い立てられるようにして天竜川橋を猛ダッシュで渡ったのである。

 歩道がない天竜川橋 平日だったので工事用の大型車両も多かった

【浜松】
旧街道筋には昔の面影何も無し。
アスファルトの照り返しがやたらと暑い、ビル街を抜ける味気ないところだ。

【舞坂】
旧東海道松並木に差し掛かれば、舞坂宿はもう一息。
天気予報は曇りだったが、薄日が射して結構暑い。
松並木の日陰と、幾分涼しい風がありがたい。

 街道にはやっぱり松並木が似合う

その昔、浜名湖は淡水湖で、湖南は陸続きだったという。
明応8年(1499)の大地震で陸が切れ、海とつながった。
そのため、このあたりを今切(いまぎれ)と呼ぶのだそうだ。
往時、新居宿までの一里は船で渡るしかなく、船着き場の跡が北雁木跡である。

 今切の渡し 北雁木(きたかんぎ)跡

さて、新居まで行ったところで、今日の旅は終了。
新居までのこの区間、見所も少なく、峠越えがあるわけでもなく、自転車旅としては少々物足りない行程だが、
日本一周を目指すサイクリストとの出会いがあったことが大きな収穫。


本日の走行距離:43km
本日出会ったサイクリスト:日本一周中の『まー助』さん
                 まー助さんのサイトはこちら


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