2003年3月30日(日)
うれしい誤算で計画を変更した東海道旅にリトライすることにした。
前回と同じ、朝一の静岡行きを利用し、由比に向かう。
清水からの再開でもよかったが、タイトルがつながらなくなるという
つまらない理由で再び由比から走ることにした。
ほとんど素通りした寺尾や倉沢の旧街道もゆっくり走ってみたい。
三日前には横浜でも桜の開花宣言が出て、西へ向かう車窓からの桜はずいぶんといい色になっている。
満開にはまだまだだが、新蒲原の駅に迫る山肌は、一面桜色に覆われていいながめだ。
【由比】由比駅 8:30発
駅からほどなく県道に合流する。 これを斜めに横切るように旧街道が続く
寺尾、倉沢へと往時の雰囲気を残す街並みが続く。
倉沢 ここは由比と興津の間の宿(あいのしゅく)にあたる
望嶽亭を左に見て、さった峠への急坂を登っていくが、今日は富士山が見えない。
晴れているが風は弱い。 風が強ければ景色がよく、そうでなければ景色もいまいちということなのだろう。
↑ 前回はこんなに良く見えたのです |
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今日のさった峠 一日中、富士山を見ることができなかった。 |
峠の駐車場でツーリング途中のグループと出会う。
清水から来たそうで、御殿山の往復コースを走るのだとか。
戻ったら花見をするらしい。 今日なら花見にもいい天気。
【興津】清見寺 9:30着
蒲原、由比と往時の雰囲気が残るいい感じだったが、興津にはいると旧街道の風情はなくなってしまう。
興津川橋を渡ると、旧街道は国道149号(旧国道1号と思われる)に合流し西へ向かう。
清見寺の南にある公園にて
【江尻】稚児橋10:15着
江尻は家尻とも記していたらしいが、今でいう清水銀座の商店街が宿場の中心だった。
旧街道の道筋がそのまま商店街の道路となっている。
鉤の手(クランク状)に曲がった道は往時の街道筋そのままである。
往時は、紺屋町と七軒町に続く脇道は袋小路になっており、鉤の手になった街道とともに、宿場警備の目的があった。
巴川にかかる稚児橋は慶長12年(1607)東海道整備のため徳川家康の命によりに架けられた。
現在の橋は2001年に架け替えられたもので、初代稚児橋(江尻橋と命名されるはずだった)の
渡り初めの際、川の中から河童の童子(稚児)が現われたという伝説にちなんで、河童の像が乗っている。
稚児橋の河童4態
稚児橋から1キロほど、往時の東海道と清水湊へ道『志ミづ道』の分岐点で、今も追分と呼ばれる所を通る。
ここに清水名物『追分羊かん』の店がある。
竹の皮に包まれた羊かんは風味ゆたか
【府中】札の辻跡 11:35通過
府中は駿府城の城下町で、十返舎一九が生まれた(明和2年 1765)ところでもある。
天保2年(1832年)に没し、浅草の東陽院に葬られたが、関東大震災により東陽院が
勝どきに移ったため墓も移されている。
東京中央区勝どき(東陽院)にある一九の墓
府中の城下町は今もにぎやか。
静岡駅を中心に伊勢丹や西武、松坂屋などもあるショッピングタウンとなっている。
安倍川橋のたもとには、あべかわ餅で有名な石部屋(せきべや)が往時の雰囲気を残して店を構えている。
ガラガラと引き戸を開け『あべかわ!』と頼む。
店内の時間はゆったり流れているようだ。
先客に親子連れがいたのだが、頼んだものが来ないのか退屈したように落ち着かない。
確かにファーストフード店やコンビニの時間感覚に比べればこの待ち時間は長いかもしれない。
ややしばらくあって親子連れのもとにあべかわが出される。
子供達もさっと箸をとって手を伸ばす。
さらに間があって今度は私の番。
あんこと黄な粉をまぶした小ぶりのもちが5個ずつ盛られてくる。
2人前と言ってもいい量だが、さっぱりした甘さがいい。
少々の待ち時間を覚悟して入りましょう
安倍川橋は大正12年(1923)に完成したボーストリングトラス(bowstring truss)という構造の橋。
名前のとおり弓なりのアーチが連なってきれいだ。
安倍川橋
【鞠子】丁子屋 12:25通過
今は丸子と記すことが多い。
とろろ汁で有名な丁子屋は写真だけで通過する。
さっき食べたあべかわ餅がけっこう効いている。
人波が途切れた一瞬をパチリ
鞠子宿のはずれから、高速道路のように立派な1号線沿いを走る。
ここは歩道もたっぷりあって自転車でも走り易い。
190kmポストから大きな口を開けた宇津ノ谷(うつのや)トンネル、通称平成のトンネルが見える。
トンネルには歩道もあってこのまま進むこともできるが、ここはもちろん宇津ノ谷の里を抜けることにする。
宇津ノ谷(うつのや)の里
風情たっぷりの集落を抜け、峠道を登るとこちらも宇津ノ谷トンネル、通称明治のトンネルが口を開けている。
宇津ノ谷は明治、大正、昭和、平成の各時代に作られたトンネルが現存する珍しい場所。
明治のトンネル
【岡部】姿見の橋 13:30通過
岡部の宿も往時の雰囲気が感じられる。
小野小町が、美しい景色と対比して川面に映る老いた我が身の姿を嘆いた、という姿見の橋などの史跡が整備されている。
岡部の宿
藤枝バイパスの高架付近で岡部の宿を抜け、横内へ入る。
家のつくりは今風だが、家々に往時の屋号が掲げられている。 こういう取り組みも面白い。
場所は少々離れるが、大正から昭和にかけては軽便鉄道も通っていたらしい。
【藤枝】200キロポスト 14:05通過
東木戸の手前500mほどのところにある須賀神社には樹齢500年といわれる大クスが残っている
樹齢500年とされる大クス
日本橋を起点とする国道1号線は藤枝でちょうど200kmになる。
宇津ノ谷トンネル手前で190キロポストを通過したので、200キロポストでは
写真をとっておきたかった。 旧街道を外れて寄り道する。
日本橋から200キロ
藤枝の宿を抜けると旧街道は県道222号線を進む。
往時の松並木が残る街道筋だが整備されているという感じではない。
せっかくの並木道も心なしかみすぼらしい。
今も残る松並木
【嶋田】島田駅 14:45着
午後になって風が出てきた。 しかも向かい風で少々難儀する。
帰りに利用する沼津方面への列車は島田始発のものが多い。
金谷から一駅で乗り換えるのもちょっと面倒だし、今日の旅は島田までにする。
次回は島田から金谷に入ることにして、SLと出会えることを期待しよう。
車窓からの桜の木、朝よりずいぶん花が増えてさらにいいながめでした。
本日の走行距離:55キロ
本日出会ったサイクリスト
・朝、地元の駅で輪行サイクリスト1名
・さった峠で清水からのおじさんサイクル隊10名ほど
・その他2名