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城ケ島灯台 

 東京湾の入り口を照らす灯台

  写真撮り仲間と京急電鉄の「みさきまぐろ切符」という三崎港でのまぐろ昼食とバスフリー・水中観光船乗船付のお得きっぷを買って三浦半島の先端「三崎」に出かけた。
 京急三崎駅からバスで三崎港へ、昼食と水中観光船「にじいろさかな号」に乗船後、再びバスで城ケ島へ。終点「城ケ島灯台」で下車、みやげ物店が並ぶ商店街を抜け右手の急な階段を登って徒歩5分ほどで到着。過去に灯台博物館も設置されていたというが、昭和40年に廃止され現在は何もなく内部に入ることもできない。
 位置:北緯35度08分06秒 東経139度36分40秒、光の届く距離:16.02海里(約29km) 高さ:地上から灯台頂部まで約11.5m 水面から灯火まで約30.1m。模灘と遠州灘の怒涛を受ける高さ60mの断崖上に立つ白亜の灯台。灯高:11.38m,平均海面から灯火まで:59。54m, 光達距離:白光18海里(約33km),赤光18.5海里(約33.5km)

  城ケ島灯台の歴史は古く慶安元年(1648)当時の三崎奉行であった安部次郎兵衛が江戸幕府の命によって航行する船のための島の東端安房埼にのろし台を設けたのが始まりだという。延宝6年(1678)にこれを廃して島の西端に灯明台を設けた、その後享保6年(1721)に代官河原清兵衛が再びかがり火に変えた。
 このかがり火による灯台は明治3年(1870)横須賀製鉄所首長フランス人ヴェルニーにより西洋式灯台として設置点灯されるまで明治3年8月12日夜まで続いた。
 このレンガ造り円形灯高5.76メートルの灯台は大正12年(1923)9月1日の関東大震災によって一瞬に建物の基礎から倒壊し、大正15年(1926)8月1日に改築されたのが現在の白色塔形(円形)コンクリート造りの灯台。
 西洋式灯台としては観音崎灯台(1869.02)野島崎灯台(1869.12)品川灯台(1870.03)樫野埼灯台(1870.06)に次ぐ5番目の灯台である。なお、城ケ島には島の東側に遠浅の岩礁地帯があり通航に危険を伴うとして昭和37年(1962)に安房埼灯台が設置されている。

 灯台の海側の崖道を下った先にお休み所がありコーヒーなど軽食を摂ることが出来る、帰路は岩礁地帯に設けられた遊歩道を経由して上り下り無しでバス停に戻ることが出来る。