ガレイ過去編SS 『神の指先の示す場所』 この国の神は苛烈だ。 自らを崇め奉り、信仰し、祈りを捧げる者へは慈愛と温もりを与える一方で、まつろわぬものへの神罰は時に凄惨を極める。 過去、その神を崇める民達が暮らす小さな国に、度重なる侵攻を繰り返していた部族が居た。その小さな国に住まう勇猛果敢なる者達の必死の抗戦で一度は退けたものの、戦いが繰り返されるにつれて侵略は無情に進み――……祈りも虚しく最早陥落は時間の問題となった、ある日。 敵部族の王が、勝利間近を祝った宴の席でこう言った。 ――この国に神は居ないのだろう。 もし居たとしても無能であるに違いない。 無能の神が統べる哀れな土地を、我らこそが血と剣とで救うのだ―― 「――で、この大言の後どうなったのか、答えなさい我が弟子よ」 「原因不明の疫病が一夜にして大軍を滅ぼしました。その疫病は軍のみならず彼らの土地全てを覆い、かの敵王は我が神レゥーロ・ネク・テへの冒涜を酷く悔いて自らの両目を抉り取り、祭壇に捧げ、許しを請いましたが、発病から十日の後に死の闇底へと落ちました」 幼い響きを残した声音が発した言葉を受け、師が満足げに頷く。 「ん、その通り」 「……怖いですね」 歴史書に描かれた凄惨な挿絵を横目で眺め、弟子がボソリと呟く。そんな弟子の姿を見、しかしそれでも師は微笑んだ。 「そりゃそうだ。どこの家も母は恐ろしいものと決まっているよ、我が弟子ガレイ」 笑顔のままで更に続ける。 「怖くて、強くて、しかしながらも愛情深い。それが母というものだ。……神は我ら人の子全ての母だよ? 母を怒らせると恐ろしいのは、至極当然の事じゃあないか」 この師は笑うと顔の全てが深い皺に埋もれてしまう。師の目はどこに消えたのかとガレイがじっと見つめていると、骨張った大きな手が伸びてきて、ガレイの小さな頭をわしわしと撫でた。 「怖い事は何も無い。ガレイが神を愛する限り、神もガレイを愛してくださる」 「……分かりました、我が師」 真新しい神官の衣装に身を包んだ少女の声は、どこまでも真っ直ぐだ。 「母を慕うように、母を愛するように、私は神にお仕えすればいいんですね」 この国で神に仕える者に必要な要素は三つある。 一つめは知性。この国の主神レゥーロ・ネク・テは、『“生きている”のではなく“生かされている”こと』に気付かない蒙昧な愚者をひどく嫌う。 二つめは強さ。身体的な強さも備わっているに越した事は無いが、それは重視はされない。神官を目指す者は、何よりも心の在りようの強さを神に問われる。 そして、三つめ。それは美しさだ。 見目の美醜ではない。 ――ないのだが、歴代の神官を男女問わず並べて鑑みた正直な所、どちらかと言えば普通以上の美形が並んでいたという事実はある。が、それは祭神が女性である以上仕方がない事の範疇かもしれない。……一応の大前提としては、顔の造形は関係無い。 肉という名の殻に覆われた芯を。その者を作り成す礎を。 魂の清さを、本質を、この女神は強く問う。 それら全てを満たした者だけが、民と神とを繋ぐ神殿へと迎えられ、神官の称号を与えられるのだ。 「――幸せだよ」 少女は言う。 「皆と神とを繋ぐ事が我ら神官の役目だ。とてもとても大切な事だ。その手伝いが出来て、皆の役に立てて、神の側にいられて、私は幸せだよ。……他に望む事なんて何も無い」 その緑の瞳が、時折窓の外の世界を見ていた事に気が付いたのは、誰が一番早かっただろう。 「さて我が弟子ガレイよ、ここに一枚の入学願書がある」 年老いてなお神殿の頂に君臨し、皆を導く大神官――ドゥン・マ・リ師だったろうか。 「偉ぶった言い訳ばっか捏ね回しやがって! ……いいからさっさと行けってんだよ……! 」 それとも、会えば喧嘩ばかりしていた幼馴染、ヴィラメ・ヨトゥ・ヤだったろうか。 「――……良いのですか? そんな、本当に……? ……我が神よ」 それは、ひょっとしたら他の誰でも無い、母なる女神だったかもしれない。 そして少女は旅立った。 「行ってきます! 楽しんできます! たくさん勉強して、たくさん友達を作って、たくさん思い出を作って……そして必ず、元気な姿でこの地に戻ってきます……!」 その緑の瞳には、窓の外の小さな世界は最早映っていない。 窓を乗り越え、神殿の塀を越え、大きく横たわる大海原すらも越え、少女は今、たくさんの友と共に在る。その瞳に映るのは、学び舎に集う友人達の笑顔だ。 「私の名前はガレイ・バトゥ・テ。――偉大なる女神に仕える神官であり、そして、S学で学ぶ学生だ!」 冬を迎え、帰郷する少女の鞄には、たくさんの思い出が詰められている―― |
――終 |
【どうでもいい脚注】 *レゥーロ・ネク・テ → カレイ目の学名もじり *ドゥン・マ・リ → リマンド(仏語でカレイの意)を逆読み *ヴィラメ → ヒラメ ヴィラメの設定を考えてたら、いつの間にかガレイの過去編SSになってたもの。 ガレイ=カレイになったのはハロウィンの絵から。あれは正に人生の転換期でした。 |