5.花宴









気付かなかったが、日が暮れていた。

そういえば夕餉を食べ損ねたと、頭のどこかで考えてしまう、自分の浅ましさに、恨めしくなるどころか呆れて笑いがこみ上げてきた。
仙石の頬を胸に押しつけたまま、行は微動だにせず、深く息をつきながら、長いこと抱きしめ続けていた。
いい加減首が痛くなってきたと思い始めた頃、やっと行の熱から仙石は解放される。
両頬を手で挟まれて、真っ直ぐに目線を行と合わせることになる。
視線の先には、昨日の野分のような頑とした目はどこへやら。

形のいい眉を寄せて、今にも泣きそうな。

これは。


「……迷子みたいな顔だな」


思わず口に出して感想を言うと、一瞬、行の顔が緩んだ。
そして、そのまま顔を近づけてきて、触れるだけの口付けを、一度だけ降らせた。

「…若旦那?」

「すまん……」

突然の行動に仙石が目を丸くすると、行はいたたまれなくなったのか、仙石からの視線を回避する名目で、再び、仙石を自身の胸に押しつけた。

「お前が愛(めご)くて仕方ない…すまない…」

愛しいことを謝罪されたのは初めてだった。
自分自身の感情に飲み込まれ、行は戸惑い、とっさに仙石に謝ってしまったようで。
そんな行の態度に、仙石は妙な情が湧いて、自ら行の胸板から離れると、自分から、行の頬に口付けた。

「申したでしょう…。俺は、若旦那のものなんですよ」




そう。


「もの」とは「物」ではない。

「もの」になることは、卑しいことではない。

たった一人の人間であった自分が、誰かに要される、ということ。

誰かに擁される、ということ。

長いこと遊郭にいながら、やっとそう理解できたから、そう口にした仙石の顔は、微笑していた。









「仙石………」

自分で買ったくせに、その笑顔を見て、行はやっと赦された心地になり、仙石の肩を抱くと、行はたまらず、その場で組み敷いた。
ザリッと仙石の爪が畳目に引っかかり、鳥肌の立つような音を上げる。

「好きだ……好きだ…好きだ」

離れているのが苦痛だというように、行は好きだと鎖を紡ぎ続け。
仙石の襟元を乱すと、余すことなく、口付けを降らせていく。
乱暴でありながらも、どこかくすぐったい感触に、肌が震えた。
細長い指が、帯を捉え、恐る恐るながらも解いていく。
若い熱にほだされ、自分も火照るのを感じながら、仙石はそれに身を預ける。
完全に帯がただの紐と化し、遠くへと行が放り投げ。

さて、次はどう攻めてくるかと身構えたにもかかわらず、そこで行の手がピタリと止んだ。
どうしたのかと行の方を見やると、仙石に馬乗りになって、じいっと見入っている行が視界に入った。

「わ、若旦那?」

こんな面白みもない体をいざ見てみて、熱が冷めたのかと思った。
が、仙石の声を聞くやいなや、行は体を倒し、仙石の唇に吸い付いた。
拙いながらにも、必死に舌を絡め、仙石の熱を切望する。

「見とれていた」

「ふっ……ん…だ、ダンナ、な、何……」

「これが現(うつつ)でないのなら、俺は一生目覚めなくてもいい。…畜生。どうしてもっと早くお前を見つけることが出来なかったんだ……」

憎々しげにそう言い放ち、歯がぶつかるのも構わずに、舌を吸い、喉元を吸い、仙石がそれに反応を示す度に、呼吸を荒くさせた。




狂いそうな己をつなぎ止めてくれた存在が

今、自分の腕の中に。




目眩のするような興奮に素直に従いながら、やがて行は仙石の肌に乗っかっていただけの着物を脇に避け、足の根本に手を這わせる。

「っ…!」

既に熱を持っていることを知り、内心行は安堵する。
自分以外は滅多に触れないそこに手をやられ、自然に、仙石の腰が、行の手から逃れたいように上へとずり上がる。

「……嫌、か?」

辛そうに眉を寄せた行の顔が、薄闇の中でも、ぼんやりと捉えることが出来る。
ここで、仙石が頷いたら、きっと行は本当にやめてしまうだろう。深く、傷つきながらも。
生理的な反応に是非を付けろと言う行に、仙石は幼さを感じながらも、既に口付けだけで震えだした右手を、行の肩に押し当てた。

「俺、ばかり、は……!」

「…?」

仙石の意図が理解できずに、行が目を丸くしていると、そのままぐいと行を押し倒した。

「仙石…?」

行が問いかけるものの、仙石は顔を俯かせたまま行の方を見ようとはせず、肩に置いた手を離し、体をずらじていく。
仙石が離れていくのが嫌で、引き寄せるための手を伸ばそうとしたときだった。

「っ……!」

感じたことのない感覚が、行の脊髄を走った。

「せ、んご…!」

「ふっ……ぁ…」

見れば、仙石が、行の足の間に這いつくばり、褌から行のものを取り出して、舌を這わせている。

「仙石…!っ…ぁ」

慌てたような行の声が降ってきても、仙石はやめなかった。
仙石自身、何故このような行動に走ったのか分からない。
ただ、自分ばかりが、と。
自分ばかりが「探されて」「抱きしめられて」と、受け身ばかりでは、嫌だった。
















俺だって。



その後何が続くのかは分からなかったが、行に何かしてやりたい一心だった。


















ちらと上目遣いで行の方を窺えば、思った通り場数を踏んでいないのか、知らない感覚に翻弄されて、唇を小さく開き、瞳は黒く濡れている。
血を見ても怯まなそうな行が、自分の手によって、これ程にも卑猥な顔を見せることに、堪らない優越を感じ、それはその場で己自身の快感へと変貌していった。

「んむ…ふっ……!」

「あっ…っつ………!」

止めどなく溢れる先走りに唇を吸い付け、ややきつく吸ってやると、思わず行は前屈みになって、耐えるようにして肌を振るわせる。

「…っ!仙石、もう、いい……やめ、ろ……!」

辛抱できなくなって、行は仙石の額に手を乗せると、力任せに押し、強制的に自分のものから仙石を引き離した。

「っふ…ぁ」

口の端から、だらしなく自分の唾液なのか、行の先走りなのかを垂らして、仙石がぼんやりとした眼差しで行を見ると、それを毒か何かと勘違いしたのか、さっきと同じように、左手で仙石をぐいと掴むと、自分の肩口に仙石の鼻先を埋めた。

「最後までしても…構いませんに」

本心が、熱っぽい口元から漏れた。
その吐息が外に放出されることるら惜しむようにして、更に行は、仙石の口元を自身の体で塞ぎ、自由な右手が、仙石の体を滑り。
後口で止まった。

「……っ…」

反射的に体が動きそうになるのを堪えて、仙石は精一杯小さく身を竦める。
そんな仙石の気遣いに、骨が折れるほど抱きしめてやりたくなる。

「俺を……受け入れてはくれないのか…?」

耳元で、知り得る限りの優しい声色で囁いてやる。
けれど、やはりどこかそこには儚げな、辛そうな声色が混じっていて。
















「……しょうのない人だ」


















行の胸元で苦笑しながら、仙石は、両手を行の背中に、回し、それを合図に、二人闇の中に溶けていった。














































気が付かなかったが、空の際が白らみかかっていた。
真木柱を背に、障子戸を薄く開けながら、行は、星が黄色く微かに光る様を眺めていたが、隣で仙石が身じろぎしたのに気付いて、そっと戸を閉めた。

「……なぁ、仙石」

「はぃ…?」

余韻の残る体を持て余しながら、仙石は布団から顔だけを出して、行の方を向いた。

「いて、くれるんだよな?」

「…えぇ」

「今日明日の話じゃないぞ。…ずっと、だぞ」

「くどいですよ」

「…あぁ」

笑いながら仙石が返すと、行も微かに笑った。
初めて見た行の笑い顔に仙石は今更ながらどきぎまぎして、床の間に目をやると、そこにはギヤマン(硝子)の器の中に、緋色の金魚が一匹、悠々と泳いでいる姿が目に入った。
確かここは自分の部屋としてあてがわれたはずだが、金魚などいただろうか。

「金魚なんか飼ってるんですか…?」

「今日、菊政が買ってきた」

菊政が買った金魚売りとは、福井川で聞いたあの金魚売りだったろう。
なぜだか、そう思った。

「…今度もう一匹買ってきてやろう」

見る物が無くて見ていたのだったが、仙石が金魚を気に入ったと思ったのか、行が口を開いた。
どこか嬉しそうな。なのに、自嘲的な笑みをたたえ。



































「一人は、淋しかろう」






















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