真木柱









縁側に、母様がいる。


今日は具合が良いのだろうか。雀に生米を蒔いている。

西陣が、綺羅綺羅と、光っている。

天女の、様な。





『おいでなさい』






微笑んで、手招いている。

矢張り、天女の、ような。






『一緒に雀を眺めましょう』




久しぶりに母様の声を聞いた気がする。
母様の声は大好きだ。呼ばれて嬉しくて、急いで走る。
陽の中の母様は、今にも飛んでいってしまいそうで、少し怖かった。

置いていかないで下さい。

あんまり急いだものだから、砂利に足を取られて転んでしまった。
膝を擦り剥いたようだ。痛い。







『何をそう急ぐのです』






笑いながら、母様は抱き起こしてくれた。

いい匂いがする。花の香ではない。


これは、母様の匂い。







泥が付いてしまったのね。と、母様は頬を拭ってくれた。
赤子のように扱われて、少し恥ずかしくて笑うと、母様も笑った。
紅を差したわけでもないのに、唇が、紅い。





『お前の髪は良い髪ですね』




母様の、細い指が、頭に触れる。


冷たくて、温かくて。

心地よい。


母様の全てが、快い。








そうして、やがて離れる。






母様の匂い。



細い腕。




長い、指が。


















































首に。
























































ぎりぎりと。


苦しい。


川に顔を突っ伏したような。










母様、苦しい。








目が、霞む。

嫌だ、母様を見ていたいのに。

声が、出ない。

しゅうしゅうと、喉から息が漏れる一方で、入ることが出来ない。

首から生えた、母様の、腕。

首に絡む、母様の、指。















『御方様。お気を確かに』













高い、高い、鳴き声のような、声。



この声は、クメの。













『離しなさい。何を−』

















お祖父様の声が、遠くで。



肩をぐいと掴まれて。

痛い。


肩が、千切れそうな。

首が、離れそうな。





















『その髪は、何処に在ったものなのですか。吉原に在ったものなのですか』

















母様が、云っている。

痛い。

母様の、白い腕が、伸びて。

母様の、細い指が、髪に。

この髪は。


誰の。












お祖父様が、母様を、前から押さえている。


薄い、肩を掴んで。


お祖父様、おやめ下さい。母様が痛そうです。


声が、出ない。

口に、腕を、押しつけられて。




鉄の、匂い。






嗚呼、渥美の兄様の腕だ。






いつから、此処に、いらしたのですか。







声が、出ない。

喋り方を忘れたように。


渥美の兄様は、怖い顔で、お祖父様を見ている。

いや、母様を見ていたのだろうか。

どうして。そんな顔では、母様が怖がってしまいます。

声は、出ない。






















『御方様、御方様』


















クメが、膝を付いて泣いている。

指に、あかぎれが。今度、薬をお祖父様にお願いしないと。



髪が、母様の指に、絡まって。


プツプツと、千切れる音が。


痛くて。



































『行が痛がっておりますよ』




























渥美の兄様が、云う。

ゆっくりと。知らない、怖い、声。

兄様、いつものように笑ってください。

母様が、怖がってしまいます。

風の音にもびくりとする方なのです。母様は。



















するりと、指が抜ける。


ああ、やっと解けたのですね。



細い、白い母様の指に


紅い、朱い、髪の跡が。

痛そうで。


















母様が、砂利に座り込む。


白い、指が、差し出され。


手を伸ばしたかったけれど、渥美の兄様の、腕が。


母様から、遠ざけてしまう。







『お許し下さいませ。お許し下さいませ』






すきま風のような、母様の、声。

細い、腕が、砂利に、埋まっていく。




『御免なさい。痛かったでしょう、痛かったでしょう。御免なさい』



母様が、見る。

けれど、渥美の兄様は、母様から、隠して仕舞われる。

母様が、泣いている。















母様、行之介はここにおります。











声は、出ない。





兄様、お離し下さいませ。母様が、行之介を探しております。

そんな、怖い顔なさらないでください。




母様が、泣いている。

クメは、母様の背を撫で、泣いている。

お祖父様は、母様を前から支えている。

渥美の兄様の腕は、強くて振りほどくことが出来ない。

























母様、母様。
















嗚呼、どうしていつも、母様を泣かせてしまうのだろう。











母様、ごめんなさい。もっと、もっと、いい子になりますから。

昔のように、いい子になりますから。





















母様の白い、指が、震えている。














母様、もう、母様は。























行之介と、呼んでは下さらぬのですか。





















―戻るときはウインドウを閉じてください―