シングルモルトの夜

 ルパンが女に騙されるのはいつものことだった。
 たいていは不二子に騙される。まったく懲りないものだと次元は思う。
 今回もそうだ。
 だいたい計画を練っている時から気が乗らなかったのだ。ルパンは言わなかったが、どうせあの女が持ってきた話だとは知っていたから。
 そして、予定どおり計画は成功し、また予定どおりルパンは一杯食わされた。
「まったく、なんであのバカは目が覚めないんだ…」
 怒り心頭、売り言葉に買い言葉。
 もうおめぇとは組めねぇ、一切仕事はしねぇといつもの捨てゼリフを吐いて飛び出したのは、ほんの2日前。
 いつもなら一晩寝れば覚める怒りも今回ばかりはなかなか治まらなかった。
 それというのも、あの女があんなことを言ったからだ。

 ――― ルパンはね、あたしのためなら何でも盗んでくれるのよ。

 魅惑的な赤い唇で囁いた不二子は、どこか勝ち誇ったように次元を見たのだ。
 次元がルパンとやり合ったのは、そのすぐ後だった。
 そして飛び出して来て今に至る。
「目が覚めねぇのは俺も同じか…」
 次元がいるのは、アジトにしている別荘風ロッジのひとつだった。見かけはシンプルで内装も凝ってはいないが、調度品は見た目より値が張るというルパンらしい趣味にあふれたところだ。
 ここにひとりで来たのは、本当に久しぶりだった。
 花のパリにも程近く、ルパンが定宿としているところなので、行動を共にする次元は一緒に寝泊りすることが多かったからだ。
「いや、昔はけっこうひとりで来たかな」
 まだルパンと仕事を組んで間もない頃のこと。
 今よりずっと若かった次元は、当然今よりルパンのいい加減さにしょっちゅう腹を立てていた。世界中飛び回る大泥棒も、故郷に居着くことが多くて、パリの隠れアパートで喧嘩しては、ここに頭を冷やしに来たものだった。
 そして、ほとぼりが冷める頃迎えに来るルパンは、いつも両手一杯に酒を抱えていたっけ。
 そう、あの頃の自分は、不安定な足取りでロッジ前の坂を登ってくるルパンをこの窓辺でじっと待っていた。
 ひたすら主人を待つ忠実な犬のように。
 ただひとつ、ルパンはまだ自分を必要としてくれているのかを確認するために。
 不安だったのだと思う。まだ駆け出しとはいえ、ルパンは当時から名の通った盗賊だった。対して、自分は人より少しばかり早撃ちが得意なだけのしがない殺し屋。
 釣り合わないことは自分が一番よくわかっていた。選択権は、自分にはない。選ぶのはルパンで、自分はそれに黙って従うだけ。そうして、ヤツがちゃんと自分を選んでくれるかどうかを、あんな形で何度も確認していたのだ。
 あれから、もう十数年。
 今の次元は、その大泥棒とあの頃よりずっと濃密な時間を共に過ごし、自他共に認める『相棒』としてのプライドを持っている。
 だったら、なぜまたここにこうしているだろう…。
 次元はテーブルの上のブランデーをグラスに注ぎながら自問した。
 すでにわかっている答えを認めたくないために、次元は酒を煽り続けていた。
「らしくねぇな、ったく」
 酔えもしない酒もとうとう殻になると、諦めてソファーにごろりと横になった。
「ほんと、らしくねぇぜ。この俺が嫉妬なんて…」
 しかも相手はあの不二子。
 たぶん、羨ましかったのだ。
 普段考えないようにしていただけに、あの不意を衝いた一言は効いた。
 不二子の言うとおり、ルパンは彼女のためならどんな願いだって適えようとするだろう。実際その能力もある。
 だったらもし、自分が何かを欲しいとヤツに願ったら、それを適えてくれるだろうか…。
 そこまで考えて、次元はハタと気が付いた。
 欲しいもの……。欲しいものっていったい何だ?
 人並みのブツ欲はある。金は無いより有る方がいいし、食い物だって不味いより美味い方がいい。綺麗なものにも興味はある。そうじゃなきゃ泥棒家業はやっていない。
 だがそれも、不二子に比べればかわいいものだろう。ダイヤを盗んだからって、別にそれがとてつもなく欲しくて盗むわけではないのだから。
 自分でも、執着心が薄いのは自覚している。この家業を続けているのも、ルパンがいるからだということも。
 ようするに、自分は構ってもらえなくて拗ねる子どものようなことをしているのだ。
「ばかげてるぜ…」
 不二子に貢ぐ宝石のかわりに、もっと自分の方を見て欲しいだなんて。なまじ物欲があるより性質が悪い。物は手に入れられても、人の心はそう簡単ではないのだから…。
 次元は溜息と一緒に煙草の煙を吹き上げた。
「何が欲しいって、ルパン、おまえが欲しいといったら、どうすんだろうな…」
 ルパンのことだ。冗談言っちゃいけねぇって笑い飛ばすか、ヘタをしたらコンビ解消だろう。
 けれど、それがわかっていても、次元は思わずにはいられない。
 不二子や他の女を抱き寄せる腕が、どんな風に相手に絡むのか…。
 囁く唇が、どんな陶酔をもたらす口付けをするのか…。




「やーっぱり、ここにいたのか」
 うつらうつらしていると、ソファで眠り込んでいた次元を覗き込むようにしてルパンがいた。
「ずいぶん探したんだぜ。まさかこんなところにいるなんて思わなかったからさ」
「何の用だ」
 落ちてしまった帽子を深く被りなおして次元は尋ねた。
「おまえとは喧嘩してたはずだが?」
「まぁそう言うなよ次元ちゃん。仲直りの印にとっておきのモン用意したんだからさ」
 見れば、さっきまで殻の酒瓶と煙草の吸殻に占拠されていたテーブルは綺麗に片付けられ、かわりに上等なコニャックやバーボンといった高級酒が並んでいる。
「なんだよ、代わり映えがしねぇなぁ。いつもいつも俺がこんなもんで懐柔されると思ってたら大間違いだぜ」
「わかってっけどさ、うまい酒は一緒に飲む相手が欲しいじゃん」
「そうだな、そういうことなら遠慮はしないぜ」
 言いながら、手はしっかりと一番高い酒に伸ばし、次元はルパンのグラスも用意して一緒に飲みはじめた。
 いつもどおりの台詞と応酬で、何もかもが丸く収まるこの一種の儀式のような暗黙の了解に、次元はいまさら逆らうつもりはなかった。
 だが、ルパンはそうではなかったらしい。
「おまえが俺の不甲斐なさに怒るのはいつものことだけどさ、こういうのって久しぶりだな」
 テーブルを挟んでソファは二つあるが、次元が起きて座りなおすと、ルパンは自然に隣に腰を下ろした。二人してふんぞり返るようにグラスを傾ける。
「……ちょっと前まではしょっちゅうだったぜ?」
 内心の動揺を悟られないよう気の無い返事をすると、
「そうか? おまえいつもすごい剣幕で怒るけど、こうやってプチ家出するまではなかったぞ。昔と違ってさ。……なんかあった?」
「……別に」
「うそつけ。不二子に何か言われたんだろ?」
 知ってるなら釜かけんな、と言いたいのをぐっと堪えて黙っていると、今度は次元が嫌がるのを知っててわざと帽子のツバを指で弾いた。
「何しやがんだ、てめぇっ!」
「おまえこそ何黙ってんだよ。言いたいことがあんならちゃんと言えよ。おまえが言うことなら俺は何でも聞いてやるよ?」
「バカいってんじゃ…」
 ない、と言いかけて、次元は真剣に覗き込んでくるルパンの瞳に一瞬で囚われてしまった。
 普段はおちゃらけた雰囲気をわざと纏っているせいか気づきにくいが、真に迫ったルパンの瞳は吸い込まれそうなほど琥惑的なのだ。隣にいて、獲物を狙う時のその輝きに何度魅せられたことか。
「おまえが不満だってぇなら、俺はどんなことでもしてやるぜ?」
「バカか…。不二子と間違えてんじゃねぇぞ」
 動揺を悟られないように、次元はとっさに帽子を目深に被りなおす。そうすると、今度はトロンとした甘い声が耳について困った。
「不二子にだってこんなことはいわないさ。次元…」
 座ったままにじり寄られて、ルパンの顔がアップに迫る。
「なんでだろうな…。次元ちゃんはやっぱ俺にとってすごく特別みたいだ。もちろん女は好きだけど、一緒にいて一番落ち着けるのは、やっぱ次元ちゃんなんだよな。なぁ次元、おまえどう思う?」
 いつのまにか半分圧し掛かるような体勢で、息がかかるほど間近にルパンの唇あった。思いがけないルパンの告白に酔わされて、次元はどこか夢見る気持ちでそれに触れてみたいと思っていた。
「ルパン…」
 だから、その唇に触れたのも、きっと無意識。
 次元はまさかそれにルパンが答えてくれるとは夢にも思わなかった。
「次元…」
 気が付けば、押し倒され、細いが力強い腕に抱きこまれ、お互い貪るように口付けていた。
 ――― このまま、抱かれちまうんだろうか…
 それでもいい。いや、そうして欲しい。
 次元はようやく、己のルパンに対する執着が形になるこの時を、ずっと待っていたことに気が付いた。
 たとえ明日の朝には覚めてしまう夢だとしても、今だけはこの男の全てを感じることができるのは自分だけ。
「…好きだ…」
 ルパン…。
 今なら言える。今だから…。
「次元…」
 ルパンの手が髪を撫で、唇が首筋から胸元を辿る。次元はそれにうっとりと身を任せて目を閉じた。
 ――― と、
「ルパン…、ルパ…、おい、ルパン?」
 しばらく目を閉じていた次元は、胸に圧し掛かった重みが全然動かないことにいぶかしんで声をかけた。
 見ると、これから次元相手に狼になる予定だった男は、いつの間に羊の数を数えたのか、気持ちよさそうに寝息を立てている。
「ったく、どうしろってんだよ!?」
 呆れ半分、気が抜けてホッとしたの半分。シャツをはだけられた胸元のマーキングに一人顔を赤らめる。
 次元はルパンを胸の上に乗せたまま、テーブルから煙草を取って火を付けた。
 深く一服すると、さっきまで惚けていた頭がだんだんすっきりしてくる。
「ま、俺たちはこのくらいが調度良いのかもな…」
 酒の勢いとその場の雰囲気と。
 少なくとも、悪ふざけで自分にこんな真似をするルパンではないことを知っている次元は、そう呟いて、愛しい男の重みを胸に、こっそり幸せに浸ったのだった。




 次の日朝早く、五右衛門がパリのアジトを引き払ってやって来た。
「なんとか丸く治まったみたいだな」
 顔を見るなり言われて、次元はまぁなと軽く肩をすくめた。
「どうせまた同じことを繰り返すのはわかってるけどな」
「それはあのルパンだからな」
 五右衛門が言う。当人はまだ夢の中だ。
「しかし、お主の言うとおりだとすると、拙者はまたあの女子のヤケ酒につきあわねばならんのか…」
「ヤケ酒? 何だいそりゃ」
 疲れきったような溜息を吐く五右衛門をいぶかしむと、お主は知らないからいいのだと珍しく愚痴る。
「お主がヘソを曲げるといつもルパンが機嫌をとろうとするだろう? そうするとな、不二子がたいてい荒れて拙者はヤケ酒に付き合わされるハメになるのだ」
 初めて聞く話だった。
「なんであの女が荒れるんだよ? ルパンを騙して宝石やら何やら盗んだお宝全部巻き上げてくくせに」
「さぁ?」
 今だ修行の身故、と人の心の機微に疎いことを暗に認めた五右衛門は、
「でも昨日もルパンがお主のために酒を準備して出て行った後は嵐のようであったぞ」
 と言った。
「そう言えば、不二子に伝言を頼まれた」
「伝言? 俺にか?」
「ああ。『何でも適えてくれる男は、自分の一番欲しいものをくれないから苛めてやる。ついでにそれを適えてもらえるやつも大嫌いだ』、と言っていた」
「え……」
 意味がわからず一瞬戸惑う。
 だって、不二子はルパンに何でも適えてもらえるのではなかったのか?
 実際不二子がちょっと猫撫で声でねだれば、ルパンは鼻の下を大いに伸ばして大抵のことはやってのけた。それなのに、一番欲しいものをくれないと言う。
 これではまるで次元に嫉妬しているようではないか。
「く…、くくくっ…」
「どうした次元? 何が可笑しいのだ? 拙者にはさっぱりわからぬのだが」
「これが笑わずにいられるかよ」
 たぶん、次元と不二子はルパンに同じものを望んでいるのだ。そして、どちらもそれを相手が手に入れているものと思い嫉妬し、だが本当はまだ勝負は着いていなかったとは…。
 ルパンを挟んだシーソーゲームを想像して、つい可笑しくなる。
「ま、いいさ。俺はもう長期戦だと思うことにしたし」
 五右衛門には聞こえないくらいの声で呟くと、次元は自分でもいつの間にか吹っ切れていることに気が付いた。
「次元?」
「ルパンが目ぇ覚ますにはまだ時間があるから、一緒に朝食でもどうだ? ご希望とあらば和食にするぜ」
「ああ、それはかたじけない」
 訳は知らないが、どうやら片が付いたらしい次元の様子に、五右衛門はそれ以上聞くのをやめた。
 とりあえず、訪れた平和な朝。
 二人は朝食にありつくために、夕べの名残酒がまだ陣取っているテーブルを片付けることにしたのだった。

                     fin


お酒をテーマにと頂いたキリバン話です。一応ルジ。
なんだか飲み足りない酔い足りないそんなお話になってしまいました(苦)。
実は、この二人まだ完全には出来てません。次元の片思いなのね。
だって表のお話だし。危ないとこまでいったけど。かわいいものよね。(←オイ!)
ところで、このお話では、四人とも皆飲んでます。私的には奴等はお酒に例えると、
個性的風味でそれでいてスッキリ飲めるシングルモルトのイメージです。
皆さんはどうでしょう?



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