Lion Heart (9)





「まさか神父が犯人とは思いませんでした」

事件解決から六日後。森下刑事は都内にある大学付属病院の病棟廊下を歩いていた。
あれから年末進行スケジュールに押されて連続徹夜で裏付け捜査に当たったせいか、疲れが溜まってなんとなくダルい。
世紀の凶悪事件と言われた犯人逮捕のニュースは、様々な意味で世間に衝撃を与えた。犯人が現職聖職者でしかも相当の地位にあったこともそのひとつだった。

「火村さんはいつの時点で気付いてらしたんですかねぇ。はっきり言って捜査線上に全く浮んでこなかった男ですから皆不思議がってましたよ。森下さんは大阪でいつもあの人の捜査を見てるからそうでもなかったかと思いますが」

森下刑事の横を並んで歩きながら、三越刑事が言った。

「いえいえ。いつも関心させられるばかりでさっぱりですよ。火村さんは、中途半端な確信で現場を混乱させることを一番気にされるから、ある程度状況証拠が揃わないと答えを言わないと決めていらっしゃるみたいなんです。いつもなら傍に友人の有栖川さんがいらしていろいろ聞いて下さるからこちらも検討が付くんですが今回はねぇ・・・」
「まったく、有栖川さんも今回は災難でしたね」

二人は、事件最後の被害者になるところを運良く助かって、運び込まれた病院先ですぐさま緊急入院となったアリスの見舞いを兼ねた事情聴取に訪れていた。

「失礼します」

ノックすると、先に来ていた火村がドアを開けてくれた。

「ちょうど良かった。今アリスに犯人を判別した経緯を話していたところだったんです」
「それは是非聞かせて下さい。我々もなぜ犯人がわかったのだろうと話していたんです」





「私は殺害と放火が同一犯であることをずっと疑っていました。最初にそれを疑うきっかけになったのは、バラバラにされた被害者の体にかかれた血文字でした。セオリーから考えれば、あれはどう見ても犯人の著名です」
「自分が殺した、という?」
「ええ。それと被害者を殺害した理由のね」

自供では、あれは×印ではなく、十字架を書いたものだったという。

「ですから、それをわざわざ放火してわかりにくくする必要はないと考えたんです。それに犯人は、被害者の身元を隠そうとはしていなかった」
「身元のわかるものが遺体の傍にいくつもあったからやな」

アリスが横から補足する。火村はそれに軽く頷いて言った。

「そう。だから余計に同一犯とは考えられなかった」
「松原が犯人だと考えるに至った理由は何なんです? 森下刑事に大阪の事件の証拠物の確定依頼をされた時にはわかっていたんでしょう? そこが私にはさっぱりなんですが」

三越刑事が訊ねた。

「最初から怪しいと思っていたわけじゃありませんよ」

火村は苦笑して、

「荒木真紀子のビデオを覚えていますか?」
「はぁ」
「あの悪趣味なビデオですね」
「ええ。あれは血文字よりずっと明確な犯人からのメッセージだったんです。被害者の殺害理由や、殺害後なぜ遺体をバラバラにする必要があったのか。あれは犯人の犯行理由を知る大きな手がかりなりました。あとは、そこから得られた犯人像が当てはまる人間を、物証から突き詰めて行けばいい」
「なるほど。そこまで柔軟な発想は我々警察には真似できないことですね」

三越刑事が残念そうに言った。

「そのかわり警察には緻密な証拠を集める統率力があります。物証の確認があんなに早くできたのもそのおかげです。森下刑事にはお世話になりました」
「いえいえ。でも、大阪で発見された金属塊が十字架だとわかった時は、てっきり話に出た若い神父見習いが犯人だと思ったんですがねぇ」
「私は目撃者が出たことの方が驚きましたよ」

その辺りの経緯を知らないアリスのために、火村は教会での聞き込みのことや十字架と物証の一致したことなどを詳しく説明した。

「そんなことになってたんかぁ」
「けど、どうして司教の方が怪しいと思ったんや? 俺もその場にいたらたぶんその若い方を疑ってたかも」
「教会での聞き込みではまだ五分五分だったさ」

火村は懐からキャメルを取り出し、一言断って火を付けた。

「だが、これはあの後すぐ電話で確認して知ったことなんだが、他の神父の話では、十日ほど前から姿が見えなくなっていたそうだ」
「ええっ!?」

アリスだけでなく二人の刑事も声をそろえて驚く。

「時間がなかったので言えなかったんですが、犯人の性格からして隠れることはまず考えられない。そうしたら、逆にあの時そのことを伏せて話をした司教が必然的に残ったんです」

事実、松原容疑者は春岡神父に疑いが懸るよう、彼の仕事に関係ある廃屋になった古い教会で犯行を重ねていた。それも、途中犯行に気づいた春岡神父を殺害までして。

「春岡神父の遺体は、供述どおり目黒の教会裏地から発見されました」

アリスが監禁されていた場所もそこだった。

「松原は被害者を拉致した後の監禁場所として、あそこの教会を使っていたようです。遺体を解体したと見られる血痕も他の部屋で見つかりました」

引き続き取り調べをして捜査を行っていけば、被害者の詳しい殺害状況が見えてくるだろう。
動機については、火村が予想していたとおり女性に対する妄想と自己逃避による犯行だった。

「調べでわかったことなんですが、ヤツは十二の時に母親を亡くしてましてね、それが酒乱のうえに男好きのひどい女で、母一人子一人だというのにまだ子どもだった松原を置いて何度も駆け落ちを繰り返したそうです。とうとう最後は当時付き合っていたらしい男との諍いで殺されたらしいんですが、犯人は捕まりませんでした」
「もしかすると、それも松原の犯行かもしれませんね。生みの母親を否定しつつ思慕が募るあまり、理想の女性を求める心理と憎悪が同時に生まれ、それが何らかのきっかけでバランスを崩して犯行につながった」
「なるほど。今となっては半世紀近い昔のことですから確証はありませんが、充分考えられますね」

その後、身寄りもなく施設に入った松原だったが、そこがたまたまキリスト系の施設で、それが神父になるきっかけだったという。

「神父としてある程度の地位を築いても、母親のことはずっと頭の隅にあったんやろな」
「ああ。だが有吉今日子の出現が松原のバランスを崩した。彼女の裏の顔は、まさに松原の母親と同じ堕落した女だったことでヤツの逆鱗に触れたんだ」
「有吉今日子やて?それは二番目の被害者やろ? なんで?」
「一番最初の犯行はハズミさ。たぶん、第一の被害者荒木万紀子には松原に母親を思い出させる共通点がありすぎたんだ。それが引き金になって彼女を殺害した時、松原の中で何かが壊れたんだろうな。そしてヤツの本当の憎悪の対象は有吉今日子だ。一人殺せば二人殺すのも簡単。あとは犯罪者特有の論理さ」

自分の理想で母親とは反対の女性像を描いていた松原にとって、有吉今日子は最初理想そのものの女性に見えたのだろう。彼はそれをマリアと呼んで崇めていたが、彼女には旦那も知らない裏の顔があった。期待が大きかっただけに心底嫌悪する女の部分があったことは裏切りに等しいものだったに違いない。一度でも好意を寄せていたことの赦しがたい思いが、殺意に変わるのに時間はかからなかった。
暗い教会地下に捕われていた時のことをアリスは思い出す。
あの時、「存在全てが命のようだったものが去っていくのは身を切られるほどに辛い」と言った松原の言葉が忘れられない。
同情はしないが、すべての人間が自分の半身を見つけることができないのも事実だ。
自分には火村がいる。火村の存在が支えであり励みであり、安心して眠れる『巣』だった。
火村にとってもそうだでありたい。
すぐ隣で気遣う火村を想って、アリスはそっと目を閉じた。





年越しは、毎年白川の下宿先ですることが恒例になっている。
大阪に帰り着いたのは、年も押し迫った晦日前だった。
犯人逮捕後の裏付け捜査のこともあったが、何より、運び込まれた病院先ですぐさま緊急入院となったアリスの容態のことがあったからだ。事情聴取も、佐伯刑事と三越刑事が見舞いを兼ねて何度も病院まで来てくれた。
二人にはしきりに「災難でしたねぇ」と気の毒がっていたが、

「一番迷惑したのは片桐さんやろな」

病室でアリスの顔を見るなり涙した担当者を思い出して、アリスは心の中で手を合わせた。今度の締め切りはできるならやぶりたくないものだ。
翌大晦日には京都で大掃除の手伝いをし、いたくばあちゃんに感謝された。
年越し蕎麦を食べた後、いつもどおり十一時に就寝するばあちゃんに挨拶して二人は二階の火村の部屋で酒盛りを続けていた。
京都の冬は暖房を入れても底冷えがする。
二人寄り添うようにコタツに入って熱燗を差し向かいでやりながら、アリスはこうして過ごす穏やかな時間がずっと続けばいいのにと想っていた。

「二十世紀最後の大晦日なんだな」

シン・・・と静まり返った中、火村がポツリと呟いた。

「うん。俺、こうやって何事もなく君と二人で年越しができるの当たり前のように思てた」
「ああ、そうだな」

どこかで、除夜の鐘の音が鳴り始める。
それを合図に、二人同時に「明けましておめでとう」と言い合った。
なんとなく照れくさく、でも嬉しい瞬間。
だからそれは自然に口を突いて出た言葉だった。

「好きやで火村」

思いを込めて、アリスは告げる。

「君がずっと好きやった。俺、自分のことやのにいまさら気づくほど鈍いけど、たぶん、学生のころから君のこと・・・。ごめんな」

あらためて言うと気恥ずかしいが、この事件で言葉にしないと伝わらないこともあることを思い知った。

「アリス・・・」

火村が驚きに目を見開く。それ以上言葉にならないのか、代わりにアリスを引き寄せてしっかりと抱きしめた。

「謝るのは俺の方だ。被害者の家で、おまえ宛てに来ていたカードと同じものを見た時、電話で別れ話の理由を追求しなかったのを死ぬほど後悔した」
「火村・・・」
「怖かったんだよ。おまえを騙すように抱いてから、正直ずっと後悔してた。俺の身勝手な思い込みに、おまえを引きずり込んだ気がして・・・」
「・・・」
「俺は一歩間違えれば犯罪者になっていた男だ。ずっと昔、人殺しになりそこねて以来、抜け殻のように生きてきた。もう何かに執着することは一生ないだろうと思っていたし、したくもなかった。だから、こんなことを言う資格はないのかも知れないが、アリス・・・」

震える声で男は言った。

「傍にいてくれ」
「火村・・・」

許しを請うような声音は、涙が出るくらい深くアリスの胸に響いた。
ずっと聞きたかった火村の本音。
でも、もうひとつ聞きたい言葉がアリスにはあった。

「なぁ火村。それを叶える魔法の言葉があるんやけど使うてみぃへんか?」
「・・・・・・」

広い背中に腕を回して上目遣いに囁くと、憮然とした男の顔と目が合った。
大きな手に頭を掴まれ、乱暴に肩口に押し当てられる。
そして、呪文は優しくアリスの頭上に降ってきたのだった。

「好きだ、アリス。愛している」





その夜は、二人にとって何もかもが初めてのセックスになった。

「君ってイク時こんなセクシーな顔してたんやな」

目ぇ瞑ってて損したわ、とからかうと仕返しに感じやすいスポットをさんざん弄られて喘がされた。
焦らして、高めあって、お互いの足らない部分を埋めるように、慰めるように、互いの名を呼びながら愛し合う。

「なぁ明日・・・もう今日やけど、一眠りしたら一緒に初詣行こうな」

満足して行為が終わったのは、窓の外が明るくなりだした頃だった。

「そうだな。たまには神頼みもいいかもしれん」
「何てお願いするん?」
「・・・俺のための薬箱がずっと確保されますように」
「アホ。俺は癒し系か」

少しだけ先の未来に希望を約束する。
この先、ずっと二人で歩いていくために。






End











やっと終了です。
長い間お付き合いありがとうございました。






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