Lion Heart (7)





その日は、聖日前夜に相応しい静けさに包まれていた。

「失礼します。そろそろミサのお時間ですので、礼拝堂のほうへお願いします」
「ご苦労様。すぐ行きます」

にこやかな笑顔で答えて、彼はいつもの礼服に白い儀式用の上着を着込んだ。
今年最後のイベントが、厳かに執り行われようとしていた。
全世界の神の子どもたちが、その直系の誕生を祝う日。
きっと今日は、いつもより清々しい気持ちでミサを勤めることができるに違いない。
なぜなら、いつも賛美歌の伴奏を奏でるあの女が今日はいないからだ。
神に祝福される人間はよく吟味されるべきだ。
淫乱な嘘つき女に神への音楽を奏上させてはならない。
そう思って、彼はこの日を憂いなく迎えるために、一昨日も一仕事終えていた。
彼は、神は穢れた音楽を奏上されるくらいなら、無伴奏でも美しい少年少女達の無垢な歌声を望まれるはずだと思っていた。
ミサが終われば、もう一つ楽しみなことが待っている。

「もうすぐ、彼にも会えるしな」  

彼にとっての本当の意味でのメインイベントだ。
彼は、どんな美しい顔で自分の祝福を受けてくれるのだろうか。
聖夜を飾るに相応しい儀式になることを夢想して、彼は子羊の待つ礼拝堂に向かった。





「盲点でしたな」

人間は、無意識のうちに自分の体験したものを頭の中で善と悪、快と不快など、おおまかな二つの関連法則従ってに振り分け認知することがあるという。
犯罪がからむとなれば、それが顕著に出ても仕方がなかったといえる。誰だって、自分の身内や知り合いを怪しいなどとは思わないものだ。まして、犯罪者を示す『怪しい人物』と限定されれば、それ以外は見なかったものと認識されることだってある。

「長年、刑事をやってれば、気づいて当然のことでした」

自ら確認に出向いた三越刑事が、感服しましたとばかりに言った。
火村の予想した目撃証言が得られた後、彼らは車で四人目の犠牲者、石川美穂の家に来ていた。

「火村さんはいつからこのことに気がついてらしたんですか?」
「ついさっきまではまだここまでの確証はありませんでしたよ。放火犯がつかまって、初めて自分でも納得がいったんです。それに、被害者のダイイイングメッセージがありましたしね」
「え? そんなものあったんですか?」

驚いて、今度は佐伯刑事が目を見張った。

「ええ。大阪でね。覚えてらっしゃいませんか? 大阪の事件の証拠物で、正体不明の金属物があったでしょう? 東京ではもう三件も事件が起きているのに、それらしいものは一つもありませんでした。とすると、それは犯人が残したものではない」
「逆に言うと、被害者が残したものと考えられたわけですね?」

火村は頷いた。

「そして、そこで初めて犯人と被害者たちを結ぶ糸が見えてきたんです」

三人が今いるのは、被害者美穂本人の部屋だった。八帖ほどの洋間には、音大卒らしく、さまざまなクラシック音楽の手引書やCD、ピアノ曲の譜面などがある。

「すみませんが、お母さん、娘さんはピアノ以外の楽器を演奏することはありませんでしたか?」

それらにざっと目を通しながら、火村は部屋の隅で身を硬くしている母親に質問した。

「はぁ・・・。あの子は高校がミッション系の学校だったこともあって、推薦で入った音大の紹介で教会のパイプオルガン演奏のアルバイトをしておりました」
「なるほど。それは◯◯町にある、大きな教会ではありませんか?」
「え、ええ」

なぜそんなことを知っているのかと母親が不思議そうな顔をする。
それだけ聞くと、火村は傍の佐伯刑事に視線を移して言った。

「至急、◯◯町の教会に人をやって下さい。きっと犯人はそこの教会に関係する人物です」
「わかりました! おい!」
「はいっ」

指示を受けて、三越刑事が勢いよく飛び出していく。

「やれやれ、とりあえず年内には片が着きそうですな」
「ええ、でも・・・」

気を抜くのはまだ早い。
そう思って、なんとなくもう一度部屋を見回した火村は、そこで見つけて目を見開いた。

「これは・・・」

それは一枚のカードだった。端に薔薇の透かしの入った・・・。

「あれ、奥さん、まだそのカード持ってたんですか。ダメじゃないですか。証拠物はちゃんと届けてくれないと」

火村が取り上げたカードを横から覗いて、佐伯刑事が嗜めた。

「すみません。それ、今朝届いたんです。今日刑事さんたちが来られるなら、その時お渡しすればいいと思ってたものですから・・・」

それを聞いた火村は、これが例の被害者に送りつけられた脅迫状の一部だと悟った。同時に、こんな大事な証拠物に、きちんと目を通さなかった自分の迂闊さを呪う。
それと同じ物をどこで見たのか思い出したとき、火村は一気に血の気が引く思いがした。

「奥さん、このカードは何か別のものと一緒に届けられることはありませんでしたか?」
「え、ええ」
「それは、もしかして、白い薔薇の花束ですね!?」

火村の勢いに押されて、母親はコクコクと頷いた。

「佐伯さん、すみませんがすぐに車を出して下さい! 次のターゲットがわかりました!」
「なんですって!?」
「早くしないとアリスが・・・!」

言うや否や飛び出した火村を追って、佐伯刑事は慌てて後に続いた。





その頃。
新宿駅付近のサイン会場は、思ったよりも多い人の波にごった返していた。

「やっぱり先生の人気は半端じゃありませんね」

サイン会の成功と新刊の売上を大いに期待して喜ぶ片桐氏をよそに、控え室のアリスはずっと落ち込んだままだった。
今日、この会場に来る前に寄った編集部に、またあの花束が届いていたからだ。
一昨日の取り乱したアリスを受付嬢から聞いて知った片桐氏は、自分が処分しましょうと申し出てくれたが、それを丁寧に辞退して結局受け取ってしまった。一緒に届いたカードの中身を誰にも見られたくなかったのだ。もちろん、花はすぐに捨てた。
 
 
もうすぐあなたを迎えに参ります

簡潔な文がかえって不気味な内容だった。
昨日なんか、とうとうホテルにまで送りつけられて、恐怖のあまり一睡もできなかった。

 
明日はやっと会えますね
  楽しみです


昨日のメッセージを思い出して、思わず身震いしてしまう。

(サイン会に来る気なんや・・・)

わかっていても、アリスには不安に戦く以外術はない。
相談するなら火村しかいないことはわかっていたが、それができない以上、誰にも言えないことだった。

「火村。俺を助けてくれ・・・」

呪文のように愛しい名前を繰り返して、必死に不安を抑える。
頑張ってセッテイングしてくれた編集部の人たちのためにも、今日のサイン会だけは成功させたかった。

(何事もありませんように)

祈るように手を組んで座っていると、員が呼びに来た。

「有栖川先生、そろそろ時間ですのでお願いします」
「は、はい」

慌てて立ち上がり部屋を出る。会場へ続く通路には誰もいなかった。

「大丈夫。しっかりしろ、アリス」
そう自分に言い聞かせて顔を上げたところで、

「すみません」

と後ろから声をかけられた。振り返ると、見かけない奇妙な格好の男が人の良さそうな笑顔を浮かべて立っていた。

「有栖川さんですね」
「ええ」

男は神父だった。
なんで神父がこんなところにいるのだろう。

(まさか神父さんが俺のサイン貰いに来たなんてことあらへんよな)

怪訝そうな顔で見上げるアリスに、その神父は厳かに言ったのだった。

「あなたを迎えに来ました」





「ああ、火村さん。よかった、やっとつかまった。どうしましょう、大変なことになりました」

ようやくつながった電話先で、片桐氏が支離滅裂な口調でまくし立てた。

「落ち着いて下さい。どうしたんですか。アリスはそこにいるんですか?」
「それが…先生の姿が消えてしまって、もう一時間探しているのに全然見つからないんです」

火村は自分の嫌な予感が的中したことを知った。

「サイン会の時間が来て、係員が控え室を伺った時には確かにいらしたんです。それが、いつまでたってもいらっしゃらないので見に行くと、廊下に変なカードが落ちていて・・・」
「どんなカードです?」
「隅にバラの透かしの入ったカードで、『もうすぐあなたを迎えに参ります』って・・・。先生、このところ塞ぎがちで、ずっと様子がおかしかったんです。もっと私が気をつけていればよかったのに。どうしましょう、まさか誘拐なんて・・・」

片桐氏の話で、アリスが夕べなぜあんなことを言い出したのかがわかった。
犯人は、ほかの被害者と同じように脅迫状を送りつけていたのだ。その中には火村との関係のことも書いてあったのだろう。
火村に迷惑がかかるのを恐れて、アリスはずっと一人で我慢していたにちがいない。

(馬鹿アリスめ・・・)

見抜けなかった己の不甲斐なさに腹が立つ。

「すぐに警察をそちらに手配します。大丈夫。アリスは俺が何とかしますから、できるだけ事を大きくしないようにして下さい」
「は、はい。火村さん、先生のこと、よろしくお願いします」

携帯を切った火村は、すぐさま無線で佐伯刑事に連絡を取った。

「今から私が言うところに、急行して下さい。そこに犯人が人質と一緒に立てこもっているはずです。こちらもこのまま向かいます」

間に合ってくれ。
信じてもいない神に初めて祈りながら、そうすることしかできない自分が、ひどく
情けなかった。





(頭痛い・・・)

かすかな頭痛と倦怠感がまとわりついて、アリスはゆっくりと目を開けた。
(また飲みすぎて二日酔いかいな・・・)

酒は好きだが強くはないアリスは、そのことをいつも彼にからかわれる。

(また迷惑かけたかも)

と、起き上がろうとして、見覚えのない部屋の風景に、アリスの意識は完全に覚醒した。

「ここ・・・」

どこだ?
殺風景なコンクリートの壁に囲まれた部屋。
その真ん中のパイプベッドの上に、アリスはいた。しかも、

「なんや、これ。なんかの冗談か?」

ジャラジャラと重い音を立てて枕元から両手首に繋がる鎖に唖然となる。

(もしかして俺、拉致されたんか?)

控え室から出て、ファンの待つ会場に向かったところまでは覚えている。
その途中、神父に声を掛けられて・・・、そこからアリスの記憶は途切れていた。

「眼が覚めましたか? 有栖川さん」

聞きなれない声がして、部屋の隅から闇が溶け出すように男が現れた。
名前を呼ばれて顔を向けると、それはあのサイン会場で会った神父だった。

「あんた・・・」
「やっと会えましたね。ずっとこの日を待っていました。ようこそ。私が送った薔薇はいかがでした?」

にこやかな笑みを張り付かせたまま、男が言った。
その言葉で、アリスは彼が何者かようやく気がついた。

「あんたやったんやな。どういうつもりなんや。あんなきしょく悪い手紙送るやなんて」
「お気に召しませんでしたか」
「あたりまえやっ! あんなん嫌がらせのなにものでもないわ!」
「おやおや」

憤慨して睨みつけるアリスの傍に、男がゆっくりと歩み寄る。

「残念です。私の方は街角で見た時すぐに、これが運命だとわかったのに」
「街角?」
「覚えていませんか? 先月、不良に絡まれて取り落とした募金箱を拾って下さった時のこと。あの時のあなたはまるで天使のように清らかな笑顔で、私はぜひ神の祝福を授けたいとこの時を待っていたのです」

アリスの脳裏に街灯に立って赤い羽根共同募金を呼びかける聖職者達の列が甦る。

「あんた、あの時の神父なのか・・・?」

驚きに眼が見開く。

「神父が、なんでこんなこと・・・」
「聖職者だからですよ。世の中は穢れています。あの時、私達に絡んできた不良達もそうですが、私が本当に赦せないのは有川裕子のように清廉な顔をしながら欲望にまみれた女です。だから、彼女達には私なりに神の裁きを下してやりました」
「え・・・」

何を言っているのだろう、この男は・・・。
人の良さそうな笑顔を張り付けたまま、眼は笑っていない男に、アリスの不安が大きくなる。
男が続けて言った。

「ビデオ、見たんでしょう? あなたが、大阪の捜査に時々協力するという男の友人だということはすぐにわかりました。案外有名なんですね、有栖川さん。ネットではあなたのファンの危ないサイトがいくつもありましたよ」

目の前に顔を近づけて囁くように言う男に怯んで思わず後ずさると、腕の鎖がジャラリと音を立てた。

「あなたは、あんな女達とは違いますよね?」
「まさか・・・。あんたがあの・・・」

連続殺人犯・・・とは声にならなかった。
伸びてきた男の手に鎖を引き寄せられ、あっという間にアリスの身体は引き倒される。

「あの男にも、あなたの意思で身体を許してるわけではないのでしょう?」
「な・・・。なんでそんなことあんたに言われなきゃならんのや。俺と火村はこ、恋人同士なんやから許してるに決まってるやないか!」

声が震えるのは気のせいだ。そう自分に言い聞かせてアリスは叫んだ。

眼の前に殺人犯がいる。そのことはアリスの平常心を失わせるには充分な恐怖だった。
「・・・そうですか。結局、あなたも私の神が求める『マリア』ではなかったのですね。そんな清純そうな顔をして、男を惑わす悪魔だったのか」

男の顔からゆっくりと笑顔が消えていく。
「残念です」

その瞬間、怯えるアリスの目の前で男が豹変した。



















to be continued…











とうとうアリスが捕まっちゃいました。
続きは裏です。
アリスの運命や如何に!







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