Lion Heart (6) 捜査本部はすでに現場とのやり取りや捜査指揮等の喧騒に包まれていた。 部屋に入り佐伯刑事を探すと、彼はちょうど電話を切ったところだった。 「ああ、火村先生」 火村を見つけてすぐに駆け寄って来る。 「たった今、有栖川さんから電話がありましたよ。気づくのが遅れて切ってしまいましたが、掛け直されますか?」 「いえ…」 火村は躊躇ったが、少し考えて断った。今アリスの声を聞いてしまうと、集中できなくなりそうだった。とりあえず今は事件の方が先だ。 「状況を聞かせて下さい」 気持ちを切り替えて申し出ると、佐伯刑事は頷いて手帳を開いた。 「わかりました。事件のことはどこまで聞かれましたか?」 「さきほど第一報を聞いたばかりです」 「そう言えば、森下さんが見当たりませんが」 「彼にはちょっと証拠関係で確認をしてもらってます。佐伯さんは現場のほうには行かれなかったんですか?」 「一応、見てきました。酷いものです。また放火されてましてね。遺体はすでに黒焦げでした。ですが、現場の遺留品から身元は分かりましたから、初動捜査としてはまずまずでしょう」 世間の関心が高い事件だけに、事件発生から時間がたつにつれ警察批判が厳しくなっていた。当然、現場の捜査員達にも気合が入る。 「ええと、遺体が発見されたのは、大田区の繁華街裏の空きビル一階で、害者の名前は石川美穂、二十七才。独身で、家族と住む都内の自宅でピアノ教室を開いています。家族に確認したところ、一昨日から姿が見えず、捜索願いを出そうとしていたそうです。」 「今まで家族に何も言わず出かけることはなかったんですか?」 「何度かあったそうですが、レッスンの日は必ず避けて出かけていたらしくて、今回、そのレッスンの時間になっても帰ってこないことから心配していたそうです」 「その間の足取りは?」 「一昨日の夕方、練馬区の駅付近で目撃されてますが、その後、火災のあった大田区の繁華街裏どおりで発見されるまで目撃証言はありません。ですが、今回は極めて重要な手がかりがありましてね」 手帳を読み上げていた佐伯刑事は、そこで声を潜めて言った。 「なんと、現場近くで犯人らしき人間を目撃した人がいたんです」 「それは…、信用できる証言ですか?」 「ええ。現場検証から、火災が起きたのは今日の午後一時くらいだったんですが、その時間帯に付近の駐車場の管理人が、問題のビルから不審な男が慌てた様子で出てくるところを目撃してます。今、モンタージュを作成中です」 「慌てた様子で、ですか…」 「何か?」 そこまで聞いて、火村はなんとなく釈然としない顔をした。 どうもイメージと違う気がする。 「佐伯さんは、殺人犯と放火犯は同じ人間だとおもいますか?」 「え?」 反対に聞かれた佐伯刑事の方が面食らった顔で、 「違うんですか?」 と聞き返した。 「犯行時間の重なりはあるんですか?」 「ええと…、この報告では害者の死亡時間と発火時間は極めて近いとありますね。それから考えると、同一犯の可能性は高いと思いますが。火村さんは違う考えをお持ちのようですね」 「いえ、そういうわけではないんですが…。どうも、思い浮かべていた犯人像と重ならないんですよ。被害者を拉致して殺害するという入念な犯行過程からすると、犯人は、かなりの知能犯で完璧主義者のはずです。おそらく、何らかの理由で気持ちを寄せていた被害者に裏切られたという思い込みから犯行に及んだと考えられます」 「なるほど、例のストーカーのようなカードがその証拠ですね」 「ええ。ですから殺害後も普通なら考えられないような残酷なことをして、それを粛正だといって憚らない」 「もしかして、バラバラにされた遺体の血文字も何か意味があったんですか?」 「そう考えた方が自然ですね。私は、むしろあれは犯人の署名だと思っています」 だから余計にその署名が見えなくなるような放火とは結びつかないのだ。 だが、それを言おうか言うまいか迷っていたその時、すごい勢いでドアが開き、三越刑事が駆け込んできて叫んだ。 「たった今、犯人を確保したと言う知らせが入りましたっ!」 「なんだって!?」 突然の知らせに、部屋にいた捜査員が一斉に立ち上がる。 「どんな奴だ!?」 「犯罪歴は!?」 「それより害者との関係の方が先だ!!」 一瞬にして騒然となった中、矢継ぎ早に質問が飛び交う。 「詳しい報告はまだですが、一時間以内にこちらの本部に移送されるそうです」 「わかった。君は引き続き移送の手配に移ってくれ。あと、何人かは現場の整理に行って、残りは裏付け捜査に入るように」 佐伯刑事が指示を放つと、捜査陣が動き出すのは速かった。 「火村先生も私達と一緒にお願いします」 「わかりました」 (今夜はホテルには帰れそうにないな) 慌ただしく後に続きながら、火村は今朝別れたきりのアリスの顔を思い浮かべていた。 電話が鳴ったのは、夜もふけてからだった。 「もしもし、アリスか?」 電話の向こうから、気忙しげな声が耳に届く。 「火村・・・」 ホテルで別れてからすでに一昼夜が過ぎていた。 時間にしてほんの三十数時間ほどしか離れていないのに、ずいぶん懐かしい声だった。 「昼間、電話くれただろ? 悪いな、ちょっと立てこんでて、こんな時間になっちまった」 「犯人捕まったんだって?」 「ああ、もうニュースで流れてるんだっけな。おかげでこっちも対応に追われてるよ」 受話器を通して、捜査陣の慌ただしい状況が伝わってくる。アリスも伊達に火村にくっついていたわけではないので、今がどんなに大変で大事な時期かはよくわかっていた。 「何か用があったんだろ?」 そう尋ねる低い声に被さって、男の名前を呼ぶ誰かの声が聞こえる。 本当は、電話どころではないのだろう。それを思うと、一刻も早く火村を捜査に返してやりたい気持ちと、少しでも自分を気に掛けていてほしい気持ちがせめぎ合い、アリスの口を重くした。 もっとゆっくり話していたい。 やっと決断したことを、できるなら口にしたくはなかった。 火村のことが大切だから・・・。 誰よりも愛してるから・・・。 だから、今は離れる。昨日から一日中考えて、それをあえて決断した。 (君を守りたいから) 「なぁ、今日は、いやもう明日やな、帰って来れるんか?」 「いや、今夜は帰れそうにない」 そこでもう一度、火村を呼ぶ声がした。 「悪いけどアリス、時間がないんだ。手短に頼む」 「ああ、火村・・・俺・・・俺達な」 君が好きや・・・大好きや・・・。 だから、 「しばらく時間をおきたい」 「・・・・・・」 電話の向こうで、一瞬、息を飲む気配があった。 「・・・理由を聞かせてくれ」 「別に君のことが嫌になったゆうんやないんや。ただ、ちょっと考える時間が欲しいねん。だから・・・」 苦しい言い訳をどう取ったのか、火村はそれで沈黙した。 ほんの数秒間が、ずいぶん永く感じられる。 胸の鼓動だけがいやに大きく響いた。 やがて・・・ 「・・・わかった」 「・・・・・・」 短く押し殺した声のあと、電話は切れた。 あっけないほどの幕切れに、アリスはしばらく声もでなかった。 どれくらいそのままでいたのか。 視界がぼやけて自分が泣いていることすら気付かなかった。 「う・・・うぅ・・・火村ぁ・・・」 唐突に別れを言い出したアリスを、火村はどう思ったことだろう。 少しでも何かあったと心配してくれただろうか。それとも身勝手なヤツだと思われ、このまま切り捨てられるのだろうか。 できれば、前者であってほしい。 そう願いながら、愛しい男の面影を思い浮かべて止めようもなく溢れる涙に嗚咽を漏らしながら、アリスはベッドに泣き崩れた。 「あ、また雪が降り出しましたね」 殺風景な取り調べ室の並ぶ廊下で、コーヒーを入れていた三越刑事が声を上げた。 被疑者確保から一晩たった昼過ぎ、取調室から出てくる刑事達は、皆一様にお手上げ状態だった。 「今日はクリスマスだってぇのに、また今年も家族サービスはお預けだな。これで少しでも事件が解決に近づきゃちょっとはましなんだが・・・」 隣で佐伯刑事がぼやく。 「まいりましたね。ここまで来て、やってませんとくるとはね。状況的には限りなく黒に近いと思うんですけど」 「う〜ん・・・。俺もそう思うんだが、今ひとつ、何か引っかかるんだよねぇ」 身柄を確保された被疑者は、事件内容から佐伯刑事たちが考えていたより、はっきり言ってずっと小物な男だった。おどおどした物言いや始終落ち着きのない仕種からして、万引きや空き巣などのケチな罪は犯しても、間違っても人殺しができるような度胸はないようだった。 案の定、取調室に入るなり、放火については認めたものの、殺人については容疑を否認した。 「こりゃ下手すると振り出しに戻るかもしれん。俺の勘だとどうしてもあの男は黒には思えないんだよ」 「佐伯さんもそう思いますか。実は僕もなんですよ。火村さんはどう思います?」 そこでいきなり会話を振られて、心ここにあらずだった火村は、一瞬返答に詰まってうろたえた。 「どうかなさったんですか?」 「すみません。ぼーっとしてました。何の話でしたっけ」 「今取り調べている容疑者のことですよ。火村先生の方で何か気付かれたこととかありませんか?」 「そうですね・・・」 懐からキャメルを取り出し火をつけながら、火村は昨夜から観察していた容疑者と、その取調べの内容をゆっくりと思い出した。 殺人容疑は否認したものの、放火においては自供どおり黒と見てほほ間違いないだろう。 供述からすると、ここ二、三ヶ月ほど続けて放火していた男は、たまたまあのビルに入ったのだと言う。火をつけて、ある程度火力が出てきたところで振り返った男は、そこで初めて遺体を発見し、恐ろしくなって逃げ出したのだ。おそらく、駐車場管理者に見られたのは、この時の姿なのだろう。 (あの男は器じゃないな) この時点で、火村の関心はすでに男の上にはなかった。 この事件の犯人は、もっと大胆でかつ病的なこだわりをもった人間だ。 火村の中で、それは一つの方向性を持ってイメージを結びつつあったが、悲しいかな物的証拠が欠けていた。 「何かひとつでもつながりがあれば・・・」 そう呟いた火村に答えるように、すぐ脇の机で電話がなった。 「火村先生、大阪の森下刑事です」 朗報だった。 二、三簡単な応答を交わした後、火村はさっきまでとは打って変わった強い光を目にこめて、佐伯刑事を振り返った。 「ひとつお願いがあるんですが、いいですか?」 「ええ、何でしょう」 「例の目黒の目撃者に、もう一度話を聞いてもかまいませんか?」 「はぁ。しかし・・・」 困惑した表情の佐伯刑事に、火村はわかっていますと頷いて、 「もう何度も聞き込みはされてて、めぼしい証言はなかったのでしょう?」 「ええ。何度聞いても怪しい人物は見かけなかったと言われました。たぶん、同じ答えしかかえってこないと思いますが」 「ですから、こう聞いていただけませんか?」 火村は、そこでいったん言葉を区切り、それから二人の刑事の顔をまっすぐ見て言った。 「怪しくない人物は見なかったか、と」 to be continued… |