Lion Heart (3)






――― 世の中は、人の欲望に穢れ、荒みきっている。
 彼が現実の世界をそう認識したのはいつの頃からだったのか。
辛く苦しい子ども時代の思い出か。それとも、どんなに救いを求めても、誰も助けてはくれなかったという無なしさか。
いつしか、彼は内なる世界に救いを求めるようになり、そして今、彼の中には神が住んでいた。
彼の神は、彼に、世界のすべての欺瞞、欲望、裏切り、またそこから生まれる罪を罰し、浄化するよう指示した。
彼にとって、その使命はいつしか生き甲斐になった。

「穢れは、払わなくてはならない」

それも、法則に乗っ取った、正しいやり方で・・・。彼なりの『慈悲』で。

「あの女達は、マリアの仮面の下に、罪の顔を持っていた」

かわいそうに。
だが、自分の裁きおかげで、ようやく神のもとで本当の聖女になれたからいい。
女どもが信用がならないということを、彼は自分の母親の不実から経験で知っていた。
どんなに美しい姿かたちを持っていても、心までそうとは限らない。
肉の悦びの前には、神を持たない彼女達は弱かった。
彼は彼女達の精神を、その穢れた肉体から救ってやったのだ。
だが、彼が求める者は、やはり本当の『マリア』でなくてはならなかった。

「彼はどうだろう・・・」

ふと、先日、街角で親切にも喜捨してくれた若い青年を思い出した。
大きな鳶色の瞳が、はっとするほどきれいな青年だった。
あの青年こそ、本物かもしれない。
神に祝福されし者。彼の認める『マリア』の条件を満たしていれば、もはや性別は関係なかった。
とりあえず、こちらから祝福のしるしに何度か花束を贈っている。

「彼は最後の供物だ」

薄く唇の端を上げて浮かぶ微笑。
楽しみは最後に取っておいてこそ意味がある。
彼にはまだするべきことがあった。
彼の愛する世界を汚す女たちを見つけ出し、浄化してやることが・・・。






大阪では降った雪がまだ東京では降っていないと聞いて、アリスは嘘やとつぶやいた。
寒さはやはり、こちらの方が厳しいような気がする。
東京に来てからの一週間は、信じられないくらい忙しかった。
連日、雑誌のインタビューからサイン会用ポスターの写真撮影、その合間を縫うようにラジオ出演し、しまいにはテレビのトーク番組にも引っ張られ、事件のことを考える暇どころか、火村との連絡さえ滞りがちだった。
火村の方は、教えておいたホテルに予定通り着き、さっそく精力的に捜査に参加しているというのに。
世のベストセラー作家がいつもこんな大変な思いをしているとは思わないが、これならホテルで缶詰にされた方がましと思える。
唯一の楽しみは、編集部宛に届くファンレターだった。
いつもはアリスが大阪にいるので、片桐氏が定期的にまとめて送ってくれていたが、ここにいれば毎日届く手紙をリアルタイムで読むことができる。
例の白バラの花束も、やっと本人の手にとってもらえて差出人も本望だろう。

「有栖川先生、また来てますよ、例の花束。最近頻繁に送って来ますね」

そうやって忙しい日々をなんとかこなしてさらに何日か経ったある日、その日も編集部で打ち合わせていたアリスに同業の朝井小夜子から連絡があった。





「アリス―っ! こっち、こっち」

異国風の内装で洒落た雰囲気を醸し出す人気のイタメシ屋に入ると、奥の座席から小夜子の明るい声がアリスを呼んだ。
店内はそこそこに入った人のざわめきで、初めてのアリスも気後れなくすぐになじんだ。

「こんばんは。珍しいですね、朝井さん。いつ東京に来たんです?」
「うん、今度あたしのシリーズが東京テレビでドラマ化されることになってね、最近ちょくちょく打ち合わせの仕事に来てたの。ちょうど片桐さんにアリスもこっちにいるって聞いて、東京で起こった例のバラバラ事件を肴に、いつかの名探偵捜査会議の続きでもしようかと思って連絡したのよ」
「それでこいつも一緒だったんか」

能天気に言う小夜子の隣には、いつかのメンバーだった火村が座っていた。
目線が合うと、軽く手を上げて応じる。

「三人で飲むのって赤星さんの事件以来ね」

そう言えばそうだ。
あの事件はアリスも小夜子も当事者で、今思い出しても少し胸が痛む。

「もう大丈夫なんですか?」

おそるおそる尋ねたアリスに、ミステリー界の女王は、何がと聞かず微笑んだ。

「馬鹿ね、女は強いのよ。いつまでもクヨクヨしてないわよ」

アリスが席に着くと、彼女達が先に頼んでいた料理がさっそく運ばれて来た。
この数日の忙しいなかで、久しぶりのまともな食事だ。

「今日はあたしの奢りよ。どんどん食べて」

有難いお言葉に、自分の作品が映画化されたらお返しする約束をして、アリスはさっそく箸をとった。

「それへ、あれはらひけんろうなっは?」
「きたねェな。食いながらしゃべるなよ、みっともない」

子どものようにケチャップで汚れたアリスの口元を、火村が強引にナプキンで拭う。
二人の関係を知っている小夜子が、隣で笑いながらアツイアツイと手で仰ぐしぐさをした。

「事件の方は、これといった進展はないな。警察の捜査線上に浮かんでくる容疑者も、調べると事件に無関係な場合が多くて話にならない」

動機の方もはっきりしないまま、捜査は暗礁に乗り上げていた。

「君がこの前言った犯人像は? 言ってみたんか?」
「それはまだだ。下手に捜査範囲を狭めてしまうのも考えモンだしな。地道な捜査を期待するさ」
「そんで、こっち来てなんか進展あった?」
「わかっているのは、犯人が男だということくらいかな。司法解剖によると、被害者は三人とも殺害される前に暴行されている」
「状況証拠か」

精液のことだ。

「ああ。有吉今日子や大阪の浜崎裕子は黒焦げでわかりずらかったらしいが、荒木万紀子にはしっかり証拠が残っていた。B型だ。そこから考えると、犯人は、被害者を拉致した後、どこかへ監禁して暴行し、薬を使ってあんなビデオを撮影した上で殺害したことになる。その間、約二日間」
「ずいぶん手の入った犯行ね。そのビデオってどんな内容なの?」

好奇心に目を輝かせて聞き入る小夜子に、火村は大阪の事件と合わせて一通り説明した。
食事に専念したいアリスは、敢えて聞かない振りをする。今思い出してせっかくの料理が入らなくなってしまうのは避けたい。

「噂には聞いてたけど、結構グロイのね」

聞きおわると、小夜子は考えるように腕を組んだ。
あまり物に動じない小夜子も、やはり女性だけあって、さすがにビデオの話には眉をひそめている。

「なんだか気持ち悪いわ。まるでモテない男がひがんで女を憎んでるみたい」

なるほど、そんな見方もできるのかと、アリスは思った。
頭に中に、デブでモテないオタクな犯人像が浮かんできて、つい噴出してしまう。

「あんがい動機はそんなところだったりして」
「だったら苦労はしないがな。しかし、全く的外れってわけじゃない。被害者についても、これは聞き込みでわかったことだが、三人とも表の顔からは信じられないくらい男関係が派手だったことがわかっている」
「じゃぁやっぱり振られた腹いせの犯行?」
「そう言いたいとこだが、それじゃ犯人も事件の数だけいることになる」
「ちょっと待て。荒木万紀子は、これはホステスという職業柄予想はつくけど、社長婦人の有吉今日子は、たしかボランティア活動とかもしてて近所でも評判の人物だったんやろ?」

あの時、東京から来た刑事も、真面目な私生活だと言っていたのに。
信じられん、とため息をつくと、小夜子が

「あら、外面が良ければ良いほど女は裏の顔を持っているものよ」

アリスは女に夢見すぎ、と横から茶々を入れた。

「きっと三人とも、パッと見、全然そんなこと感じさせないんだわ」
「そう。そして裏では、淫蕩に耽る堕落した女の顔を持っていた」

火村の目が、これはただの偶然か、とアリスに問うていた。

「今のところ、これが唯一の共通点かな。とりあえず明後日、大阪から森下刑事が派遣されてくるから、一緒に検討してみるさ。どうもこの事件は癇に障る」

取り出した最後の一本に火を付けて、空になった紙をクシャリをにぎりつぶす。
火村は、この男にしては珍しく苛立っていた。
事件の全貌や犯人の目的が見えないからじゃない。
むしろ、そういうのは火村にはわかりすぎるほどわかっていた。
犯人は、他人の知らない被害者の裏の顔を知っていた。これは事件の一つの鍵と言える。
だが、状況証拠の少なさと警察の動機不確定のまま行なう捜査が、混乱を招いていた。

「被害者は、必ず殺害前にどこかで犯人と接触している。荒木万紀子の足取りが消えたのは休日の昼間だ。大阪の浜崎裕子も大学の帰宅途中で人通りはあった。それなのにこれといった目撃証言が出てこない」

火村は顔の前で手を組んで、一点を鋭く睨み付けた。
わかっているのは、被害者の身元と殺害方法、拉致されたと思われる場所(特定はされていない)。凶器にいたっては紐状のものとされ、ビデオに映っていたのを確認されただけだった。

「そのこと君はどう思うてるんや?」
「どう思うも何も、情報が少なすぎる。ふつう、犯行も二、三回目になれば、どこかにボロが出てくるんだが…」

これまで事件に関わってきた経験が、火村に危険を告げていた。
アリスは、火村が何が言いたいかをすぐに察した。

「もう一度、起こる可能性があるんやな」
「・・・・・」

火村は何も言わなかったが、否定しなかった。

「嫌だわ。もうすぐクリスマスなのに・・・」

小夜子が眉をひそめて言った。

「犯人は、放火もするんでしょ? 警備を厳重にできないのかしら」
「警察もやってはいますが、年末は人手不足ですからねぇ」

火村が苦笑する。
アリスの耳に、どこか遠くでサイレンが鳴っているのが聞こえた。

「ところでアリス。あなたクリスマスイブにサイン会やるんだって?」

話は、その後事件から離れ、アリスの腹が満たされると、場所を近くのバーに移して二次会に突入した。
話題がアリスの新刊の話になったところで、だいぶ酔いが回った小夜子が思い出したように言った。

「なんや、朝井さんも知ってはるんか」
「いつなの?」
「うん、二十四日」
「あら、もう一週間ないじゃない」

ここ数日の慣れない忙しさを思い出し、アリスはウンザリする。

「ほんまは僕は小説書くのが仕事なんやから、あんまり出たくはないんですけど」

そう言うと、小夜子は猫の目のような瞳を悪戯っぽく細めて笑った。

「あら、仲間内じゃ、アリスもようやくビジュアルデビューかって言ってるのよ。だいたいあたしは前々からアリスが写真も出さないのはもったいないと思っていたの。だってこんなにかわいー顔してんのに。ねぇ、火村センセ」

男がかわいいと言われてうれしくないということはお構いなく、小夜子は隣に座っている火村の背中をどやしつけた。
我関せずでロックを啜っていた火村は、ただ苦笑するばかりだったが、小夜子はどうしてもこの男の口からアリスの可愛さについてコメントが欲しいらしい。推理作家の中で、いかにアリスにマニアなファンが多いか延々と語りだした。

「火村センセは笑ってるけど、アリスってへんなところでモテるのよ。同期の中でもこの顔じゃない? 同じジャンルの先輩方からだけじゃなく目をつけてる先生は多いんだから。いつだったか、同じ日にパーティの案内状が何通も来たって聞いてるわ」
「たったの二通やないですか。大げさな」と、アリス。
「あら、それだって編集部が断れなかった分でしょ。マニアなファンは先生方だけじゃないのよ。最近だって、編集部にアリス宛に花束が届いてるっていうじゃない。安心するのは早いと思うわ」

話が大きくなっていると思うのは気のせいだろうか。
切々と語る小夜子をよそに、火村はまるで関心がないようにグラスを運んでいる。

「あんま本気にせんほうがええぞ」

とりあえずフォローすると、すかさず小夜子に

「なによぉあたしの話がウソだってぇのぉ?」

と絡まれた。
それを見て、しかたがないなとばかりに火村が助け舟を出した。

「その話なら聞いてますよ。二人で、名前だけ見てアリスを女だと思い込んだ勘違い野郎だろうって笑ったばかりです」
「へえ、ずいぶん余裕じゃない。それなら、花言葉なんかも当然ご存知よね?」
「花言葉?『情熱』とかですか?」
「それは赤バラの花言葉よ」
「白バラは違うんですか?」

火村が聞くと、小夜子はニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

「白バラはね、一般に『尊敬』とか『敬愛』とかなんだけど、もう一つ、『わたしはあなたにふさわしい』とも言うの」
「・・・・・・」
「なんだか危ないと思わない?」
「…別にそれだけでは・・・。でも、ずいぶん自信過剰な花言葉なんですね」
「なによぉ、ちっとも心配な顔しなのね。心配じゃないの?」
「いいえ、全然」 

淡々として思ったより動じない火村に、思惑がはずれた小夜子の方が不満そうに顔を歪めた。

「もーっ、可愛げがないったら。つまんないわ。あたし、ちょっとトイレ」

小夜子は勢いに任せて立ち上がり、さっさと奥の化粧室に向かう。
騒がしい彼女が席を離れると、後には沈黙が残された。
火村は、あいかわらず明後日の方を向いてグラスを傾けている。
ちょっと落ち着けてホッとしたものの、なんとなく話のきっかけが掴めず、気まずい雰囲気が漂う。

「なぁ・・・」

アリスがおずおずと声をかけると、

「・・・なんだ」

と、ぼそりと返事がきた。

「さっきの、朝井先生の話やったら気にせんでええから」
「別に気にはしていない」

そう言って、火村はようやくこっちを向く。
だが、目を合わせようとはしない。

「火村・・・?」

黙ったまま、何かをためらうような顔をしている火村。まさかさっきの小夜子の話が今ごろになって効いてきたわけでもあるまいし。

(だって、火村全然関心なさそうやったもんな)

本当は、気にして欲しかったのだけど、そんな素振り、他人の前で見せろというのは無理な話だとわかっていた。

「どうかしたんか?」

事件の事で何か悩みでもあるのかと、もう一度重ねて問う。

「・・・いや」

身を乗り出して下から覗き込むように尋ねると、火村は軽く頭を振って別の話を持ち出してきた。

「なあ、あの花束一回じゃなかったのか?」

なんとなく、言いたいことはそんなことではなかったような気がしたが、アリスは深く追求するのをやめた。

「うん。なんかもう7回ぐらい来てるみたいや。今日も編集部に寄ったら届いてた」

話を合わせて今日のことをつらつら話していたアリスは、ちょうどジャケットのポケットに入れておいた物を思い出した。

「そうそう、あの花束な、メッセージが付いとる言うてたやろ? 今日の分まだ読まずに持っててん」

花束には必ずメッセージが付いていている。一昨日受け取ったそれには、『サイン会が楽しみです』という内容が書いてあった。

「朝井先生から電話がきた時に届けられたから、後でホテルででも読もう思てたんやけど」

見るか? とカードを差し出す。
その時、ちょうど小夜子が席に返ってきて、さっとアリスの手からカードを横からひったくった。

「あら、なぁに? ラブレター?」
「あっ、なにすんですか朝井センセ」
「まあまあ、いいじゃないの」

あせって取り戻そうとするアリスの手を器用に躱しながら、小夜子は内容を読み上げた。

「えー、なになに? 有栖川先生、あなたは私の理想です。どうぞいつまでもその純粋さを失わずにいらして下さい〜? なにこれ、チョーおかしい」

ケタケタ笑った拍子に取り落とされたカードを、今度こそ手にした火村は、小夜子が読み上げた内容の文に、しげしげと目を通した。
カードは十センチ四方のツルツルした紙質で、隅にバラの透かしが入っている。

「花束と一緒ってことは、その数だけカードも来たってことか?」
「うん。え〜と、これで六通目くらいかな」
「なんだか夢見る乙女みたいな内容ね。少女趣味のアリスにピッタリ」

横から小夜子がからかうように言う。

「誰が少女趣味やねん」

反論しつつアリスは改めてもう一度カードを見た。
確かに、見方によると、熱烈なラブレターのようにも解釈できる。バラの透かしとか入っているし。そう考えると、最初は男かと思っていたけど、案外女のような気がしてくるから不思議だ。
男のファンが圧倒的なシェアを誇る本格派の中で、可憐な女性が自分のファンに存在すると思うと、悪い気がしない。

「女は女でも、美人とは限らねぇぞ」

単純に喜んでいるアリスに、横から火村の突っ込みが入った。

「そんな水を差すようなこと言わんでも・・・」
「まさか自宅の方まで送って来ないだろうな?」
「それはないやろ。前、反社会思想の若者がある作家の自宅にまで押しかけて事件になったこととかあって、今は住所とか簡単に教えないようになってるんや」
「それは建前で、調べようと思えば誰だってそれくらい調べられるさ」
「あら火村センセ、現実を認識したら顔色が変わってきたみたいね」

立て続けに詰問する火村に、小夜子がニンマリと人の悪い笑みを浮かべる。

「だ、大丈夫。そんな奇特な人間おらへんて」

とりあえず、この場を収めようとそう言い切ったアリスだったが、考えてみると、確かに調べようとすれば簡単に調べられるし、それを実行に移す人間がいないとは限らない。 

鈍いアリスはようやくそこまで気づいたが、火村の顔色は冴えなかった。

「ほ〜ら、だんだん心配になってきたでしょ、センセ♪」

そこで苦虫を噛み潰したような顔をした火村を見て、一人小夜子だけがケタケタ笑った。









to be continued…











またまた放置時間が長くなってしまった。
少しずつ確信に近づいている模様。






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