君の名は…

 「美少女だって?」

 大阪でいつも一緒に訪れる馴染みの飲み屋で、火村はそう言ってアリスをからかった。

 アリスの同窓生達が巻き込まれた事件が解決したのは、つい昨日のことだった。
 皮肉にも、被害者も加害者も同じ同窓生だったのだが、そこでアリスはさんざん自分の名前に纏わる思い出したくないエピソードを口にされ、今はそれをネタに火村にからかわれているのだ。

「たしかに、名前だけなら可憐な美少女しか想像できないもんな」
 皮肉そうに軽く口元を歪めて言う火村。
「なんか含むところがありそうな言い方やな」
 いいかげんウンザリしていたアリスは、ムッとして隣に座った友人を睨んだ。
「別に、オレが好きで呼ばせてたんとちゃうで。こっちは迷惑してんのに、このインパクトのある名前のせいであいつらが忘れてへんだけやないか」

 有栖川有栖という名前は、人が聞けばおそらく十人が十人とも一発で覚えてしまう名前だ。作家としてこの本名を使うアリスにとって、それは名前を覚えてもらうという点でかなり有効なものだった。反対に、この名前に響きから、よけいなもの ―――可憐な美少女作家などという妄想――― まで想像されてしまう点はマイナスだったけれど。
 それをこの気の置けないこの友人は、わかっていて口にするのだ。おもしろいはずがない。

「だいたい、高校生んときの、もう十六年以上も前のことやんか。いまさらそんなことをネタにからかうなんて、君の品性の方を疑うぞ」
「オレの品性なんかどうでもいい。それより、美少女なアリスの高校生活は、どんなものだったか知りたいね」
「どんなことだよ」
「例えば、美少女なんて前評判で入学したアリスに、不埒なことをする連中はいなかったかとか」
「ばっ・・・!!」
 絶句したアリスは、二の句も告げずに赤面した。
「な、な、なんてこと言うねん、君は!」
「なんだよ。一番重要なことだろ」
「オレは男やぞ。いくら名前が一人歩きしてたって、実物見ればそんなこと考えるヤツなんかおるわけないわ」
「そうか?」
 憤慨してやってられないとばかりに立て続けに杯を干すアリスをよそに、火村は鋭い目を細めて言った。
「よしんばおまえが入学して正体が知れたとしよう。しかし、オレはそれでもおまえに名前とは別に興味をそそられるヤツがいなかったとは思えないな」
「どういう意味だよ」
「名前から、女と間違えていたことはわかった。しかし実物はというと、こーんな細っこい童顔の少年のようなヤツと知ったらどうすると思う? オレなら絶対ほっとかないね。誰かに取られるまえに、ツバつけてやる」
「……火村…、君なぁ…」
 ここにきて、アリスはどうしてこの友人がこんなに拘るのかようやくわかった。
「もしかして、妬いとったんか?」
 伺うように問いただすと、仏頂面が、そうだと答える。
 案外可愛い反応を見せる友人に、アリスはさっきまでの不愉快さをすっかり忘れてうれしくなった。
「心配せんかてそんな不埒な真似しくさるのは君だけや。オレだって、君にしかこんなこと許さへんけどな」
「あたりまえだ」

 お互い、大学に入ってからの付き合いだ。それまでの過去なんて改めて聞くことも、聞く必要もなかった。
 ただ、こんな形で自分の知らない顔を他人が知っている事実を認識してしまうことが、ちょっと癪に障っただけのこと。

「さーて、今日はもう遅い。教え子達が自習の季節なら、助教授もたまには事件抜きでゆっくりできるんやろ?」
「ああ」
「だったら、オレんとこ帰って、ヤキモチの続きを聞かせてもらおか」
「そうだな、オレもおまえの美少女ぶりについて、もっと研究したいしな」
 勘定に立った二人は、並んで店を出ると、まっすぐアリスの部屋を目指した。
 大阪の夜は、今夜も茹だるような暑さだった。

                     fin





スイス時計の秘密からです。名前だけなら美少女だというネタに萌えました。
思いがけない同窓生達の出現に、火村先生は気が気じゃなかったと思うと、
事件のエピローグはこんなふうであってもおかしくないかも。
どっちにしても、二人が暑い大阪の夜で、さらに暑い思いをしたのは
間違いないと思います(^^)。

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