「エイチって乙メンだよな」 ラボの休憩室でコーヒーを注いでいたホレイショは、背中から聞こえたスピードルの声に振り向いた。 「は? 今何て言った?」 聞きなれない言葉に首を傾げると、ドーナツの箱を抱えたスピードルがニヤニヤと笑っている。 また甘いもの食ってるな、とホレイショが密かにメタボを心配しているのをよそに、スピードルが続けた。 「だから、エイチが意外と可愛いモノ好きってことさ」 それはファンシーって意味だろうか? スーツにサングラスの渋いオヤジを捕まえて何を言っているんだとホレイショは肩を竦める。 「意味がわからん。何なんだ藪から棒に…」 「いや、だって、さっき被害者の女の子にハンカチ渡してたろ? あれ、ウサギのワンポイント入ってなかった?」 言われて思い返すと、確かにハンカチの片隅にそんなポイントがあった気がする。 「目ざといな」 まさかそんなところをチェックされると思わず、ホレイショは僅かに眉を下げた。 父親を殺され、寂しいと泣く少女に、ホレイショは自分のハンカチを渡したのだ。たぶんスピードルはそれを見ていたのだろう。 「あれはイエリーナから貰ったんだ」 言い訳のように説明すると、スピードルがニヤッと笑った。 「でも使ってるのが律儀だよな。彼女もあんたの好みを知ってるからそれ贈ったんだろ?」 「別に嫌いじゃないし…」 突っ込まれて憮然と返事を返すホレイショ。自分のことを殊更男らしいとは言わないが、まさかハンカチくらいでからかわれるとは思わなかった。 「悪いか。別に、たまたま持ってただけだ。いつもじゃない」 「や、別に悪いとは言ってないよ」 ヘソを曲げたホレイショを、密かに可愛いと思いながら、スピードルはフォローする。 「でもさ、最近そういうの流行ってるんだよ?」 「え?」 「可愛いモノ好きだけじゃなく、料理や裁縫が並の女より得意だったり、細かいところに気配りができるとかさ」 「……一人暮らしが長ければ当然家事は上手くなるさ」 ホレイショはそう言うが、自分と比べれば格段に腕が違うとスピードルは思う。 「でも、エイチは元々料理とか作るの好きだろ? 俺も一人暮らしだけど、あんなに上手いメシは作れないぜ? やっぱエイチは乙メンなんだよ」 「乙メン? さっきから言ってるが、何だそれは」 「可愛いモノ好きで料理上手な男の総称さ。今日本で流行ってるんだ」 一瞬馬鹿にされているのかと眉をひそめるが、スピードルはどうやら褒めているつもりらしい。 それからスピードルは延々とオタクの国での新現象について説明してくれた。 最初は意味不明だったホレイショも、それが個人の好みの問題なのだと理解した。 「好きなものを好きと言うのは恥ずかしいことじゃないと思うぞ」 「でも、偏見はあるだろ? 昔から男は男らしくってさ。でも、最近はそんなマッチョで気遣いのできない男より、女性の気持ちを先取りしてくれる乙メンがモテる男の代名詞でもあるんだぜ」 「そうなのか?」 「ああ。だって気配り上手で家事も上手くて、ファンシーなモノにも理解がある男は女からしたらポイントが高いんだって」 「ふうん」 モテるかどうかはさておき、自分が料理好きなのは認める。自慢ではないが、素材にもこだわる方だし味だって良い。それを褒められるのは悪い気はしなかった。 ハンカチだって、あれくらいのポイントなら気にせず持ち歩いていたりする。 ホレイショは、自分がその乙メンなのかはわからないが、何かを好きな気持ちを見栄で偽ったりするつもりはなかった。 「でな、そんな乙メンが増えたせいか、昔は絶対女性しか入らなかった店に男がいても不自然に思われなくなったんだよ」 「ファンシー系の店とか?」 「そう。あとケーキ屋とか」 「ケーキは私もたまに買うが…」 イエリーナの家を訪問する時の手土産にいつも買っている。ホレイショがそう言うと、スピードルはわかってないなーと苦笑した。 「だから、ケーキ屋は時期が問題なんだよ」 「時期?」 「そう。例えば、今の時期なんて、昔の俺達には鬼門だったんだぜ?」 スピードルが指差したカレンダーには、でかでかと14日に花丸が……。 「バレンタイン?」 「正解!」 さすがにホレイショもそれは知っていた。 大事な人に贈り物をする日だ。すでにいくつかホレイショも準備している。 「でも別にケーキ屋に入れないなんてことはないだろ」 「甘いな。最近は、好きな人にチョコを贈る日だと思われてるんだぜ? しかも彼女から彼氏に。そんな時期にひとりでケーキ屋なんかに入ったら、チョコも貰えない奴が自分で買いに来たと思われて恥ずかしいじゃないか」 「……そんな馬鹿な…」 いつの間に世のバレンタインデーはそんな記念日になっていたのか。確か昔、日本ではそういう習慣になっていると聞いたことはあるが。 ホレイショが首を捻っていると、スピードルが重ねて言った。 「でも、乙メンは別なんだ」 「どうして?」 「乙メンは女性の気持ちを理解する仲間でもあるからさ」 そんなことを言われても、ホレイショには理解し難い。 「だから、エイチがこの時期ケーキ屋に入っても、全然問題ないって話」 「……」 つまり、スピードルはホレイショにケーキ屋に行けと、暗に言いたいらしい。自分でこの時期のケーキ屋は鬼門だと言っておきながらだ。 ホレイショは、呆れた顔でスピードルを眺め、次いで「ふうん」口元を僅かに皮肉っぽく歪めた。 「おまえはそんな話を持ち出してまでチョコが欲しかったのか」 「え、だって、ネットで好きな人から貰うチョコは甘いって書いてあって、俺もそんなチョコだったら欲しいなーと……。男のロマンだよ」 「好きなへ贈るチョコねぇ……」 「そうそう。日本じゃメジャーになって久しいんだって」 「なるほど。つまりその理論でいくと、現在のバレンタインデーは、好きな人の好きな人がわかる日なのか」 「え?」 「それは楽しみだな」 一瞬意味を図りかねたスピードルが言葉に詰まっている隙に、ホレイショはコーヒーを手にさっさと休憩室を出て行く。 五秒遅れでホレイショの皮肉を理解したスピードルだったが、すでにホレイショの姿はなかった。 「そんな、まさかエイチ、俺以外に誰かチョコ贈る気じゃ……」 バレンタインまであと三日。 不穏な気配に戦々恐々とバレンタインデー当日を迎える羽目になったスピードルだった。 おまけ 「それで? 結局ケーキ屋には行ったの?」 バレンタインデー当日。 ホレイショが贈ったマニア向けのガンカタログを捲りながら、カリーが尋ねた。 日本の慣習に毒されたのか、ラボでも通常の贈り物以外に、女性陣から男性陣にチョコが贈られている。 カリーに言わせると『義理チョコ』というものらしい。 「まさか」 カリーの質問に、ホレイショは僅かに肩を竦めて苦笑した。 さすがにこの時期のケーキ屋に足を踏み入れる勇気はホレイショにもない。 「あらあら、スピードルったら可哀相。でもこれも自業自得かしらね」 面白そうに笑うカリー。 ホレイショは、それに曖昧な笑みを返した。 確かにケーキ屋には行かず、チョコも買わなかったホレイショだが、そこは抜かりがない。 スピードルは、夕べの事件解決が遅くなって、今日は少し遅れて来る。 だから、ラボに帰ってきて自分の机を見たら、きっと驚くに違いない。 ホレイショは、手作りチョコケーキを見つけて涙ぐむスピードルを想像して、機嫌よく口笛を吹いた。 FIN |