エリック・デルコは悩んでいた。 姉のマリソルのことだ。 約束していたランチを一緒に食べていると、姉が唐突に話を切り出した。 「ねぇ、あなたの上司だけど、何ていったかしら?」 「ホレイショ?」 「そう。彼、いい人ね」 いきなりそんなことを言われて、エリックは面食らった。 いったい、ホレイショと何があったんだ? まさか…… 「…マリ? もしかしてホレイショのことが気になるのかい?」 「いやね。勘ぐらないで。ただちょっと相談に乗ってもらったから、今度食事に誘おうと思ってるだけ」 「相談って?」 「個人的なことよ」 個人的なことは、普通弟の上司に相談しないだろう。 頬を染める姉に、エリックの心情は複雑だった。 マリソルには、あまり時間がない。 進行性のガンで、見た目は普通に生活しているように見えるが、痛みは常に彼女を苛んでいる。 エリックは、その苦痛を少しでも和らげてやりたくて、違法とは知りながらドラッグに手を出した。 マイアミでは、一定数量以上の所持と販売目的の購入は犯罪だが、個人的に使用するに妥当と思われる量なら罪に問われない。 エリックは、自分の立場も省みず、マリソルのために何度か売人からドラッグを購入していた。 そして、そのことで、先日上司に迷惑をかけた。 あのリックに付け入らせる隙を作ってしまったのだ。 ホレイショは庇ってくれたが、きっとリックに無理難題を強いられたに違いない。エリックは、自分のキャリアよりそっちの方を気に病んでいた。 「俺のことでホレイショに会ったんだろう?」 事件のことは、マリソルには話していない。 ただ、しばらく会えないとだけ連絡していた。 勘の良いマリソルのことだ。それだけで、エリックの窮地を察したのだろう。 「別にあなたのためだけじゃないわ。自分のせいで弟が迷惑をかけたのよ。きちんと誤りたかったし、理由を聞いてくれない上司なら、一発殴ってやろうって思っただけ」 「マリソル……」 我が姉ながら、その行動力には感心する。 「でも、彼は理由を説明したら、すぐ理解してくれたわ。あなたも特に処分されなかったみたいだし、本当に良かった」 マリソルはそう言って、おいしそうにコーヒーを口に運んだ。 「……本当に誘うの?」 エリックは、姉の本心を知りたくて、真面目な顔で聞いた。 「あら、いけない?」 姉の返事はそっけない。 だが、病気を患う前の陽気な姉が帰ってきたようで、エリックは複雑な心境だった。 「賛成はしない。事件の関係者とつながりを持てば、それだけ付け込む隙になるから。これは警察の常識だ。だから、あんまり大っぴらにしないで欲しい」 「なんだか私のことより彼の方を心配してるみたい」 マリソルはおかしそうに笑った。 「お、俺は別に…。ただ心配してるんだよ。ホレイショは優しすぎるから、誤解もされやすいし…っ」 「そうね、優しい人だわ」 図星を指されたエリックが言い訳するのを聞きながら、マリソルはホレイショの澄んだ青い目を思い出していた。 「なぜかしらね。彼の優しさに触れると、なんだか悲しい気持ちになるの」 「マリ…」 姉の呟きに、その理由を聞こうとしたエリックの尻ポケットで、呼び出しのコールが鳴った。 「悪い、仕事だ」 慌てて席を立つ弟に、姉が「気をつけて」と手を振る。 「また電話するよ」 そう言って、エリックは駐車場の車へ走った。 エンジンを掛けながら、現場で待っているだろうホレイショのことを考える。 ――― 彼の方を心配してるみたい 姉の言葉が小さな棘となって胸に刺さっていた。 ホレイショは上司だ。 それ以上でもそれ以下でもない。 けれど、スピードルを失ってから、その関係は少しずつ変化していた。 事件を間に挟んだ関係なら、今までどおりだ。 でもそれ以外は? エリックは、それ以外の何かになることを恐れていた。 人は自分を性的に奔放で女性にマメな男だと思っているようだが、エリック自身は自分の嫉妬深さを自覚しているし、のめり込む方だと分析していた。 本気になったら、きっと傷つける。 その優しさや弱さに付け込んで、独占欲で縛り付けてしまう。 エリックはそれが恐ろしかった。 だったら、今のままでいい。 姉にさえ嫉妬する自分は、きっとホレイショを傷つけるだろうから。 たどり着いた現場には、すでにカリーの姿があった。 その向こうに、見慣れた赤毛の髪が見える。 「ホレイショ」 車を降りたエリックへ振り向いたホレイショが、手を上げて答えた。 「こっちだ」 マイアミにありがちなリゾートホテルが現場だった。 遺体の側にはもうアレックスが屈みこんで検死を始めている。 「休みの日なのにすまない」 鑑識セットを手に駆け寄ったエリックに、ホレイショが言った。 「いえ、かまいません。今日はデートしてたわけじゃないし」 「じゃあ誰と?」 「マリソルです」 「……マリソル…そうか」 ホレイショは少し眉を落として「悪かった」と言った。 「いいんですよ。マリソルもわかってます。それより、今度姉が食事に誘いたいと言ってました」 「あ、ああ…」 サングラスを弄びつつ、ホレイショは言葉を濁した。 「そんな話もあったが……受けるべきではないだろうな…」 「もしかして、俺の姉だから気にしてます?」 「君の方が気にするだろうと思っていた」 優しいホレイショ。 そんなこと、気にする必要はないのに。 エリックは、ホレイショが姉より自分のことを考えてくれたことが単純に嬉しかった。 「楽しんできてください。姉の料理はうまいですよ」 エリックはそう言って、ホレイショに姉を任せる許可を出した。 姉の気持ちがホレイショに傾きつつあることはわかっている。 それでも、限りある命の彼女が、ホレイショと一緒に過ごすことで安らかな時間を得られるなら…・・・。 エリックは、今だけ自分の気持ちに厳重に鍵を架け、二人の幸せを願っていた。 FIN |