雨のニューヨーク







「ホレイショ・ケイン?」



雨のニューヨークで突然呼び止めらた。
マイアミで起きた事件の手がかりを追ってニューヨークへ来た矢先のことだった。
ホレイショが振り向くと、男がひとり立っていて、召喚状だと告げた。

「サインをお願いします」

無造作にペンを差し出されて、

「ペンなら自分のものがある」

と胸元からペンを出してサインをした。
サインを貰った男は、確認もせずに書類を仕舞い、無言で歩き出す。

「どうかしたの?」

去っていく男の背を見送りながら、ステラが心配そうに覗き込んだ。

「何なら組合の弁護士を紹介しましょうか?」
「いや…。個人的なことだから」

ホレイショはステラの申し出をやんわり断った。




ニューヨークを離れたのは、もう10年以上も前のことだ。
ホレイショは、今でこそマイアミ・デイト署の鬼チーフと恐れられている存在だが、かつてはNYPDの殺人課に所属していた。
本来なら、懐かしさから昔の同僚に挨拶のひとつでもするところだが、ホレイショにとって、そこは最大の鬼門だった。
生まれ育った街だけに、ニューヨークには知り合いも多い。
その故郷を捨ててマイアミで再出発した理由を、ホレイショは今まで誰にも話したことはないが、いろんな事情でかつての同僚との間に生まれた摩擦も、その一因だった。
誤解が誤解を生み、ホレイショは追い立てられるようにNYPDを後にした。
ここを訪れるたび、その頃のことが胸を苛み、ホレイショは鈍色の空を恨めしく眺める。
ラボの一室で、眼下に広がるニューヨークの街を眺めていると、

「大丈夫か?」

耳に心地いい低い声が、ホレイショを労わった。

「…マック」

NYCSIのチーフであるマック・テイラーは、スマートな外見に似合うスーツに、科学者らしい白衣を纏い、手に検査結果書類を抱えて立っていた。

「少し顔色が悪いようだが。休まなくて平気か?」
「……ああ。大丈夫だ」

ホレイショが微笑むと、マックもつられたように笑みを浮かべ、窓際にいるホレイショの隣に立つ。

「ここからの眺めは、私も気に入っている。なかなか良い景色だと思わないか?」

地上からかなり高いこのビルは、ニューヨークのそれぞれの分署とは別に、CSI専用として用意されたものだ。
得意そうなマックに、子どもみたいだと思って、ホレイショは笑った。

「そうだな。以前いたビルはもっと雑然としてたし、周りの建物の間にあったから、空を見ることもなかったしな」

ホレイショが懐かしそうに目を細めると、マックが少し眉を寄せる。

「なんとなく、そうなのかなと思っていたんだが、ニューヨークにいたのか?」
「ああ。古巣だよ。君もどこかで耳にしたことがあるだろう? 裏切り者の刑事の話」

マックは少し考えるように首をかしげる。

「もしかして…」
「そう、私のことだ」

まさかと驚くマックに、ホレイショは苦笑で肯定した。



10年前、ニューヨークで一件の殺しがあった。
殺されたのは、裕福な家庭の新妻。
何の変哲もない殺人事件だと思われたそれは、捜査の途中から急展開し、ニューヨーク市警の刑事がかかわったことで、当時はマスコミをはじめずいぶん世間を騒がせた。
当然、内部調査も行われている。

「相棒が被害者にかかわっていると疑いだしたのは、第一容疑者の取り調べがきっかけだった。取り調べられた男は、軽犯罪なら山ほど犯歴があったし、誰もが犯人と思って疑いもしなかったが…」
「でも、君はそうは思わなかった」
「ああ。容疑者の男の話は、つじつまが合ってたし、被害者と容疑者の間にそれらしい接点は見つからなかった。それでも、被害者のことを調べれば調べるほど、夫以外の男の姿が見え隠れしていたんだ」

どんなに探しても見つからない容疑者。
だが、それは、その容疑者本人が、巧みにミスリードしていたせいだった。

「まさか自分の相棒が、証拠品を偽造したり、他の人間を犯人に仕立て上げるなんて、誰が思う?」

蒼い瞳が、悲しげに揺れる。
本当の意味で裏切られたのはホレイショの方だった。
信じられなくて誰にも言えなかったホレイショは、たった一人で捜査し、結果、新たな証言者を見つけてしまう。

「そこに、相棒が現れたんだ」

何をしに来たと問うホレイショに、相棒はいきなり銃を突きつけ、証人を消そうとした。

「俺は、相棒を撃った。そして……彼は死んだんだ」

搾り出した声が震える。
それを見て、マックはそっとホレイショの肩に手を添えた。

「不可抗力だ。君が悪いわけじゃない」
「でも、分署の仲間はそうは思ってくれなかった。元々相棒は社交的で、友人も多かったし、俺は、どっちかと言えば敵が多かったから…」

相棒を撃ってしまったホレイショは、どんな言い訳も虚しくて、飛び交う怒声にも無反応だった。
正当防衛だったことは、生き残った証言者により証明されたが、自暴自棄になったホレイショは、結局そのままNYPDを辞めた。

「今でも未練がましくこの仕事をしているのは、あの時相棒から理由を聞けなかったからかもしれない」

相棒だった彼の家族は、今でも事件を信じられず、裁判を続けている。
彼らからすれば、ホレイショこそ愛する家族を奪った殺人者なのだろう。
何かに許しを請うように深くうなだられるホレイショを、マックは優しく抱きしめた。

「もし君が、真実を知りたいのなら、私は協力を惜しまない」
「マック…」
「こんなことを言うのはおこがましいが、私は君を信じているし、このNYで君を非難する奴がいるなら、徹底的に証拠を集めて抗議するつもりだよ」

こんなに傷ついているホレイショを、もう誰も傷つけてほしくない。
マックは湧き上がる気持ちのままホレイショを硬く抱きしめ、その金色の髪に頬を埋めた。
腕の中で、ホレイショが笑う。

「そんなことをしたら、君がここにいられなくなるぞ?」

男同士で、しかも職場で、こんな風に抱き合っている自分達は、いったいどんな風に見えるのだろう。
誰にも頼らず、己の力だけで生きることを求められるこの国で、家族の縁が薄いホレイショはいつも孤独だった。
マックは、そんなホレイショに、つかの間の安らぎを与えてくれた。

「必要なら、いつでも連絡しれくれ。どんな時でもかけつけるから」
「……ありがとうマック」

決別したはずの街で、人の優しさに包まれる。
ホレイショは、しばらく羽を休めるように、マックの暖かさに身を委ねた。







FIN









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