舞台裏の彼へ







デイト署の片隅にある人気のない待合室で、ホレイショが電話をかけている。
少しトーンの落ちた囁くような声は、電話の向こうの相手を労わるように優しかった。

「ええ、娘さんのことは気の毒でした。はい、ええ…。犯人は逮捕しましたから、ご安心ください」

心を込めて語りかけるその姿を、事件解決後、しばしばフランクは見かけていた。
おそらく、今回の犠牲者の家族に事件の経緯を説明しているのだろう。
捜索願いが出されたまま行方不明だった被害者は、ようやく見つかったものの、遺体となって家族の元へ帰ることになった。
事件が起きなければ見つからなかったかもしれないが、ずっと待っていた家族には皮肉な結果だ。
誰だって、突然家族を失うことは辛い。
事件が解決しても、たとえ犯人が死刑になっても、失った者は戻らないし、家族の傷は癒えることはない。
ホレイショもまた、数年前に弟を亡くした犠牲者のひとりだ。
同じ刑事であるイエリーナ・サラスは、その弟の妻で、事件直後は敢えてお互い避け合っていたようだが、最近よく一緒にいることを、フランクは知っていた。

「終わったのか?」

携帯電話を胸ポケットにしまおうとしているホレイショに、声をかける。

「ああ、フランク。待っていてくれたのか」

口元に、淡い笑みを浮かべて、ホレイショが立ち上がった。
背丈はフランクとあまり差はないが、体格は、一回りほど細い。
うつむき加減に首をかしげ、気を許した相手にだけ見せる優しい瞳で、フランクを見つめる。

「もう上がりだろ? ハンバーガーとビールでもどうだ? 奢るぞ」
「それは、断りがたい誘惑だな」
「何かその…、先約があるならまたにするが…」

イエリーナと約束しているところは見ていないが、もしそうならとフランクは気を回す。
すると、そんなフランクの思考を読んだように、ホレイショが言った。

「フランク、気を回しすぎた。イエリーナは今リックと付き合ってる」
「え…、ええっ?!」

イエリーナが、あのリックと?
フランクは驚いて思わず声を上げてしまった。

「それは、本当か?」
「ああ。この前食事に誘われたと本人から聞いた」
「だが…」

イエリーナはお前と良い雰囲気だったのに。
フランクは納得しかねて、思わず顔をしかめた。
だいたいイエリーナもイエリーナだ。リックがホレイショと仲が良くないことは知っているだろうに。

「いいんだフランク。イエリーナのことは、俺も家族以上に想えないし、彼女にも支えは必要だ」

ホレイショは、控えめな苦笑を浮かべてフランクの背中を叩いた。
本人がそう思っているなら、他人がどうこう言うことではない。
だが、他人のことには一生懸命なこの男が、自分のこととなると全く頓着しないことに、フランクは理不尽な怒りを感じていた。

「じゃあ、おまえはどうなんだ」

フランクは、この孤独な男が、誰かの支えになっても、誰かに支えられていることがあったとは思えなかった。

「フランク?」
「おまえは……おまえは、ずっと一人で平気なのか?」

それではあまりに寂しすぎる。
そう思った時には、もうフランクの腕はホレイショを引き寄せ、その肩を厚い胸の中に抱きしめていた。

「頼むから、もっと自分を大事にしてくれ」

フランクは、マイアミの太陽を思わせる髪に頬を埋めて訴えた。
不意打ちのような抱擁だったが、ホレイショの抵抗はなかった。
しばらくされるがままだった彼の腕が、そっとフランクの背に添えられる。

「フランク……すまない」
「ばか、謝るな。おまえは悪くないんだ」
「けど、心配ばかりかけてる」
「そう思うなら、俺の言うこともたまには聞け」

抱きしめる力を強くすると、ホレイショがクスッと笑った。
いつも上質なスーツを纏う身体は、意外に鍛えられていて、こんな不意打ちでなければ、ホレイショはその身を委ねたりしなかったかもしれない。

「たまには頼れ」

フランクは、もう一度強く抱きしめ、一呼吸置いてからそっと腕を緩めた。
ホレイショは俯いたまま、上目遣いにフランクを見つめ、困ったような笑みを浮かべている。
フランクが、大丈夫か?と声をかけると、彼は目の前の分厚い胸に額をつけて、

「……サンクス、フランク。サンクス…」

と、小さな声で恥ずかしそうに言った。
きっと、こんなことを言われるのも初めてで、どうしていいかわからないのだろう。
皆が、ホレイショを強い男だと思っている。
それは本当のことで、フランクも否定はしない。
だが、彼だって人間だ。時には誰かに支えられなければ崩れてしまう。
だったら、自分が支えようと、フランクは決めた。
大の大人にこんな風に感じる庇護欲は、錯覚かもしれないが、ホレイショを守るのは自分しかいないと思ったから。

「大丈夫だ。俺がついてる」

フランクは、さっきまで抱きしめていた肩を軽く叩き、

「さて、まずは腹ごしらえだ」」

と、明るく言った。

「奢ってくれるんだろう?」
「ああ。ただしビールは三杯までにしてくれ。給料日前だからな」
「O.K.」

ニヤッと笑ってきすびを返したホレイショは、もういつもの彼だった。








FIN









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