盲目の愛憎







「あいつには気をつけてください」

先に部屋を出て行くエリック・デルコがそうホレイショに囁くのを、俺は聞き漏らさなかった。
ホレイショは曖昧に笑みを返し、そうしてこっちを向いた時には、もう敵を見るような冷たい目をしていた。
オフィスに緊張した空気が満ちる。
さっきまで、俺たちは冷たい机を挟んで、彼の部下であるエリック・デルコの証拠品損壊疑惑のことでやりあっていた。
彼の担当していた事件の証拠品である大事な録音テープが、薬品による汚染で修復不可能な状態になったためだ。
そこに人的ミスがあったかどうか調査するのが俺の仕事なのだが、ホレイショは部下を守るため、自ら捜査に乗り出し、結果、今回は難を逃れたかっこうだった。

「やりすぎだ、リック」

彼はそう言って、俺を責めた。

「疑わしい人間を捜査するのが俺の仕事なんだがな」

両手を広げて他意がないことを伝えたが、ホレイショの顔は険しいままだった。

「おまえが俺を嫌っていることは知っている。だが、部下のことは関係ないはずだ」
「関係ない?」

あくまで部下を庇おうとする彼に、多少の苛立ちを覚え、俺は聞き返した。

「おまえの部下である限り、俺は納得いくまで捜査するさ」
「リック…」
「私怨だと思いたいならそれもいい」

実際、これは私怨なのだから。
開き直って言い放つと、ホレイショの瞳が困惑ぎみに揺れ動いた。

「ホレイショ。俺はおまえのことを諦めたわけじゃないぞ」

一言一言ゆっくり区切るように宣言する。
強気に睨み返してはいるが、彼の動揺は手に取るようにわかった。
きっと逃げ出したくてしかたがないのを、必死に堪えているのだろう。

「リック…」

追い詰めるように彼に近づき、顔を覗き込む。

「おまえが一言イエスと言えば引いてやる」
「それは…脅しか?」
「まさか。だが、その頑なな態度はいただけないな」
「……ふざけるなっ」

嫌悪も露に、ホレイショは吐き捨てた。
だが、こちらが一歩迫るように近づくと、とたんに上体を反らす。
どんなに強がっても、本能が俺を恐れているのだ。

「ホレイショ」

ゆっくりと囁くように、だが熱っぽく名を呼んでやる。
ホレイショは、ヒクリと頬を引きつらせる。
そして、とうとう我慢できなくなったのか、視線を外して顔を背けた。
その隙をついて、腕を掴んで引き寄せ、耳元で囁く。

「ホレイショ…俺のものになれ」
「……っ」

柔らかい耳朶に一瞬だけ歯を立ててやる。とたん、引きつったように震えた腕が、力いっぱい俺の腕を振り払った。

「…リック!」

怒りと羞恥に赤くなった目元。

「悪ふざけはやめろ…っ」
「ふざけてないさ。俺は真剣だ」

振りほどかれた手を、なおも彼に伸ばし、抵抗する両手を掴んで壁に押さえつけた。

「ホレイショ。おまえが抵抗すればするほど、追い詰め甲斐がでるよ」

きっと、今の自分の顔は、悪魔もかくやと思うほど、歪んだ笑みを浮かべていたに違いない。

「……変態…っ」

押さえ込まれて悔しそうに見上げるホレイショの顔に、欲情しそうだ。
さらに動けないように、股間に片足を捻じ込み、

「…ア…ゥ」

痛みに仰け反った首筋に、誘われるように口付けた。

「リック…やめ…っ」

ホレイショは、悲鳴のような声を上げて拒絶する。
何度か噛み付くようにキスをし、最後に歯をくいしばって耐えている薄い唇を奪ってやった。

「ここがオフィスだたことを感謝するんだな」

暗にそうじゃなかったらレイプしていたと告げると、ホレイショの蒼い瞳が、恐ろしいモノを見るように見開かれた。
それに満足して、ゆっくりと腕を放し開放する。
ホレイショの身体は、支えを失ったようにズルズルと壁にもたれ掛かった。

「じゃあなホレイショ。今日のところはこれで失礼するよ」

タイミング良く、彼の部下が報告書を持って階段を上がってくる姿が見えたので、俺はそう言って身体を引いた。
たぶん、あの部下がここに入ってきたとたん、ホレイショはチーフの顔で何もなかったように対応するのだろう。
それもまたおもしろい。
乱れた胸元を直して体裁を整えるホレイショをよそに、俺はゆっくりとオフィスを後にした。







FIN









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