マイアミの男







「無茶はするな」

そう言った彼の方が、無茶ばかりしてそうだと、キャサリンは思いつつ握手を求めた。
蒼い瞳が印象的なマイアミの男。
ホレイショ・ケインは、それまで出会ったどんな男より、正義感が強くて行動的なCSI捜査官だった。




ベガスで元刑事部長を惨殺して逃げた犯人は、被害者の家族を連れてマイアミに向かった。

「誰かマイアミに送る必要があるな」

グリッソムがそう言った時、まさか自分が行く羽目になるとは、キャサリンは思っていなかった。
マイアミは、アメリカでも有数のリゾート地だ。
その分、富裕層と貧困層との格差が激しく、犯罪率も高い。
昔、バカンスで何度か行ったことはあるが、仕事で行くのは初めてだった。
ヘリに乗って、ウォリックと一緒に飛んでいる途中、捜索中の娘が見つかったという連絡が入った。

「良かった」

シングルマザーで苦労して娘を育てている身としては、子どもが殺されることはけして人事ではない。
発見現場に着く頃には日は落ちかけていたが、普段街頭がなく暗い現場も、警察車両の明かりで意外に見通しがきいていた。
ヘリを降りると、すぐにスーツの男が近寄ってくる。

「ホレイショ・ケイン。マイアミSCIだ」

男は、そう自己紹介した。
赤毛に近い金髪。濃いグラサンで顔の表情はわからない。

「ベガスの事件だから、捜査はこっちにまかせてほしいわ」

率直に言うと、ホレイショは苦笑して、保護した少女を指差した。

「サーシャ」

警察車両の後ろにちょこんと腰掛けている少女に、キャサリンは名前を呼びながら近づいた。
ベガスで惨殺された元刑事部長の一人娘だった。
一緒に犯人に拉致された母親の行方はまだ知れない。
知っているのは犯人だけだろう。
鑑識キットを脇に置くと、興味深そうに少女が見つめる。

「怖い目や痛い目に遭わなかった?」

できるだけ優しく尋ねながら、キャサリンは手際よく衣服の証拠を集めていく。
すると、少女の右手が、何かを硬く握り締めているのに気がついた。

「サーシャ?」

何を握っているの? と尋ねる前に、少女は顔を強張らせて右手を背中に隠す。
こういう場合、下手に無理強いすると、子どもは益々頑なになってしまうというのが、キャサリンの経験だった。
さて、どうしたものか。
なんとか上手く少女を納得させなくては。
そう思っていると、いつの間にか背後に立ったホレイショが、少女に向かって語りかけていた。

「大丈夫だ。何も心配しなくていい」

優しい声だった。振り返ると、サングラスを外した瞳が、柔らかく少女を見つめている。
仕事中だということさえ忘れるほど、キャサリンは一瞬、その蒼い瞳に意識を奪われた。
サーシャは、しばらくホレイショを見つめ、それからおずおずと握り締めた右手を差し出し、手のひらを開いた。
少女が持っていたものは、薬きょうだった。

「これをどこで?」

ホレイショが質問した。

「道で拾ったの。車が走り去った後よ」
「それを拾ったとき、熱かった? それとも冷たかった?」
「熱かったわ。…私を試してるの?」

撃たれた直後の薬きょうかどうか確認するホレイショに、少女が物怖じせず意見する。

「…君は賢い子だ」

そうホレイショが言うと、少女は褒められたように嬉しげに笑った。
少女はホレイショに信頼を寄せているらしい。
看護師に付き添われて現場を去る少女を見送った後、キャサリンはホレイショを振り返った。

「子どもの扱いに慣れてるのね?」
「子どもだが、彼らも人間さ」

ホレイショは、胸元から取り出したサングラスを再び装着して、自分の部下に合図を送った。
変わった男だ。
キャサリンは、急にこのマイアミのチーフに興味が沸いた。
子どもは、無意識に自分の敵味方を識別する。
ホレイショは、見た目は無愛想にしか見えないが、どこか子どもを安心させるものがあるのだろう。
同じ科学捜査官とは思えない独特の雰囲気も気になる。
そう、彼はまるで殺人課の刑事のようなのだ。




「こっちでよく使われる粗悪品の銃ね」
弾道学のエキスパートと称されるカリーは、薬きょうを手に取るなりそう述べた。

「こっちではよく使われる銃よ。これってどういうことかしら?」
「さあ。俺たちは推測は言わない。証拠がすべてだ」

ウォリックが正論で答えた。
キャサリンは、自分が科学捜査官であることを誇りに思っている。
証拠に基づいて捜査する。それが自分達の仕事だ。
現に、上司のグリッソムなんて、証拠意外は信じないと公言しているほどだ。
まぁ、彼の場合は人間嫌いもあるのだろうが。
だが、マイアミはそれだけではないらしい。

「じゃあ、私達は空想家かしら、ねぇホレイショ?」

振られて、ホレイショは微笑した。
とにかく、マイアミの捜査、とりわけ、ホレイショの捜査は、キャサリンにとってちょっとしたカルチャーショックだったのだ。
なにせ、初対面もいいとこなのに、

「トイレのドアは閉めるか?」

ときたもんだ。

「まだあなたとは知り合ったばかりなんだけど…」

何を言い出すのかと呆れていると、

「閉めるさ。誰だって見られるのは嫌だ」

とひとりごち、

「小便のために車を止めたのなら、そう遠くまで行ってないはずだ」

とさっさと歩き出した。
ここでようやく、キャサリンはホレイショの意図を知る。
つまり、彼は何の変哲もない道端で、車を止めた犯人の思考と人間の普遍的心理を図っていたのだ。

「犯人は木陰を捜したはずだ。だが、それは車に乗っている親子が見える場所でないといけない。ということは……そら、そこだ」

ホレイショが指差した辺りには、犯人の足跡と、わずかに溜まった尿があった。

「なるほどね」

ウォリックが小さく納得したように笑った。
彼も、キャサリン同様、手がかりへ辿り着く彼の思考に驚いているらしい。




結局その後、犯人逮捕まで、キャサリン達は、ずっとそんなマイアミの同業者に驚かされっぱなしだった。
実は、犯人はすでにFBIが広域捜査としてマークしていたのだが、ホレイショはそれを横から掻っ攫うように追い詰め、高飛び寸前の犯人を逮捕したのだ。

「それにしても、よく犯人が飛行機で逃げるって気が付いたわね」
「被害者の家に写真があったからな」
「私、あなたは刑事の方が向いているかもって思ってたけど、ちゃんとCSIとしても有能だったのね」
「評価してもらえて嬉しいよ」

ホレイショは、サングラスを胸ポケットにしまい、その蒼い瞳でキャサリンを見つめた。
薄い唇には、犯人逮捕によるためか、満足げな笑みが浮かんでいる。
さっきまで、あんなに厳しい視線で犯人を追っていたのが嘘のようだ。

「協力、感謝するわ」
「こちらこそ、ありがとう」

そして、二人は向かい合ってお互いの手を取った。

「チーフ!」

遠くから、ホレイショの部下達が駆けつけていた。
後ろ向きのまま、軽く手を振り応えるホレイショ。
きっと、彼はすごく部下を大事にし、そして部下も彼を心から信頼しているに違いない。
ベガスに帰ったら、まずは上司の顔を拝みに行こう。
ほんの数日間の出張だったが、キャサリンはベガスの空を懐かしく思っていた。







FIN









―戻るときはウインドウを閉じてください―