恋は盲目
今日のギムリは朝から機嫌が悪かった。
ドワーフという種族はもともと人馴れしない無口な性質を持っている。だが、一度気を許した相手には、義理堅く寛容で時には冗談だって言えるのだ。
しかし、いつものように目覚めのキスをしようと部屋に入ったとたん、むっつりとした顔に出迎えられ、レゴラスは首を傾げた。
「今日はそんな気分じゃないんだ」
ギムリは素気無く言って、あとは口を利かないどころか目を合わせようともしない。
朝食のときも口数少なく、黙々とパンを口に運ぶ。しかし、よく見れば、レゴラス以外には愛想良く受け答えをしているのだ。
ムッとしてギムリを見れば、露骨に顔を逸らされてしまった。
つまり、レゴラスにだけ怒っていると言いたいらしい。
「いったいどうしたって言うんだ、ギムリ」
わけも分からず詰め寄ると、
「どうせあんたにはわかりっこないさ」
とだけ返して、ギムリはスタスタと行ってしまった。
「ギムリ…」
裂谷の頃と違って、今ではお互い一番信頼し会える相手と思っているだけに、レゴラスは言葉もなく落ち込んだ。
まるで、相手のことを何も知らずに嫌っていたあの頃に戻ってしまったみたいだ。
「なんだ、喧嘩か?」
黄金館の石段にへたり込んだところへ、心配そうなアラゴルンが声をかけてきた。
「エステル…」
力なく微笑んで、レゴラスは気の置けない友人に愚痴をこぼした。
「喧嘩って……、私にはいったい何がなんだかわからないよ。急にあんな態度をとられる理由も思いつかないし。だいたい私にはわからないなんて、ギムリも酷い事を言う」
「いや、まぁ…」
思い込んだら人の意見を聞かない友人の短所についてのコメントは避けて、アラゴルンは精一杯の助言をすることにした。
「ギムリだってまだ混乱してるんじゃないか?きっと何か気に障るようなことをしたのさ。そういうことは、した方は忘れても、された方は覚えているものだし、ギムリは理由もなく怒る奴じゃない。そうだろう?」
「…うん、まぁ…」
それはレゴラスもわかっている。
「でも本当に思い当たることはないのか?」
「うーん……」
レゴラスは腕を組んで、昨日からのことを思い出そうとしてみた。
昨日は、ヘルム峡谷からここエドラスの黄金館までの最後の移動日だった。一日馬に揺られて帰り着いたのは、夜も遅い時間で、すぐに寝てしまったギムリに、何かしようにもできなかった日だ。
二人が仲間や戦友、親友を超えた恋人になったのはつい最近のことで、エルフと違ってドワーフは変に恥ずかしがるところがあるから、そうなったことはアラルゴンにさえまだ伝えてはいない。
もちろん人前だってキスはおろか抱き合ったりもしていなかった。
まぁ、彼の体格を考えて、一緒に馬に乗りはするが。
「昨日だって、ここまで異動するのに一緒に馬に乗ったくらいしかしてないのに」
人の目の多い移動中のふれあいは、ギムリの気持ちを考慮して、かなり我慢しているレゴラスだ。本当はもっと触れ合いたいのを、ギリギリのところで譲歩しているのに、なぜあんな態度をとられるのだろうと思っていると、理不尽な気持ちになる。
「馬? そういえば、昨日君達はいつもと違った乗り方をしていたね」
アラルゴンが思い出したように言った。
「ああ、夕刻に休憩した後のことだろう。確か道が悪くて安定しないものだから、ギムリを前に乗せたんだっけ」
「それだ!」
アラゴルンがパチンと指を鳴らした。
「え? それって?」
「だから、彼を前に乗せたのがいけなかったんだ」
「はぁ? だって…あれは……」
悪路のせいだといいかけて、そういえば、ギムリはなんだか嫌そうだったとレゴラスは思い出した。それを強引に乗せてしまった後は、そんなんことすっかり忘れていたのだが。
「でも、馬に乗る場所が違うだけで、なんでそんなに…」
わからないと首を振るレゴラスに、アラゴルンは溜息を吐いた。
「レゴラス…。例えばの話だが、ホビットのメリーやピピンを一緒に乗せるとして、君は前と後ろのどちらに乗せる?」
「もちろん前だよ。彼らは小さいからね。振り落とされたりしたら大変だ」
「ああそうだな。では、私ならどうだ?」
「君を?」
レゴラスは怪訝そうな顔をしてアラゴルンを見上げた。
「君は後ろだよ」
当然だろうと言い放つ。
「どうして?」
「どうしてって……、君は大きいし、強いし…、つまり、守らなくてもいいからだよ」
「そうだな。じゃあ、ギムリはどうだい? 彼だって強いし、守るべき相手じゃないだろ?」
「あ……」
そこで初めてレゴラスはアラゴルンの意図を読み取ることができた。
「つまり君が言いたいのは、私が不用意に彼の誇りを傷つけてしまったということだね」
「そういうことだ」
レゴラスはそこまでは考えなかった自分の迂闊さを悔やんだ。
きっとギムリは傷ついている。声を荒げたり罵ったりしないだけ、憤りだけじゃなく悲しみもまた混在するのだろう。
そのことが、ひどくレゴラスの胸を痛めた。
「ありがとう、エステル。君のおかげで取り返しのつかないことになる前にギムリを取り戻せそうだ」
レゴラスはそう言うと、身軽な身体を翻してギムリを探しに走り出した。
――― 謝らなくては…。いや、謝るだけじゃなく、抱きしめてやりたい
ギムリの強さや勇ましさは知っていても、それでも友情以上の想いが、ギムリを守りたいとレゴラスを突き動かしていた。
ギムリの姿は、ほどなく雑木林の中で見つかった。
「ギムリ」
声をかけると、一瞬目を見開いて、慌てて目を逸らす。
「ギムリ、逃げないで。話をきいておくれ」
すぐさま歩き去ろうとした腕を掴んで引き寄せると、ちょっと困ったような目がレゴラスを睨み付けた。
「離してくれないか」
「だめだよ。そうしたら君は逃げてしまうもの」
そのとおりだったので、ギムリは言葉に詰まってううむと唸った。
「ね、ちょっと話をしよう。私もきちんと謝りたいんだ」
「謝る?」
「ああ。どうやら私は気づかないうちに君を傷つけていたようだ。その、君が勇敢なドワーフだということはよくわかっているし、先日のヘルム渓谷の戦でだってすばらしく強かった。でも…、その、一方では、君のことが大切なんだよ」
「レゴラス…」
ギムリはレゴラスの腕の中でもがくのをやめた。つぶらな瞳が、恐る恐るという風に、レゴラスを見つめ返す。
「だからね、私はいつだって君を守りたいと思っているんだ。けっして君の事を侮って言ってるんじゃない。わかって欲しいんだ。いつだって、恋人は守りたいものだって…」
「それは、私だって…そうだよ」
溜息のような声が、レゴラスに答えた。
「だから、正直どう伝えたらいいのかわからなかった。あんたが私の体の大きさだけで、ああしたのではないことはわかっていたから」
レゴラスの告白に、ギムリはやっと自分の中のわだかまりを口にすることができた。
「でも、心のどこかで、それは私達の間で、その……私が抱かれる立場だからあんたが無意識に庇っているのかとも思ったんだ。もしそうなら、私は…私は……」
そこから先は言葉にならず、ギムリは言い淀んだ。ギムリがこんなことを言うのも初めてだったが、聞いたレゴラスの方も驚きに目を見開く。
ギムリがそんなことを思っているとは、ちっとも思い浮かばなかっただけに、レゴラスは呆然となってしまった。
ギムリに出会って、彼を知ってからというもの、レゴラスは自分でも持て余すくらい彼に夢中だった。
長年過ごしてきた闇の森の同族の中では、淡白な方だと言われていたし、自分でもずっとそうだと思っていた。事実、抱き合う行為に特別深い意味を見出すこともなかった。
それなのに、ことギムリに関しては理性が焼ききれるほど求めてしまう。
抱き合った肌から伝わる熱や吐息、触れるそばから甘い声をかみ締める恋人の恥らう姿が、あんなにも胸を熱くするなんて知らなかった。夢中になるのは当然だ。
そんな自覚があるだけに、知らないうちに傷つけていたのかもしれないと思うと、レゴラスはひどく胸が痛んだ。
「ギムリ、君は……、もしかして私に抱かれるのが嫌だったのかい?もしそうなら、正直に言っておくれ」
ギムリが嫌なら我慢するのもしかたがないとレゴラスは思った。正直辛いが、気持ちが通う行為でなければ意味がないのだ。
そんなレゴラスの気持ちを察して、ギムリはほんのりと顔を染めた。
「……別に、あ、…あんたに抱かれるのが…嫌だとか、そういうんじゃないんだ」
恥ずかしがり屋のドワーフは、ボソボソと聞き取りにくい声で言うのが精一杯だった。
「そりゃ、は、恥ずかしいと思うことはあるが、あんたは…その…優しいし……。それに、あんたはこうして、ちゃんと謝ってくれたしね」
「ギムリ……」
顔を真っ赤にして、きっと穴があったら入りたいくらいなのだろう。この愛すべき堅実で奥ゆかしいドワーフに、ここまで言ってもらえるエルフが外にいるだろうか。
「愛しているよ、ギムリ。ああ、本当に愛している。抱くとか抱かれるとか、本当はどっちだっていいんだ。ただ、君とこうして抱き合って、触れて、一緒に融けてしまいたいくらい愛しているんだ」
「わ、私もさ…」
どちらともなく口付けあった二人は、すれ違っていたお互いの気持ちがゆっくり重なっていくのがわかった。
熱い口付けはいつしか情熱的な愛撫へとかわる。
求め合うことに素直になった恋人達は、そうして人気のない雑木林の中で、心ゆくまで熱心にお互いを融かし合ったのだった。
犬も食わないとはこのことかって内容…。
というより、この二人に関ると、馬に蹴られそうです。
だから馬の話ってわけじゃないですが、お友達から
いただいたネタから思いついて書きました。
これで10000Hit記念というのもなんですが、
訪問してくださった皆様に感謝して、捧げます。
さくら瑞樹著
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