子宝湯(足立区千住元町)は昭和4年(1929年)に建てられ、
昭和63年11月に廃業後、平成5年に江戸東京たてもの園内に移築された。


緑に映える千鳥破風

風に舞う暖簾
足立区千住あたりはかつての宿場町で花町もできていたので、もともと銭湯の多い地域だった。king of sentouと呼ばれる大黒湯もすぐ近くにあった。

昭和4年に開業して、昭和63年まで営業していたというのだから、昭和とともに生き、昭和の終わりとともに幕を閉じたことになる。

銭湯の最盛期に建てられたこともあって、贅沢なほどに飾り付けが施されている。

げ魚と宝船の飾り

千鳥と唐破風

布袋さんの瓦飾り

昔懐かしい脱衣籠
昔はみんなたいした装飾品も身につけていなかったし、銭湯に来るのに大金を持ち歩くこともなかっただろうから、気楽に脱いだ物を脱衣かごに放り込んで、さっさと湯船に向かったものだ。

高い天井に昔ながらの大きな電球がぶら下がっていて、この広々とした空間が東京型銭湯の特徴だ。脇には濡れ縁があって、風呂上りもゆっくりと風に当たれるような造りになっている。

高い格天井とレトロな灯り

定番のペンキ絵
ペンキ絵の定番は富士山(男湯)で、女湯の方に向かって富士山の裾野(すその)が広がっているように描かれている。絵の下には近隣商店の宣伝用の看板が並ぶ。

女湯との境の上の方には、タイル絵もきちんと収まっている。弁慶と義経など昔話の一場面が描かれている。

カランとタイル絵

脱衣場から

湯場の高天井

ペンキ絵遠景
湯場の天井は板張りの白塗りで、高いところに空気抜きのガラス窓がずらっと並んでいる。湯船に浸かってぼんやりと上を見上げているとき、何となく目に映っているのがこの景色だ。

この角度からペンキ絵を見ると、両側の絵が続きになっていることがよくわかる。男女の境の壁がここのように低めだと、向こう側の絵もある程度鑑賞することができる。

所狭しと看板が・・・

レトロな扇風機
脱衣場にもレトロな看板が並んでいる。昔の銭湯というのは、店の宣伝のために看板を出すことができる絶好のコミュニティースペースだったのだろう。

中央の大黒柱の高いところに取り付けられた柱時計というのも定番だ。このような大きな柱時計は銭湯意外ではほとんど見かけない。

柱時計と看板

番台

脱衣かご

玄関の天井
番台というものが銭湯の銭湯らしい部分なのだが、やはり御婦人方には抵抗があるようだ。最近は改造して脱衣場を背にしたり、カウンター形式の受付にしているところが多いようだ。若い女性にとっては銭湯を選ぶ際のチェックポイントの一つになっている。

旅館の玄関などもそうだが、玄関回りが豪華なのはうれしいもの。履物をぬいで、下駄箱に入れて、そういう一つ一つの決まった手順を踏むことで、銭湯に来たという実感がわく。特に子供はあの下足札が大好きだ(残念ながら、ここではそれが再現されていない)。

玄関先のタイル絵

入り口上のガラス窓
これだけの立派な施設をきっちり保存してくれているのはあり難いことだ。
ローマの遺跡などの昔の浴場跡を見ると、とても奇異な感じするが、もし、銭湯というものがなくなってしまったら、未来の日本人も同じような感覚でこの遺跡を眺めるのだろうか、などと想像してしまった。

子宝湯遠景




江戸東京たてもの園

江戸東京たてもの園は想像以上にいろいろなものが保存してあって、なかなかおもしろいところだ。ただ、建物があるだけではなくて、各所でボランティアの人が実演などの催し物を用意してくれているので、リピーターも多いようだ。
昭和レトロな化粧品店、筆を扱う文具店、金物屋、番傘の店などなど。右の写真は、人形を使って番傘を作る行程を順をおって示してくれている。写真にするとなかなかリアルな感じ。この店では木製のこまを実演で作っていて、気が向くと?見物人に絵付けをさせてくれる。

都電の中には昔の路線図や写真が展示されていて、おもしろい。
藁葺き農家の中ではちゃんと囲炉裏に火が入れてあり、昔懐かしい蚊帳(かや)も張ってある。中に入って寝転ぶこともできる。

別な農家の外ではわらじ作りの実演をしていて、希望すると?あるいはおじさんに気に入られると、実際にわらじ作りを体験させてくれる。
本物の井戸もあって、水を汲み上げることもできる。「飲み水には使用できません」と書いてあるのだが、下はタンクかなんかになっていて、水を補給しているのだろうか?

昼下がりにはボランティアの方による紙芝居やなぞなぞコーナーもあって、正解するとわらじもしくは小わらじの付いたストラップがもらえるかも。



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