燕湯 tsubameyu
台東区上野3−14−5
03-3831-7305
6:00-20:00
月曜休、番台
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訪問記 【2008.6.22】

燕湯のペンキ絵は2008年3月19日にペンキ絵師の中島盛夫さんによって書き換えられ、翌日の3月20日には4代目の若旦那が燕湯を引き継いでの再開業初日を迎えた。時を同じくして翌々日の3月21日には「国指定登録有形文化財」の認可が下りて、再出発に花を添える形となった。

再開業も軌道に乗った6月の22日、同湯を訪問してペンキ絵などの写真を撮らせていただくこととなった。そのきっかけは4代目の弟さんからメールを頂いて、燕湯のホームページをリニューアルオープンしたので掲載して欲しいとの連絡を受けたことからだった。


同湯を訪れたのは閉店1時間前の夜7時ごろ。生憎の雨模様のなか灯りが点されて、「千と千尋の神隠し」の湯屋のような夜の活気がみなぎり始めていた。銭湯が一番美しく輝いている時間帯だ。立派な千鳥破風の屋根、両脇には石造りの立派な築地塀の構え。改装した銭湯によく見られるようなコインランドリーの併設もなく、自動販売機も設置されていない昔のままの姿だ。脱衣場の高い天井の位置が二階部分に相当していて、本来ならその上に瓦屋根の大屋根が聳えていることが多いのだが、ここは一味も二味も違っている。経営者の住まい部分が三階のように脱衣場の上に乗っているので、全体としては京都の町屋のような面構えになっているのだ。これは大変珍しい構造で、いわゆる寺社仏閣の宮造りとは趣を全く異にしていて、有形文化財にふさわしい独特の風情を醸しだしている(宮造りが一世を風靡する前は町屋風がむしろ一般的だった)。

暖簾は白地に「燕湯」と描かれたオリジナルのもので、神田のいなせを感じさせる。暖簾を潜って中に入ると初夏にふさわしく、大きなひまわりが活けられている。左右の上がりかまちに上がると定番の下足箱があり、その下足錠はCanaryの古いものに新目の松竹錠が混じっている。引き戸から中に入ると昔ながらの脱衣場の風景が広がっている。昔ながらの番台と折り返し格天井、この格子の桟が金属製の飾り物で補強されてあったり、家紋のような金属印がはめ込まれてあったりして、これらの意匠は他では見ることがない珍しいものだ。板張りの床の真ん中には島ロッカーが置かれてあって、外壁にも横長の大きなロッカーが並んでいる。男女境は鏡壁になっていて、その脇に置かれた横長の冷蔵庫には定番の牛乳類が納められている。トイレは縁側から外に渡っていく構造で、渡り廊下の床に貼られた昔ながらの豆タイルが可愛らしい。天井からぶら下がる大きな扇風機はないが、その代わりに壁に掛けられたAsahiの扇風機が昭和レトロで懐かしい。

浴室へ。島カランが中央に1列であり、ここには横長鏡があるだけで、昔風でシャワーはない。カランの配置は6-6-6-8、カランは水色5角(中央には赤・青の印があってお湯と水を区別している)のものだ。桶は定番のケロリンの黄色い桶で、座椅子は普及版に混じって昔ながらの緑のM字椅子も見受けられる。床のタイルは幾何学模様、壁のタイルは比較的新しい白地に花柄があしらわれたものに張り替えられていて綺麗。そして、燕湯ご自慢の正面壁ぎわ。中島さんが書き換えられた男女に跨るように描かれた富士山のペンキ絵(渓流越しに富士山が見え、岸辺にはあちこちに松ノ木がそびえ立っている構図)があり、浴槽角には本物の溶岩や岩で造られた築山があり、その中腹からお湯が瀧のように注がれるという構造になっている。浴槽は定番の長方形ではなくて池のような形をした浅湯と、バイブラ付きの四角い深湯が岩のふもとに並んでいる。湯温は43-6℃の熱湯だ(かつては熱湯に入る会というのがあって、朝一番の4時に50℃のお湯に浸かる催しが行われていたとか)。


そんなわけで、有形文化財に指定された神田の燕湯は、登録にふさわしくユニークで昔ながらの意匠を随所に残した伝統的な東京レトロ銭湯だ。ちなみに営業時間も今でも朝6時から夕方8時まで(これも東京広しといえども他に皆無)。お湯が熱い事と並んで燕湯の特色になっている。ちなみに初代のオーナーが新潟は燕のご出身ということでこの屋号をつけたとのこと。その後を継いでさらに3代東京で暮らせば、もう江戸っ子。今の若旦那はちゃきちゃきの神田の江戸っ子といっていいわけだが、北陸の故郷への郷愁も忘れずに「燕」と言う屋号を愛しているのだ。管理人は最後に一緒に風呂掃除体験までさせていただき、番台にも座らせていただき、遅くまでいろいろなお話を覗って大満足の忘れられない1日を過ごしたのであった。この場を借りて、女将さんそして皆様ありがとうございました。






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