「杉並のお風呂屋さん」展

2006年7月23日〜11月26日 杉並区立郷土博物館
銭湯展について

この銭湯展は数ある銭湯展の中でも充実度が高いとの評判。定番のケロリン桶の展示、ペンキ絵を描き換える様子を写した写真展に加えて、今回は銭湯の舞台裏の紹介として「銭湯の1日」を写真で紹介しているほか、煙突屋、釜屋、穴蔵屋(下風呂の木蓋の製作)などの仕事を紹介している。

そして、メイン展示ともいえるものが、この1月に廃業した下井草の森の湯の番台を移築して展示してあるもの。番台のほか島ロッカーや看板類などが並べられており、さながら会場が森の湯の脱衣場のように作られている。森に湯を先日まで利用していたので、「そうだよ、この番台に料金置いていたんだよ」と考えると感無量であった。そのかわり、初めて番台に座わらさせてもらったので、それはそれで感激。トラックの運転席から見下ろすようなすがすがしさだった。ここからペンキ絵を眺めたらさぞかし壮観なことだろう、ふむふむ。

杉並の浴場組合設立80周年ということで、杉並の銭湯史と題された年表が面白い。いちおう記録上杉並で最初にできた銭湯は大正11年に荻窪近傍の天沼に建てられた寿湯(昭和47年廃業)。この年に中央線の高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪駅が開業(荻窪駅は開業していたということだろうか?)。昭和7年、杉並町、和田堀町、井荻町、高井戸町が合併して杉並区になる(井荻ってローカルかと思っていたが、結構メインだったのだ)。関東大震災で東京市内の銭湯、が971のうち630あまりが消失(震災前の銭湯数がだいたい今と同じだよ。それにしても随分壊れてしまったものだ)。昭和元年に杉並浴場組合設立(中野組合からの分離)。昭和10年荻窪浴場組合設立。終戦当時の都内の銭湯数は約400(これはよくも400も残ったと見るべきか?)。

昭和34年、横山湯の煙突が強風で折れて隣家に被害。昭和40年、吉野湯の煙突が台風で折れて通行人負傷(煙突が折れることもやはりあるんだ。)。昭和42年高井戸浴場組合設立。昭和45年には杉並区内の銭湯が最多の119軒となる。平成10年、杉並・荻窪・高井戸浴場組合が合併して杉並浴場組合となる(合併したのは、ついこの間?銭湯数減少のためとのこと。)。平成18年7月現在、杉並区内銭湯40軒(最盛期のちょうど3分の1というわけか)。

そのほか資料的に面白かったのは、現在薪を燃料として使用している銭湯は3軒(意外と少ないね)で、平成に入ってガスを使う銭湯が増加しているとのこと(これも初めて知った)。また、杉並では9割以上の銭湯が地下水を利用しているとのこと(すばらしい。ちなみに東京全体での井戸水利用率は74.7%)。