首都高速は芝公園を南下してから羽田線へと
分かれる。この高速の下には古川という河川が
流れているが、かつてはこの古川までの広い範
囲が増上寺の境内であり、いくつもの寺の別坊
(塔頭たっちゅう)が立ち並んでいた。
現在、高速下の一帯は民家となっているのに、
その一角に通元院の門柱と小さな稲荷が残され
ていた。おそらく、このあたりは境内の一番奥の
閑静な場所だったに違いない。
港区は最も銭湯の少ない区の一つだが、高速
の反対側に港区立のビル銭湯、ふれあいの湯
がある。
芝公園のあたりから品川、高輪方面へ銭湯をたどって
町を探索した。
芝公園沿いに少しづつ北上。次に出てくるのが芝の東照宮。もちろん、徳川家康が奉られている。
建物は再建後のもので人影もないが、樹齢300年の大銀杏がそれだけの時が流れたことを物語
っている。
増上寺は徳川家の菩提寺で、秀忠から家茂まで多くの将軍の霊廟が立ち並んでいた。日光東照宮にも
引けおとらない絢爛豪華な建物がそこかしこにちりばめられていた。それは実はつい最近まで現存して
いたのだが、東京空襲でそのほとんどが焼失してしまった。かろうじて残ったのが境内の正面入り口の
三門と2つの霊廟の入り口にあった総門である。朱色のあでやかな三門は今でも芝の象徴的存在だ。
ところで芝のゴルフ練習場は戦後長いこと都民に親しまれてきたが、取り壊されて西武系のホテルに生
まれ変わるらしい。右上の総門も長らくゴルフ場の入り口として使われていたらしいが、両脇を工事の車
が出入りするためにトタンでぐるぐる巻きにされている。これは2代将軍台徳院の霊廟の入り口だったこと
は誰も気にかけていない。右下はかつての総門の様子。深い森に被われているのが印象的だ。ちなみに
霊廟のお墓がどうなっているかというと戦後に東大の研究グループによって掘り起こされ、今は増上寺後
ろの狭いところに押し込められている。
さらに北上を続け、東京タワーを写真に。左はクリスマスツリーに仕立てられる予定の大きな枯れ木のてっぺんに
星が取り付けられていて、東京タワーの弟分のようだった。このあたりも高層ビルがいつの間にか増えていて、そ
の壁面に東京タワーが写っていた。ここから程近い日比谷通り裏に五色湯はあった。ビルの谷間に在り続けるの
はさぞ大変だったのだろう。取り壊されて新たにビルの造成が始まっていた。一方で工事現場の路地を挟んで反
対側には昔ながらの欄干のある二階家が、昔の風情を伝えていた。赤れんが通り沿いの広田眼科はここがオフィス
街とは信じられない異空間だ。老先生が夕刊を取りに出て見えた。
今度は地下鉄三田線で三田へ移動。慶應仲通りにある銭湯を目差した。このあたりはちょっと寄りたくなるような
洒落たくいものやがいっぱいある。港区忠臣蔵三百年祭りと銘打って商店街も盛り上がっていた。大正から昭和
初年頃の建物だろうか。石造りの粋な店舗が残っている。玄関上のアーチ状のデザインやレンガ色のアクセント
の効いた配色にちょっとした気配りが感じられる。
目的の銭湯は万才湯というビル銭湯だった。ばんざいゆと読むのかと思っていたらMANZAIYUと書いてあった。
今度はJRで品川へ移動。ホテル群とは反対側の東口へ。海の方へ向かってしばらく進む
ととってもクリスタルなビルを見つけた。ビル内の蛍光灯が規則正しく並んでいるのが、とて
もおもしろかった。なぜかそびえる2本の鉄柱は何だかわからず。あとで地図をみたらこの
ビルはクリスタルスクエアーと言うらしい。なるほどそんな感じ。
高浜運河を越えるころには夕焼け空になり始めていた。運河沿いの散歩道が気持ちよさそう。
そこからしばらく進んだらいかにも埋立地か倉庫街といった感じのところに海岸浴場はあった。
名前もユニークだが、ここが変わっているのは都営住宅のアパートの1階にあることだ。三徳
寿司の左隣がそうで、通り過ぎるまでそこがそうだとわからなかった。
あとでわかったのだけれど、この日のあと何日かして廃業してしまったらしい。一風呂浴びて
おけばよかった。後悔しきり。
品川駅に戻ったころにはもう夜の帳が降り始めていた。駅周辺の開発の早さには
目を見張るものがある。インターシティの楕円ビルのあたりなどは、まるでアメリカの
地方都市のダウンタウンの光景のようだ。
駅隣のビル工事現場の、青白い溶接の光が幻想的だった。
いよいよ芝から始まった町並み探索の最後の目的地、高輪(浅草線の泉岳寺)へやってきた。もう完璧な夜。お寺
(正満寺?)跡地の広大な敷地が、ビル建設のために整地されていた。そんな界隈の路地裏に高輪浴場はあった。
ベージュの壁色が木造によくマッチしている。港区のこのあたりの銭湯は何々浴場という言い方が多いのだけれども、
何となくこのあたりではその方がいいように感じられるのは海が近いせいか?
もうすっかり遅い時間なのに昔ながらの精米機のある宮崎米店にはまだ灯りがともっていた。骨董屋みやたの骨董品
も何だか怪しげな灯りに照らされて、長い眠りから目覚めて息を吹き返しているように感じられた。