西武新宿線の中井駅の南側一帯が上落合で、北東部一帯が中落合、さらに東側の下落合駅周辺一帯が下落合だ。この下落合駅のすぐ東側で妙正寺川と神田川が落ち合って合流しているので、このあたりを落合というのだそうだ。中井駅の北の住宅街の一角に林芙美子記念館(写真上)が静かにたたずんでいる。

記念館のそばに分化湯、その他、中井から東中野にかけてゆーざ中井、竜の湯、松の湯、松本湯、アクア東中野などのビル銭湯が点在している。鈴の湯と第二薬師湯は廃業していた。東中野から中央線沿いに西に歩いて中野駅周辺の銭湯を訪ねることにした。まずは中央線脇の松月庵で、天ぷらそばで腹ごしらえを。

明大付属中野高を通り過ぎて、中野駅とのちょうど中間ぐらいのところに分園湯がある。まわりにビルが隣立していないためか、すっきりしたビルのビル銭湯だ。おそらく手作りの、電光掲示板の文字がかわいらしいかった。文園とは変わった名前だが、近くに文園児童館というのあるのでこのあたりの地名なのだろうか。

さらに西に進んでもみじ山通り(旧薬師通り)を越えたあたりは、むかしの臭いのする界隈だ。北野神社に続く参道は小さくて短かな商店街で、もみじ通りからひとつ中に入っていったところにある、うらぶれた裏通りだ。

商店街の一番端の北野神社手前に昔ながらの魚屋の看板を見つけた。魚屋の看板というのは、意外と古めかしいのが残っているところが多い。古いといっても昭和も戦後のものかもしれないが、平成の今となってはこういうものも古き良き昭和の面影となりつつあり、やがてはこのような看板も見られなくなるだろう。
この商店街の左手前、八百屋さんの角を左へ入ったところに天神湯はある。


中野にはなんと惚れ惚れするようなレトロな銭湯が残っているものだろうか。破風が見事なところも多いが、玄関周りと両脇の塀が実に趣があってすっきりしている。自動販売機もコインランドリーもない、昔ながらの風情だ。少なからずいろいろな銭湯の玄関を見てきたが、私の最も好きな銭湯の、玄関周りのひとつだ。

旧薬師通りに戻って、この道を南下。中央線のガード下の壁は、派手なペインティングで飾られていた。これならその上に落書きをしても全然目立たないので、落書きをする人もいないだろう。自転車置き場になっているようだが、明るい感じで好感が持てた。とはいうものの写真左奥に路上生活者が横になっていたが。


紅葉山公園を過ぎて、三味線橋を左に桃園川跡の緑道を入ってすぐのところに千代の湯はある。実はこの写真は去年の年の瀬に訪れたときのもので、正月の飾りつけが奉られていた。SMAPの慎吾クン出演の、この春のテレビドラマに登場した銭湯の玄関はたぶんココだとにらんでいる(未確認)。玄関にはアルミサッシが使われているし、少し改装されているようだ。

それでも一番先に目に付く、外回りの左半分の塀壁はそれは美しいもものだった。白壁なのだろうが、木のぬくもりのある色と融合し、さらには夕日の赤みのある光を受けて薄ピンク色に輝いて見える。街のど真ん中にいながらにして感じることのできる、自然の織り成す芸術的な光景だ。

千代の湯の玄関前に自動販売機がない理由は、向かい側の松林商店前にずらりと並んでいるためだろうか。なんだか銭湯と共生してきたような昔ながらの雑貨屋だ。銭湯帰りにちょっとしたものを買って帰れるような、そんなお店だったのだろうなどと想像をかきたてられた。さらに今度は緑道沿いを西に移動して、高砂湯(ビル銭湯)の前を通って中野通りに出た。


この名もない路地から中野通りに抜けるときの、左角に花の湯はあった。正面は中野通りの方を向いているのだ。この昼間の写真は年末に訪れたときのものだが、先日の4月30日をもって廃業してしまった。

この暖簾の写真は、廃業前日に訪れたときのもので、華やかな、牛乳石鹸のみんなで銭湯バージョンが使われていた。年末までは渋めの藍染風のものだったのだが・・・(写真上)。

ここの破風はやや内側に反っている、千鳥破風の2枚重ね。上が大きくて下が小さいことが多いようだが、ここではむしろ下の破風が大きめに見える。鬼瓦は比較的あっさりしたもので、瓦も浅瓦だ。いわゆる丸瓦と平瓦の組み合わせによる本瓦葺ではない。

これに比べて魚(げぎょ)はなかなか立派なものだ。千鳥が中央に彫られているのだろうか。上の破風にも同じような魚がきちんと取り付けられている。

どうして花の湯という名前にしたのだろう。松竹梅や、桃や桜を屋号にしているところは多いが、単純に花と言うのもめずらしい(笹塚の消防学校のそばにも花の湯というのがあるが、親戚だろうか。花・植物の名前としては菊、菊水、藤、柳、二葉、若葉、杉、笹、萩、桐、紅葉なんていうのもある。)。脱衣場のさり気ない生けばなが華やかさを添える。

青はこころの内面を表す色だといわれている。幼児に絵を描かすと暖色を好んで使うが、学童になると自我が目覚めて急に青を使うことが多くなるという。日本人が最も好んでいるのも青らしい。藍染の青、ごすの青。
銭湯の脱衣場から見て浴室が水色に見えるのは、ペンキ絵がほとんど水色一色で描かれているからだ。暖かいお湯と違和感のあるようなないような、でも昔からそう決まっているのだ。銭湯の窓から洩れ出る光も水色で、裏からみてもすぐに銭湯と分かるのだ。

中野通りを北上して中野駅南にある桃園浴場へ。中野区には上述の文園湯とこの桃園浴場のほかに新井薬師近くに花園湯というのがある。桃園はもちろん桃園川から由来しているに違いない。正面になます壁があるのには驚いた。

屋根の縁の傾きはわずかに外側に膨らんでいて、おもしろい形をしている。庭にはしゅろの木がそびえ立ち、なんとも不思議な外観だ。いかにも中野の繁華街近くの銭湯という感じだ。なんとく桃園ということばの響きがこの外観の異様さと交錯する。(つづく)



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