梅の湯

【2006.5.27】  
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梅の湯
葛飾区細田4−10−1
03-3658-4946
16:00-23:00、木曜休、番台。

アクセス:京成高砂駅を南へ降りたら線路に沿って東(新柴又方向)へ進む。右折して商店街を南下していく(右側に春日湯あり)。さらに進んで行き、突き当りを斜めに左折してすぐの左側。駅から15分の記載。


コメント:
今日は無理をして京成高砂の梅の湯(唐破風)に向かった。マップでは「番、気、超」としか書いてないので、気になっていたのだ。訪れてみてビックリのいまや貴重な超レトロ銭湯。女将さんと長々と話してたら女湯のほうも見せて下さった。男湯とぜんぜん違うので唖然。男湯のほうの脱衣場は島ロッカーがあるお馴染みの光景なのだけれど、女湯のほうには島ロッカーなく、籐製の乱れ籠があるだけで、まるで京都の町屋風銭湯の脱衣場の様。女湯特有のお釜とかベビーベッドなどもあって、男湯と比べれば5倍ぐらいいい雰囲気だった。

庭は現在は物置のようになっているが、スペースとしては十分あり、昔ながらの木のガラス戸で仕切られているので開放的で気持ちいい。天井は格天井、男湯側は島ロッカー2列があり、あとは男女とも外側壁には
木製の昔ながらのロッカーが残されている(が、鍵は紛失しているか、はずされている模様)。秤は男湯側は確かHOKUTOWのアナログものだったと思うが、女湯がわはもっとレトロな年代物。明治牛乳のボックス型冷蔵庫あり。

浴室も昔ながらのタイルのままで、レトロな雰囲気。島カランは1列(横長の1枚鏡が付いていて、ここにはシャワーなし)で、残りの空間が広々している。カランの配置は7-6-6-6、湯温・量は良好。浴槽は昔ながらの深・浅2槽で、浅湯の奥にぼこぼこと大きなお湯の吹き上がり口があるだけで、ジェットなどはないシンプルな浴槽だ。湯温は43℃強といったところだが、熱さを感じさせない柔らかないいお湯だ。

そして、
ペンキ絵。かなり前に描かれたものと見えて全体が消えかかっている。ひょっとしたら現役の絵師ではないかもしれない(現役の絵師だとするなら中島さんか?)。男女にまたがるように描かれていて、描かれているのは男湯は松島か瀬戸内海のような風情。女湯側は大きな湖水のような情景で画題としては珍しい。

補足(女将さんに聞いたいろいろな話):
ひょんなことから女将さんに声を掛けられて、それからしばらくいろいろなお話を聞くことになった。昭和33年開業で、以来48年になるとのこと。娘さん2人で後は継がないらしい。旦那さんは新潟出身で、この地に来る前は日本橋の水天宮の叔父さんが経営する銭湯(竹の湯、今はないらしい)や浜町公園前の銭湯(名前は?)で働いていたとのこと。親類が他にも銭湯を経営していて、新宿の若松町や柳町にあった銭湯らしく、かつてはご主人も東浴の理事も勤めていたとのことだ。また、この先のあたみ湯の旦那は機関紙にコラムを書いているひと?

この地(葛飾区)で銭湯をはじめたころは周り中が畑でほかに何もなく、前の道も舗装すらされていなかったらしい。そんなに人気のないところだったらお客さんが来ないのでは?と尋ねたら、そうねえ、初めのころは赤字だったわねえとのお答え。現在も薪で沸かしたいいお湯だが、ゆっくりと温めるのがいいという。重油で急激に暖めるとチクチクしたお湯になると説明された。薪を集めるのが大変でしょう?と聞くと、今は業者がトラックで運んできてくれるから楽だということだった。水天宮で働いていたときは夜中の1時、2時までかかったので寝るのは3時、朝は8時には起きるので睡眠時間は毎日4-5時間、若くてもきつかったと。今はもう少し早くに閉めているが、それでも朝8時には起きる習慣になっているとのこと。

火を燃やして準備するのが大変でしょう?と聞くと、それは大したことがない、薪を汲めればいいのだからと。それよりやはり毎日の掃除が大変で、掃除がなければ楽なんだけどともおっしゃる。昔は木桶だったから膝に挟んで一つ一つ洗っていたと。それで腰が痛くなったとのこと。プラスチック(ケロリン桶)に変わってからは浸け洗いが主体になったらしい。この「プラスチック桶を洗う機械」というものがあるらしく、一時はその機械を使っていた銭湯も多かったとのお話。洗い終わった桶は裏返して山のように積んでいったと(今でもケロリン桶をただ重ねるだけではなくて山のように積んでいるところもあったけ?)

そうこうしているうちに話は乱れ籠のことへ。籐製の乱れ籠は上等なので、女湯のほうは島ロッカーを置かずに今も乱れ籠を使ってもらっているとのこと(それで、女湯側に島ロッカーがなかったのだと納得)。最近のは籐製ではないはずで、籐製のものは貴重だと。最後にペンキ絵師さんのことを尋ねたが、どなたが描かれたものかはわからないと。「大和広告社」の看板が掛かっていたので、広告看板のことも尋ねると、もう風呂屋に広告をだすひとはすっかりいなくなったとのこと。

はじめは保健所かどこかのひとですか?とか、本か何かに載せたりするんですか?と聞かれたが、趣味でとくに昔ながらの銭湯を周っていると説明(ホームページに写真を載せてもいいと許可は頂いた)。こんな昔のままの銭湯はめずらしいでしょと言われ、昔のままの銭湯を探して入りに来ていますと答えた。

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