中山道は日本橋を起点にして京都三条大橋へ至る全長533kmの街道であった。
旧中山道であった街道は現在、商店街として残っているところが多い。
日本橋を出て最初の宿場町であった板橋宿のあたりを散策した。


旧中山道仲宿交差点

旧中山道沿いの旧家
都営三田線の板橋区役所前で下車し、新中山道の大通りを渡って少し奥へ入ると、旧中山道の仲宿交差点に出る。

ここからいわゆる「板橋」に至る中山道沿いがかつての板橋宿の中心だったところで、本陣や脇本陣などがあった。

交差点から少し先の右手に馬頭観音碑があり、このあたりは街道の馬つなぎ場であったとのこと。この碑がひっそりとある以外にはその面影はない。

馬頭観音碑

梅の湯

いたばし最中

牛乳石鹸の暖簾
いたばし最中の明月堂を過ぎてから右に入ったところに梅の湯。道から引っ込んだロケーションで、花道があるのがいい。

入り口上の唐破風屋根もゆったりとしているように感じられ、夏らしい花火の絵柄の暖簾が華やいだ感じを醸し出していて効果的だ。

刃物研磨、本日最終日

文殊院
遊女の無縁仏もある文殊院前の路上で、刃物研磨の職人さんが・・・。カメラを向けたら眼があって、にこっと微笑んでくれた(この直後)。本日最終日と書いてあるので、場所を移動して仕事をしているのだろうか。

本陣跡も脇本陣跡(右)も昔を偲ばせるものはほとんどない。わずかに立て看板と樹齢のありそうな大木が残っているだけ。

脇本陣跡

牛乳石鹸の暖簾

水神湯

松竹錠の下足札
「板橋」すぐ手前の左側に水神湯がある。商店街の中に並んで建てられている銭湯は、この水神湯のように平入り(瓦屋根から観ると横から入る形式)で、小さな破風が入り口上を飾っている形式が多いようだ。

下足札の生い立ちははっきりしないが、鍵でなく木札であるところがユニークだ。銭湯以外でもこのような下足札が使われていたところがあるのだろうか。

石神井川にかかる板橋

日本橋から
二里二十五町三十三間
板橋の名の由来である「板橋」。今では板のように模して造られたコンクリート製の橋だ。下を流れる石神井川の流路も少し北側に移っている。

日本橋からの距離は約10.6km。橋の向こうに水神湯の屋台骨と煙突が見える構図(右)。「水神」とはおもしろい名前をつけたものだ。

板橋と水神湯

竹の湯遠景

竹の湯


おしどりの下足札
このあたりは旧板橋宿の中心だったせいか、さすがに銭湯の数も多い。右奥には竹の湯、さらにその奥には立山浴場(本日定休日)があり、街道の左手奥の愛染橋近くには愛染湯がある。

さらに旧中山道を進むと右手に縁切榎(えのき)の祠がある。その名の通り、近くの縁切坂を通ると縁が切れるとか。

立山浴場

縁切榎(えのき)

さらに進むと旧中山道は環状7号線の橋げたの下をくぐり、その右手に朝日湯がある。看板の雰囲気と暖簾が先の竹の湯と同じ。同じオーナーか?下足札も共におしどりだった。

さらに先の右手にある日の出湯は昭和モダンな感じ。敷地も大きくゆったりとしていて、松竹錠の下足札。玄関回りは改装してある感じ。

朝日湯

日の出湯

おしどりの下足札

松竹錠の下足札
このあたりの番地は「清水」にかわっていて、街道左奥に清水稲荷がある。樹齢600年?の大銀杏が2本、鳥居の両脇を固めている。

このすぐ近くには稲荷湯がある。稲荷と名づけられているところからは、かつては清水稲荷がこのあたりの中心的存在であったを感じさせる。

清水稲荷の大銀杏

稲荷湯
新旧の中山道が合流する交差点には何の表示もなく、さりげなく合流している。というのも旧中山道もこのあたりまでくると商店街も途絶えてしまって、何の変哲もない裏通りになっているからか。

その手前のビルの屋上に大きな麒麟の像がそびえ立っていて、ビルの名も「きりんびる」とはまた何の因果か。ビルの1階には麒麟という名の居酒屋?もある。ここで一句:
「仲宿に響く栄華もこれきりん」

屋上のきりん

新旧中山道の合流点

きりんびる

三吉湯遠景
新しい中山道の大通りを通らずに、一つ裏側(右)の沿道を北上することにした。両脇には住宅街が碁盤の目のように広がっていて、そんな一角に三吉湯を発見。

どでんと存在感があり、ちっともうらぶれた感じではない。上の千鳥破風屋根のてっぺんもひときわ尖っていて自慢げに見えた。白地に青の男性的な看板は上の竹の湯や朝日湯と共通している。看板にさらに暖簾があるのはちょっとしつこい感じもする。

三吉湯

特製のあっさりした暖簾
入浴もしないのに玄関に入って行って下足札の写真を撮るのは少し気が引ける。ときに出入りする人と出くわし、「なにやってんの」というような顔をされることもある。

名もない裏通りのはずなのに民家の玄関前にひっそりと建つ庚申塔を見つけた。あちこちに建つ庚申塔や塚の役割は何だったのだろうか。いわれは中国の故事に由来すると聞いたことがあるが・・・。

松竹錠の下足札

一里塚と斎藤商店

庚申塔

乾物屋、斎藤商店
ひらすら歩くこと20分ぐらい?やっと志村の一里塚についた。そのすぐ手前にむかしながらの乾物屋、斎藤商店があり、今なお営業している様子。

この旧家と一里塚を含む景観は板橋区のまちなみ景観賞を受賞していて、その銘碑が貼られている。

一里塚裏の斎藤商店横

「活き粋いたばしまちなみ景観賞、
中山道志村一里塚とその周辺」
中山道三番目の志村の一里塚には道の両脇に左右の塚が残っていて、昔の街道の様子を彷彿とさせる。大通りの両側に位置する両塚の間隔はかなり広いことになるのだが、近年に移転されたのか。しかし、そのことに関する記述はどこにもない。

一里塚には榎(えのき)の木を植えるのがきまりになっていたという。むかしのひとは遠くからこの木を見て榎(えのき)と判定できたのだろうか。

志村一里塚

沢の湯遠景

大黒湯

沢の湯
最後に志村坂上あたりの銭湯を探してみたら、見つけた2軒はどちらもビル銭湯に変わっていた。大黒湯は立派な破風造りの銭湯だったと地元の人は言う。

屋号の文字がかわいらしかった沢の湯で汗を流すことにして、たなびく暖簾をくぐった。銭湯の入り口はずっと奥なのにビルの外に暖簾を掲げてあるのが珍しく、暖簾が銭湯の象徴であることを実感した。一句:
「高のれん、風をくぐりて湯やに入る」



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