金春湯

【2005.6.16】  
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金春湯
中央区銀座8−7−5
03-3571-5469
14:00-24:00 土曜は23:00まで、日曜・祝日休、番台。
新橋駅を降りたら線路沿いに環状線の外側を北上、高速を越えたところを右折、しばらく進んで銀座通りの手前を左折(金春通りと記載あり)。さらに少し進んだ左側。駅から4分の記載。

コメント
2002.12.14の日記から転記
新橋の金春湯を見に行ったら「金春通り」という古めかしい看板を発見。金春湯なんてあちこちにあるし、金春が通りの名前になっているとはどういうことか?そんな疑問をいだきつつ金春通りに入ると今度は「金春通り、煉瓦遺構の碑」なるものが出現。その遺構のサイドには何とパンフレットも置いてあるのだ(この新橋の街中に?)。以下、そのパンフレットから抜粋を・・・。
銀座八丁目の中央通りより一筋西側の通りを金春通りという。江戸時代ここに能楽金春流の屋敷があり、明治以降も金春通り、金春芸者などに名を残し、現在も金春湯にその名を留めている。江戸時代には幕府直属の能役者として、宅地や家禄を支給されていた家柄に金春・観世・宝生・金剛の四家があり、金春屋敷の拝領は寛永4年(1627年)で、金春家は最も伝統が古く、室町時代以降に栄えたという。金春の屋敷は、寛永の江戸庄図に金春七郎と記され、現在の銀座八丁目6・7・8番地全体を占めていたと言う。この屋敷は後に麹町に移ったが、金春の名はこの付近の芸者屋街の称として残ったとのこと。
なお、金春色(新橋色)というのがあって、ターコイズ・ブルー(青緑色)のことで、明治末期から大正にかけて新橋の花柳界で流行したために新橋色と呼ばれたとのこと。当時新橋の芸者屋が金春新道にあったことから金春色とも呼ばれたとのこと。
これを読んで、新橋の金春湯が数ある金春湯の総本山なのかと自分なりに納得(本当かどうかは不明)。まあ、何となく豪華で華やかな感じがするのは確かだし、そういうこともあって風呂屋の屋号によく使われるようになったのか。やはり能楽よりも新橋芸者のイメージ?何と言っても「きんのはる」だものねと妙に納得。白金台の金春湯、学芸大学の金春湯と相次いで金春湯が廃業となっているのはさみしい限りだ。

ここから金春湯入湯記(2005.6.16)
うなぎの寝床のような長い花道、突き当りの右手に下足箱があって左に折れて玄関前の踊り場に出る。ここがまた縦長の空間で右手の左右に男女別々の入り口がある。こんなビル中銭湯なのに玄関を入ると昔ながらの番台。料金を払って脱衣場へ。由緒ある銭湯ということから想像していたよりもはるかにこじんまりした空間。でも天井は高くて3枚羽根の扇風機がぶら下がっている。向う正面の男女境に大きな神棚があるのが珍しい。どこの神社から勧請したものなのだろうか。脱衣場中央に横向きに島ロッカー1列。男女境壁は定番の鏡壁だった。
浴室へ。ここもこじんまりとしていて島カランが1列。カランの配置は4-4-4-4?とシンプルな構造。ペンキ絵がない代わりに湯船の上には立派な鯉のタイル絵があり、錦鯉だの緋鯉だの大きい鯉が壁いっぱいに描かれている。また、男女境壁の上にも横長いっぱいのタイル絵があって菊だの桜だのが咲き乱れ、鮮やかな色のおしどりなどが描かれている。遠くには山並みとめがね橋なども。浴槽は中でつながった浅・深湯の2槽で、深湯に2点ジェットがあるだけのシンプルな浴槽。湯温は43℃弱といったところか。
というわけで、新橋の金春湯はビル内銭湯ながらさすがに歴史を感じさせる、大東京のど真ん中の老舗銭湯だった。

お知らせ
この記事をlivedoor公式ホームページのPJニュースにも掲載させていただきました。
銭湯番外編(1):東京・中央区「金春湯」

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