麻布十番界隈と、広尾から天現寺橋を抜けて
白金高輪までの三光豊沢商店街沿いを歩い
て、港区の銭湯を探索した。

散歩トップページへ
銭湯トップページへ
散歩トップページへ銭湯トップページへ

右手に永坂更科の老舗の蕎麦屋を見て、麻布十番商店街を見渡す。大江戸線の麻布十番駅ができてからは、この通りへのアクセスは格段によくなった。でもその分、かつての長閑な雰囲気は失われていて、特に日曜日などに浪花屋の鯛焼きを購入しようとでも思うとそれは一苦労だ。人が集まることを見込んで新しい店もいくつかオープンしており、通りの雰囲気も少し変わったようだ。
なじみのラーメン屋の亭主に聞いてみたら、以前よりもかえって夜の客足は減っているとのこと。地下鉄が比較的遅くまで走っているので、これまではタクシーで帰っていた人が地下鉄を利用して早めに帰宅するようになったかららしい。

麻布十番温泉の天然の黒湯は知る人は知っているが、その下の1階にある銭湯、越の湯のお湯も同じ黒湯だ。

この界隈には骨董品の店もいくつかあるのだが、この商店街沿いに面したところに洒落た玄関の民家を見つけた。
この店(?)の2階は不思議な造りをしている。普通の民家を改造して、2階の雨戸を残したのだろうか。玄関周りもうまく改築されていて、日に照らされた昼間の外観も美しい。

善福寺そばのビル銭湯の竹の湯を覗いてから、善福寺の参道へ向かった。
この参道の突き当りが善福寺でここを通る人影すらないが、ここの部分だけが異様に道幅が広いのをみると、かってはさぞかし盛況だったのだろうと昔が偲ばれる。
しだれ柳のそばには都心部には珍しく湧き水が湧いていて(柳の井戸)、戦後の焼け野原のときに人々の喉を潤すのにたいへん役立ったそうだが、今でもとうとうと水を湛えている。

山門の左手奥に東京で最古の木といわれる逆さ銀杏の木(樹齢700年)が鎮座している。うわさどおり、それはすばらしい銘木だ。あまりに大きな枝振りのために枝が垂れ下がってしまい、銀杏の葉が逆さまになってしまうのだ。この木を見られただけでもこの寺にきて良かったと感じられるほど、人の心を包み込んでくれるような母なる木だ。いつまでも木陰に抱かれていたい気持ちになり、その場を離れがたい。
ところでその他にもこの寺のみどころは多く、日本が開国後初めてアメリカ公使宿館が置かれたのもこの寺で、また福沢諭吉のお墓や立派な親鸞上人像などもある。本殿に覆いかぶさるように背後に超高層ビルが建てられつつあり、心が痛むばかりだ。
この界隈は坂が多いことでも有名だ。仙台坂、一本松坂、狸坂、暗闇坂、大黒坂などなど。仙台坂を上って韓国大使館を左手に見て、仙台坂上を右折すると、左手に安田記念教会、右手に氷川神社がある。アルゼンチン大使館を左に見て一本松坂を下りれば、4つの坂の交差する一本松に出る。左が狸坂、左奥が暗闇坂、右奥が大黒坂の入り口だ。大黒坂を下りて大黒天を左に見ながら右に回れば、麻布十番通りの裏に戻る。その手前右の長い階段を上っていけば賢崇寺に出るが、帰りはまた同じ長い階段を下ってこなくてはならない。
一の橋に戻って桜田通りを渡る。さらに入りくんだ細い路地を入っていくと民家に挟まれるようにしてたたずんでいる小山湯の前に出る。何の飾り気もない、町の銭湯という趣だ。昼間にみるとその外観はとても営業中の東京の銭湯とは思えない。唐破風屋根の寺社様式の銭湯が一世を風靡する以前の、昔ながらの銭湯建築だからなのだ。明らかに2階部分が造られていて、かつての湯屋の構造を彷彿とさせる。玄関周りに塗られた水色のペンキは昭和初期にでも改装されたものか、その素朴な感じが改装時の時代をも感じさせ、二つの古い時代が塗りこめられているように感じる。

電車を乗り継いで地下鉄日比谷線の広尾駅で下車。広尾商店街の中にある広尾湯、松の湯をみてから外苑西通りを南下。天現寺橋を越えて(北東に位置する天現寺は今回はパス)、宝来湯を見てから(ここまでの3つの銭湯はすべて渋谷区に入る)、少し戻って戦災を免れたと言う三光豊沢商店街に入った。
この商店街沿いには古い建物があるはあるは。古い商店舗を洒落た骨董屋に再利用した店もあれば、昔ながらの畳屋もある。そんな界隈の一角に三越湯はあった。
時間が早かったこともあるがこの日は定休日(金曜日)。それでも玄関上のステンドグラスを外から眺めることができた。千鳥をモチーフにした懸魚もすばらしく、機会を見て必ず入浴に訪れようと心に誓う。さらに三光豊沢商店街を進んで北里研究所付属病院を通り抜けたあたりを少し左に入ると、日の出湯がある。屋根の造りはあっさりしていたが清楚な感じの色使いだ。この日は時間をずらして夜にもう一度来訪。営業中の外観を写真に収めることができた。(残念ながらその後、日の出湯は廃業となってしまい、入浴するチャンスを逸してしまった!)
夜の三光豊沢商店街をさらに進んで、南北線白金高輪駅の手前を左折し、金春湯(こんぱるゆ)へ。小山湯といい、この金春湯といい、港区の銭湯は本当に年期ものだ。それほど見事な寺社様式というようなものではないのだが、とにかく柱や梁の一本一本の木が骨董品と言う感じだ。(残念ながらその後、金春湯も廃業。しかし、最終日前日に憧れの黒湯にかろうじて浸かることができた!)
さらにこの日は古川に架かる四の橋そばの玉菊湯に立ち寄ってから帰路についた。
港区の銭湯でまだ訪れていないのは表参道の清水湯だ。この日は昼の時間を利用して表参道界隈を探索した。青山通りの一本南側の通り沿いはお洒落なレストランやブティックの集まったエリアだ。この2本の通りに挟めれたマンション街の一角に清水湯はあった。表参道と明治通り交差点そばの第二桜湯同様貴重な都心部の銭湯だ。
この日は南青山4丁目の「楡家の人々」の舞台となった病院跡に残る楡の木を見て、青山霊園南縁から根津美術館裏の長谷寺の別院を訪れた。墓地南縁の筋道角に庚申塚が建っていて、右あおやま、左ぜんこうじとある。その前の民家は欄干のある古い建物だったが、人が住んでいる気配はなかった。
ここが港区西麻布とは思えない異空間だ。若いお坊さんたちの修行の場面に出くわした。指導僧の掛け声を合図に、修行僧たちは蜘蛛の巣を散らすように各所に散って、本堂やら釣鐘堂の清掃を開始した。走って移動するきびきびした行動を垣間見て、思わず目を丸くした。寸暇を惜しんで散歩をすることを始めなかったら、おそらく一生涯このような光景を東京のど真ん中で目にすることはなかったのではないかと思うと、何とも言いようのない気持ちに晒された。