ターニングポイント
 
 山に登るようになったきっかけ・・・
 
 私の場合,この山に登ったから,山登りにはまったというわけではない。
 ただ,今考えてみると,数年の歳月の間にいくつかのターニングポイントがあったような気がする。
 
 2001年の初夏。長崎県雲仙にある「田代原キャンプ場」に家族で弁当を持って訪れた。そのときキャンプ場の背後ある吾妻岳を眺めたとき,何かがはじけたような気がした。透き通る青い空,吾妻岳の上を流れる白い雲,体にそよぐ初夏の風・・・ 「そうだ。これが俺にとって大切なものだ」 と何十年ぶりだろう。自分に還ったような気がした。それは,このようなものとことばであらわせるようなものではないが,「この感触,この感性,この心の震え。これを俺はずっと忘れていた。」そう感じた。
 
 はっきりと「こういうことをすればよい」とそのときわかったわけではなく,ただ自然の中で過ごせる時間が欲しいと思った。それから,家族でキャンプを始めた。自然の中で過ごすひとときは雑多な毎日の雑念を忘れさせてくれた。キャンプの夜に味わう自然の闇の静けさは,私をどこまでも癒してくれた。自然の中で過ごすことの気持ちよさ。しかし,キャンプは,あくまでも人によって作られた自然の中での過ごし方に過ぎないという思いも抱きはじめていた。
 
 その後,長崎街道を歩く機会があった。特に行きたいわけでもなく,仕事の関係で出なくてはならない義務のような気持ちから出かけた。そのとき歩いたのは,諫早市から大村市に向かう山道だった。歩きながら,木の葉を踏みしめる感覚,木漏れ日の中の木々の美しさ,山道独特の香り・・・そう,あの吾妻岳で味わった感覚がよみがえってきた。田代原で感じたあのときと同じ心の震え。
 
 「山を歩いてみたい・・・」
 
 あの日のつかみどころのなかった想いは形になった。家族で低山に登った。山道を歩くことが気持ちよかった。頂上を目ざして歩いているのだが,山道を歩くこと自体がとても癒される時間だった。
 
 そして,単独で登ることにする。初めは正直不安だった。行くと決めた前日の夜はなんども目が覚めた。思えば結婚して以来,休日は家族と過ごす時間となっていた。一人でどこかに行きたいと思ったことはなかった。しかし,「一人で山に行きたい」と8年ぶりに思った。
 
 そして,3回目の単独登山。田代原から九千部岳を目指した。あの日見た吾妻岳を眺めながら・・・
 
 あの日と同じ陽の輝きに包まれ,田代原の美しさに酔いしれた。初めて田代原を訪れて2年の歳月が過ぎていた。あの日自然がくれたメッセージは,こうして,私にひとつの実現方法を教えてくれた。
 
 田代原の存在を教えてくれた先輩,長崎街道を歩くことを誘ってくれた方々,山登りに理解を示してくれた妻,一緒に歩いてくれる子ども達・・・いろいろな偶然のような必然の中,今の私がある気がする。
 
 
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