ああ,膝が・・・
 
 2003年最後の山行・・・膝があ・・・
 
 2003年を締めくくる山登りに,経ヶ岳,多良岳を選んだ。
 雪道を,今年のさまざまな思いにふけりながら歩いた。つい調子にのって,ペースも上がった。経ヶ岳山頂を経て,多良岳の多良権現へ。この日の金泉寺が丁度0度。多良権現は風も強く,マイナス2〜3度というところか。

 ゆっくり思いにふけりたくもあり,フリースを着込み,お湯を沸かし,カップヌードルとコーヒーで体を温めた。20〜30分休憩し,さあここまで来たなら,座禅岩へと歩き出す。多良権現から座禅岩への急な下りを降り始めると・・・・

「いてぇ!左ひざが痛い!」

 今までなんともなかったのに,下りで左膝に電気が走る。
 この痛みは覚えがある。11月に星生〜久住〜稲星〜坊がつる〜三俣山を10時間歩いたときに来た痛みだ。しかし,今日のそれはそのときを上回っていた。
「ううっ。」うずくまる。風は強く,冷たく頬を刺す。

 前回は登りを歩いていくうちに痛みは和らいでいった。今回もそのうち直るだろうととりあえず,座禅岩へと向かう。しかし,痛い。具体的にいうと,右足をおろすために,左足で踏ん張る瞬間に電気が走る。ずっと曲げたり,伸ばしきった状態では,なんともないのに。

 とりあえず座禅岩までたどり着く。しかし,多良権現に戻る道も,痛みは変わらない。痛みが走るたびに,深呼吸をし,息を整え,次の一歩を踏み出す。この痛みがひどくなったら・・・歩けなくなったら・・・ 頭の中に生まれて初めて「遭難」の文字が現実味を帯びて浮かんだ。今日の座禅岩へは誰もきていない。そりゃそうだ。この雪の中,雪で凍った道は危険このうえない。

 携帯をとり,自宅の妻に電話する。
「今,多良岳。今から下りるけど,帰りは5時過ぎるかもしれない。」
できるだけ動揺を悟られないよう平静を装う。

 痛みを押して,どうにか多良権現までたどり着いた。金泉寺までいけば,遭難することはないだろう。急な滑りやすい道をはいずるように下っていく。

 金泉寺についた。平地を歩く分には痛みはほとんどない。
「金泉寺から西野越まで10分間のゆるやかな道で体をあたためれば,痛みも和らぐだろう。」
そう自分に言い聞かせ,西野越を目指した。体をあたため,痛みが和らぐことを願いながら。

 西野越から八丁谷までは通常で40分ほどで着く。この日は雪で道も凍っており,時間がかかることを覚悟する。一歩一歩ゆっくり踏み出すが,痛みは変わらない。下る角度,足の力の入れ方では電流が走る。

 はってでも,車までたどりつかなければ・・・
 
 息をとめ足を降ろし,深呼吸を繰り返し,一歩一歩慎重に下ること1時間半。やっと八丁谷の林道までたどり着いた。

 これほどの痛みは初めてだった。
 いろんな原因を考える。

 筋肉の鍛え方が足りないのか?
 11月からよく登っており,そうともいえない。
 荷物が重いのか?家族山行のため,35リットルのザックを買い8kgくらいの荷物を背負うようになった。そのため膝が悲鳴を上げているのか。膝への負担をなくすには,増えた荷物分5kgほど体重を減らすしかない。
 
 膝がやられてしまえば致命傷だ。こんなに好きな山登りができなくなるかもしれない。登れても縦走は無理になるかもしれない。

 膝に全ての神経を集中して下りたので,防寒や足の指には配慮をする余地がなかった。林道から車に向かう道で,この登山靴ではじめて豆ができそうな右の小指に気づいた。しかも,少し風邪具合だったのが,ひきこんだ状態になっている。

 やっとのことで車にたどり着き,家に向かう。遭難の文字がちらついていたために,家族と会えることがとても幸せに感じた。

 自分の体の状態を考えずに無理をしていないか。中高年の登山者と言われたくないような複雑な思いからのふんばり。体へのケア。反省することも多く,来年に向けてとても不安な夜を迎えた。布団に入り寝返りを打とうとすると,角度によって左膝に電気が走る。これは?いったい。俺はどうなってしまうのか・・・

 翌日インターネットで膝のことをいろいろ調べてみる。
 たどり着いた答えは,「腸脛靱帯炎」

 膝自体ではなく,膝のまわりの靱帯を痛めているようだ。骨とスジが繰り返し摩擦を起こすために腱が炎症を起こすものだ。しばらく安静と書いてある。

 とりあえず,膝自体ではないようだ。
 
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 翌々日,思い切って病院に行くことにした。自宅近くに,漢方と鍼もやり,高校の陸上の選手などが通っている病院がある。

 おそるおそる,医師に病状を説明する。
 医師の顔は,真剣に話を聞いている。
 「このまま山に登ると歩けなくなりますよ。」
 そんなことばを発しそうな,顔つきだった。

 「じゃあ,とりあえず,ベッドに横になってください。」
 医師は足のツボをいろいろ押さえ,反応を見る。
 そして,一言。
 「こりゃ,足がつってますな」
 「へっ?」
 「よく。つるでしょ足が。」
 「いやあ,年に数回ですかねえ・・・」
 「それだけ,つれば十分」

 医師はつぎつぎに話し出す。
 「あなたは,これ,つりやすい体質ですよ。漢方では○○といいます。」
 「へぇ?」
 「こういう体質のひとは,足もけっこうかさかさしてる。どらどら,ほらね。ちょっと腹もさわっていいですか?」
 なんで腹?と思いつつ,腹のツボをあちこち押す。
 「あいたたたた」
 「ふむふむ」
 医師は,痛むツボを看護婦に教え,カルテに記録する。
 「うーん。こりゃ,いろいろ体質を変えんといかんですな。足がつるのには,冷えがよくないですよ。」
 そういえば,久住も多良岳も長い休憩をとって体が冷えた後,足が痛くなった。
 「足がつりにくくなるような漢方もありますから,今度差し上げますね。私もゴルフに行く前には,これをぐぐっと飲むんですわ。わっはっはっ。」
 なんか,病院にいったのが恥ずかしくなってきた。結局,筋肉の張りがひどかっただけのようだ。そのために神経にさわり,電気がきていたのだろう。
 
  ついでに医師に聞いた。
 「あのう,実は左肩も抜けるような感じがあって。」
 「どれどれ」
 医師は左肩のツボをいろいろと押して一言。
 「こりゃあ,いわゆる四十肩ですよ。」
 「へぇ・・・」

 「中高年の登山者」嫌いなことばだ。
 

 しかし,自分はしっかりその範疇にいることを自覚しなければならない。
 意地も大切だが,長く山は楽しみたいもの。
 
 登山靴を買ったとき店員に言われたことば。
 「おおっ,いい足の形をしてますね。山向きですよ。うらやましい。」
 そのことばと店員の笑顔の余韻はくずれさった。

 「つりやすい足」に「四十肩」

 まあ,いいや。自分は自分。山登りを自分に合ったペースで楽しもう。
 
 家に帰り妻に病院での一部始終を話すと,笑われた。
 「まあ,エスカレートして死なないように神様がちょっと気をつけろって教えてくれたんじゃない。」

 妻の言葉が妙にしみる登山歴1年目の暮れだった。

 
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