三俣山 あきらめて スガモリ越まで
1人で登る
2009.12.31 |
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スガモリ越までの道は厳しい吹雪。雪の山のすごさを感じてきた。
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場所 |
大分県玖珠郡九重町 |
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標高 |
スガモリ越1500m
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歩く標高差 |
.累積500m |
歩行距離 |
約7Km |
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所要時間 |
大人
約3時間30分 |
長者原〜1時間45分〜スガモリ越〜1時間30分〜長者原 |
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データ |
多良山系、英彦山と登ってきた今回の年末山行。いよいよ九重である。
英彦山に登った後、急いで車を走らせる。天気はというと強い雨。この分で降られれば九重方面は雪になっているだろう。雪がそう深くならないうちにテントを張りたいと考えていたので、先を急ぐ。日田から玖珠そして九酔峡を過ぎるが、まだ雪はさほどではない。しかし、長者原近くになると雪が舞い踊っている。路面もてかてかとし、凍りつき始めていた。
急いでキャンプ地に向かい、テントを設営する。風が強く、異様に冷たい。外で食事を作るのがおっくうになる。いつもより防寒をしっかりして、夕食の準備にとりかかる。今日もYちゃんにもらったレトルトカレーである。これはほかほかのごはんとあったかいルーが絶妙で生き返る心地がした。しかし、食べ終わってみると、冷たい風が容赦なく体を冷やしてきた。体を温めたかったので、コスモス荘に行き、温泉につかり、その後テントの中でシュラフにくるまった。明日の天気予報は終日雪である。しかも大雪の予報。しかし、あさっては晴れの予報。明日は荒れた天気のためテントで停滞することになるかもしれないが、あさっては晴れれば美しい雪山に出会えるはずだ。そんな期待を抱きながら眠りに着く。
持ってきたシュラフは昨年−8度のテント内でも暖かかったものである。しかし、今回は風が強く、容赦なくテントを揺らし、テント内の気温もどんどん下げてくる。温度計から計測できるテント内の温度は今回も−8度だったが、その体感の寒さは比ではなかった。夜中ずっと、テントは風に揺られ、雪がテントに当たる音がする。木々を風がぬう音はごうごうと地を揺らすようである。風の音で何度も目が覚め、何度も時間を確かめる夜となった。
朝目覚めて外を見ると、うっすらと雪が積もっている。風が強いので積もってはいないが、その様がかえって寒々しさを増幅させる。今日は停滞かなあ。携帯電話で天気予報を確認する。えっ、明日も雪?明日が晴れるから今日の停滞の意味がある。明日も登れぬようだと、ここにいる意味はない。雪が積もったら、前輪駆動の軽自動車はチェーンがあってもスタックしかねない。2日も降り続くと、九重から脱出できなくなるかも・・・ 冷えた体は、考えを悲観的な方に引っ張っていく。
とりあえず朝食を食べようと思うが、シュラフから出るのが寒くて、そのままパンをかじる。凍えてはいないのだが、体が冷えていて、どうにもこうにも気力が出てこない。結局考えあぐねたのち、撤収することにした。この嵐の中では山に行くべきではないと判断した。急いでテントを撤収し、車に積め、チェーンを巻いて出発する。路面はもうしっかり凍りついていた。いや待て、せめて長者原の駐車場に行ってみよう。その様を眺めてから帰路に着こう。
そう思って、長者原に車を走らせ、駐車する。まさに嵐。宮沢賢治「水仙月の四日」の世界である。雪の精たちが、駆け回って、風を吹かせて、鞭を振って雪を吹き付けているような景色である。しかし、しかしである。車の中でじっとしていると車内の暖房のおかげで、今まで冷えきっていた体が温まってきた。体が温まってくると、何と悲観的な考えに支配されていた自分が不思議になってくる。朝食はおっくうでも温かいものを作って体を温めなければ精神に影響することがわかった。一杯のコーヒーが体を救うのである。さて、せっかく来た九重。三俣山なら、そう道に迷うことなく歩けそうな気がする。急いで雪山、吹雪に対応できるような防寒を施した身支度をし、登山靴にアイゼンを装着する。いざ、出発である。ただし無理はしないこと。無理だと思った時点で引き返すことは心に何度も誓った。
長者原を出発し、しばらくは舗装路を歩く。雪が積もり、その下は氷が張っていて、アイゼンがしっかり噛んで、地をとらえてくれる。時折風が強く、雪が舞い、顔を叩くが、雪の上を歩く心地よさが勝っている。途中、下山してきた登山者とすれ違う。みんな顔をしっかりガードして目だけが出ている状態である。この先の風の強さが想像できる。舗装路から、鉱山道路に向かう登山道に入る。雪がしっかり積もり、前の人の歩いた跡は消えかけている。ロープや地形をよく確かめながら歩を進める。雪は少しずつ深くなる。三俣山方面はガスがかかってよく見えない。スガモリ越に向かう岩の道あたりは、強い風が吹き、雪が舞っている様子がうかがえる。
登山道から一端鉱山道路に出る。途端風が強くなった。ニットの帽子をかぶっていたが、頬が痛くなり、目出し帽をつけた。
吹雪は一層強くなる。時々吹きだまった雪に足を埋めながら進む。風の強さにまっすぐ前を向けない。進行方向の地面を見て、時折顔を上げて慎重に進む。
「あれっ、スガモリ越に行くとき、こんな道・・・通ったっけ?」
いつもと違う景色と、やまずにたたき付ける風の中で判断力は低下している。スガモリ越への分岐を通り過ぎていた。しばらく引き返すと、スガモリ越に曲がる場所に出た。そんなところを間違う自分が不思議だった。
ここからスガモリ越まではガスと吹雪の中で、見通しがきかない。地形図にコンパスをセットし、方向だけは間違わないよう準備をする。突風から身を守るようにして前進する。ここで思いがけない事態が発生した。何かというと眼鏡が曇るのである。目出し帽をしているために、息が鼻の上に出て、それが眼鏡を曇らせるのである。しかも、曇った水滴はたちまちに凍ってしまい、視界が確保できなくなってきた。こうなると必死である。とにかくスガモリ越までたどり着こう。この時点で三俣山は断念した。視界がきかぬ中、黄色いペンキと標柱を確かめながら、スガモリ越を必死でめざす。晴れた日にはこのペンキは景観をそこねるなどど思ってしまうのであるが、時折ホワイトアウト状態になる今日は、この黄色いペンキと標柱は命の綱である。岩を掴み、飛ばされないように、這うようにしながら進むうち、スガモリ越の小屋跡にやっとたどり着いた。
小屋跡とはいえ、ふきっさらしの場所である。ベンチに置いたザックには見る見るうちに雪が積もっていく。気持ちを落ち着けるために、パンを口に入れ、飲み物を流し込む。よく見ると、ベンチの高さまで雪が吹きだまっている。温度計を見るとマイナス13度。この温度ではデジカメはバッテリーから電力を供給できなくなり使い物にならなくなった。幸い携帯電話のカメラは動作するので、携帯電話を使い写真を撮る。しかし、手袋をはめたままでは操作できないので、手袋のアウターを外し、インナーをつけた状態で操作する。それでも手が凍えそうだ。すぐにアウターを着けても手はなかなかもとの感覚を取り戻せない。この状態が長く続くと凍傷になるのだろうと感じた。手の感覚がなくなっていくのはぞっとする気持ちであった。
ここに長居はまずいと感じ、今日はここまでで下山を開始する。スガモリ越からの下りは今度、吹雪をまともに正面から受ける状態となってしまった。目出し帽をしていても頬が痛いように冷たい。眼鏡はあっという間に曇る。着地する足もおぼろげである。吹雪に負けるものかという気力を振り絞って、鉱山道路を目指した。ルートを少しそれるとたまった雪にずぼっと足をとられる。ここでも黄色いペンキと標柱を慎重に見つけながら歩を進めた。やっとのことで鉱山道路にたどり着いた。まだまだ風は強いものの、ルートを見失うことはない安心感が身をつつみ、正直ほっとした。戻るためにたどる道は、あっという間に来るときよりも雪を確実に深くしていた。
林道に出ると、山陰になるのか風がすこし弱くなる。冬の九重連山のすごさを思い知った山歩きとなった。ただどのような装備が本当に必要なのかが体感してみてわかる気がした。決して無茶をしたわけではなく、自分の力の範囲でいい経験ができたかなと感じた。
長者原に着き、身支度をして車を出す。道は吹雪いており、おまけにフロントガラスは凍りついて、前方の視界がうまく確保できない。山を歩くよりも、この運転が恐怖だった。どんどん雪が降り、積もってしまうと身動きがとれなくなってしまいそうで気は焦る。慎重に走っているつもりだったが、九酔峡のつづら折りのカープで完全に滑ってしまい大きくテールが降られた。スピードが出ていなかったので事なきを得たが、その後、後続の車はかなり車間距離を空けて走っていた。後ろの車びっくりしただろうなあ。
初めての雪山の久住山系、多くの学びを私に与えてくれた山行となった。
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朝、目が覚めると雪が積もっていた。
積もるというより、風に吹かれてそこに留まっているという感じだ。
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長者原駐車場に着く。強烈な吹雪である。
しかし、車の暖房で体が温まってくると、雪山を試してみたい気持ちが高まってきた。
寒さに耐える装備はある。狭い車内で急いで荷造りをする。
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長者原駐車場から林道に入る。
林道には雪が積もり、足跡が延々と残っていく。
時折の強い風に身構える。
舗装路から登山道へ。
このあたりから、デジカメが寒さで使用不可能となる。
ここからは携帯電話でとった画像である。
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鉱山道路に出た。風が強い。前方は強い吹雪のようだ。
道は雪が吹きだまって、30cmくらいのところもあった。
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スガモリ越に続く、岩が転がる道。
ペンキの跡を目で追うが、眼鏡が曇って視界が全く不良である。
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やっとのことでスガモリ小屋に着いた。
ただしふきっさらしの小屋なので、中には雪がたまっている。
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中はベンチの高さまで雪が積もっている。外はずっと吹雪いていた。
ベンチに置いたザックにもあっという間に雪が積もる。
三俣山は断念しよう。登れたとしても何も見えはしない。
そして、このスガモリ小屋から10分降りた場所は、
昭和37年の元日、こんな雪の日に7人の方が遭難死した場所でもある。
今日はマイナス13度の吹雪。
無理はしまい。
とにかくあの吹雪の中をまた引き返さなければならない。
飲み物とパンをかじり、気持ちを落ち着ける。
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帰りは吹雪を正面に受けながら、下ることとなった。
山は怒りに荒れ狂ったようだ。
目だし帽はかぶっているのだが、それでも頬が寒くて痛い。
風が針となって突き刺すようである。
眼鏡は曇るのだが、それを息で溶かし、拭く余裕がない。
このような異常な状況下では、判断力が鈍っている。
あとで考えると思慮が足りなかったと反省するようなことをしている。
この判断力が奪われるところが、
冬山の一番怖いところであると思った。
だから単独は危険なのだなあと気づいた。
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鉱山道路を過ぎ、谷間に入ると風がしのげるようになってきた。
やっと我に返る。
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帰りの道は吹雪で視界不良。
慎重に運転をしながら、九重を後にした。
雪山を学ぶよい機会となった。
想像以上の手強さと、自分自身の手応えを感じた、まったく心地よい敗退の記である。
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