モンゴル国視察旅行と外務大臣公式訪日



日  時  平成28年5月2日(月)〜6日(金)
主  催  モンゴル商工会議所・日本  


       


  【 モンゴル帝国の歴史 】
 モンゴル帝国は、チンギス・カンが1206年に創設した遊牧民の国家です。初代皇帝となったチンギス・カンが中 央アジアに遠征軍を出して、サマルカンド、アフガニスタン方面まで征服しました。
 チンギス・カンの死後三兄のオゴデイが皇帝となり、モンゴル高原の中央部に首都カラコルムを建設しました。モン ゴル皇帝となったオゴデイは遊牧民に家畜100に対して1の、農耕民には収穫100に対して1の税を課しました。
 オゴデイの死後は皇帝位をめぐる抗争が続きましたが、第5代皇帝クビライは東アジアの大元ウルス、中央アジアの チャガタイ・ウルス、キプチャク草原のジョケ・ウルス、西アジアのフレグ・ウルスの四大政権を統べる盟主となり、 連合国家を再編し、モンゴルに征服されなかった日本、インド、エジプトまでを交易のネットワークに取り込み隆盛の 時代を築きました。
 1917年にロシア革命が勃発し、その3年後に民族主義者によってモンゴル人民党が結成されました。その後幾多 の政変があって、1924年にモンゴル人民共和国が成立しました。
 近代のモンゴルは、日本軍・満州国軍とモンゴル人民軍・ソ連赤軍が衝突したノモンハン事件と、1945年のソ連 対日戦争に巻き込まれましたが、モンゴル人民共和国は1992年に一党独裁を放棄してモンゴル国に改称し、新憲法 を制定して社会主義を放棄しました。市場経済化が急速であったので、富の公平な配分できず貧富の差が拡大していま す。

  
 チンギスハン 空港                    チンギスハン・ホテル                  ホテル 玄関で


  【 モンゴル国の現況 】
 モンゴル国は、北をロシア連邦と、東と南は中華人民共和国と接し、西方にはカザフスタンがある内陸国です。モン ゴル国には、日本の県にあたるアイマクが21あります。モンゴル国の首都ウランバートル市はトゥブ県にあり9市で 構成されています。県には郡にあたるソムが347あります。ウランバートル市の標高は1300mです。
 モンゴル国は、モンゴル人民革命党の一党独裁体制であったのですが、1990年に社会主義を放棄し、民主化され ました。
 モンゴル国の面積は1.566.500ku、日本の377.972kuの4倍強あります。1920年頃には50万人程しかいなか った人口は、現在では2.868.000人で日本の127.083.000人の44分の1です。モンゴル国に人は1kuに2人しかいな いのですが、日本には1kuに336人居ることになります。モンゴル在住の外国人は5%くらいで、日本人は500 人位です。ウランバートル市内にはJaicaの5人をはじめ、大手商社・銀行の駐在員、レストランの板前などが住んでい ます。
 首都ウランバートルの人口は1.314.500人で、国民の約半分がウランバートル市に集まっており、その93%1.221. 000人が市域に住んでいます。市内には大型火力発電所(燃料は質の悪い石炭)が4か所あり、暖房のための蒸気配管が 整備されていますが、集中した家屋や貧民街から出る暖房のためのばい煙で、盆地であるウランバートル市は大気汚染 がひどく、富裕層の高級住居地は市街地からは川を挟んで風上になる、ばい煙の来ない北側に集中しています。
 気候は典型的な大陸性で、年平均気温が0度くらい、1月の平均気温は−21.7℃、5月の平日でも0℃〜20℃ に急変し、5月の最低気温は−15℃・最高気温は35℃になります。
 主産業は鉱物、食肉加工、製粉、製乳で、一人当たりGDPは9.293ドル、昨年の経済成長率は8%、預金金利は年15 〜17%です。
 通貨はトゥグルグで1円は約16トゥグルグです。
 国民の大半はハルハ族です。他の諸民族は少数民族でオトライト族が15万人、カザフ民族10万人、トゥバ民族3 00人、エヴエンキ民族1000人位です。
 主な宗教はチベット仏教で、言語はモンゴル語(ハルハ族の方言)を国民の95%が話し、憲法は公用語と公文書を モンゴル語と定めています。
 伝統的な住居はゲルで、主に遊牧民が使った移動式住居です。日本では中国語の呼び名のパオと呼ぶことが良くあり ます。

   
ウランバートル市内の風景  車社会で大渋滞です。
    


   【 5月2日 】

 成田国際空港  FLIGHT OM0502    14:40発 
 ULAANBAATAR CHINGGIS KHAAN AIRPORT  20:15着 
 日本との時差は本当は1時間あるのですが、現在モンゴルはサマータイム実施中で日本との時差がありません。しか し、日暮れは遅く日没は9時10分ころです。快晴の今日の気温は9度でした。現在の空港(滑走路1,300m)はウラン バートル市内までは約30kmの位置にあり、国内線専用となります。国際線として建設中の空港は市内から60kmの ところに造くられており来年完成します。空港から市内に通じる道路は3車線で道路沿いには新興住宅地が続きます。
 ウランバートル市内は電気・ガス・水道が整備され、スチーム用の蒸気を火力発電所で造り市内全域に配管して家庭 に届けています。家庭での調理器具は電気で、電磁調理器を使います。
 モンゴルには魚の文化は無く、ヒツジの丸焼きなどオーガニック(肉)が多いのですが、火を通さないで食べること はありません。朝は肉以外の野菜など一般食を食べます。
 市内には電車も地下鉄もなく、市民の足はバスとトロリーバスだけです。したがって、マイカーの普及率が高く、市 内の渋滞はひどいものです。道路は右側通行で日本車が一番多く、韓国車、中国車、欧州車の順です。日本のトヨタ・ プリウスの中古車が人気で、右ハンドル車にブランド感を持っています。スタットレス車が多いようです。市内の大通 りに70年前に石で造られた大きい橋があり、下をシベリア鉄道が通っています。
 旧ソ連時代には、ヨーロッパ文化(東ドイツ)との繋がりが強かったのですが、現在は中国北京、韓国ソウル、ロシ アとの繋がりが強いようです。冬の農作物は中国から入るものが多いのですが、農薬問題などからサラダなどは高くて も日本産を好んでいます。根菜類は夏に収穫したものを冬まで貯蔵して食べています。市内には韓国企業が造ったスキ ー場が1か所あります。
 以前は東ドイツかロシアに留学することが多かったのですが、最近は日本への留学生が多いそうです。
CHINGGIS KHAAN(チンギス・ハーン ホテル)に着いたのは10時すぎでした。午後10時に閉店していた5階のレス トランに全員が集まり食事を依頼しました。食事が終わって解散したのは11時半でした。荷物を片付けてベットに入 ったのは12時ころでした。
 
   
チンギス・ハーン ホテルの夕食

   【 5月3日 】

  〔スフバートル広場・国会議事堂訪問・議員面談〕 
 朝、9時に出発して10分ほどでスフバートル広場に着きました。広場には建国の英雄スフバートルが馬に乗った像 があり、その先に政府宮殿(国会議事堂)がありました。宮殿の正面には大きなチンギス・ハーンの座像があります。 DEMBEREL Sambuu議員の案内で宮殿の中を視察させて戴き、会議室で面談をして戴きました。
 デンべレル議員は、モンゴル商工会議所・日本の元会頭で、26年前に就任されて以降、ほぼ毎年日本には来ている 日本通の議員さんでした。大統領の経済顧問として、日本とモンゴルの両国の経済関係・文化関係の発展のために尽く されています。国会議員としては4年目で、「モンゴルも日本と同じく中小企業が経済を引っ張っているので、民間企 業が経済活動をしやすいように、法律作りに努力している」と話されました。モンゴルには民間企業が12万社あり、 90%は従業員が10名未満だそうです。モンゴルには女性の社長が多く、10社中8人は女性社長だそうです。
 日本はデフレーションですが、モンゴルはインフレで物が買えなくなっています。
 「日本経済は技術に基づいた経済国であるが、モンゴルの産業は発展していなくて、酪農・食肉・カシミア。ウール などが主な産業です。経済は、資源輸出が80%を占めて石炭、金銀銅、レアメタルなどに支えられており、これから は貿易などの商業活動が大切であると考えている」と話されました。
 「商工会議所は、モンゴルに関心のある企業のサポートを行います。最近は日本商品が沢山入っており、いいことだ と思います。近くノ―タックスで輸入できることになります。モンゴルのものを日本で売りたいという企業もあります が、付加価値を付けて売るために勉強が必要であると考えています」とも話されました。
 「モンゴル国の社会的構造は、中産階級の人が40%で貧しい社会の人が多いのですが、ウランバートルの70〜8 0%の人は中産階級です。市内には5〜7%の富裕層(能力のある人)の人たちが住んでおり、今年は銅山が動き出す ので経済指数はさらに上昇します。モンゴルと日本のビジネスはこれから伸びますが、パートナーとか相手を間違えな いでください」ということでした。最後に「短い滞在でしょうがモンゴルを楽しんで行ってください」と言われまし た。

   
   建国の英雄スフバートル像         政府宮殿(国会議事堂)前で
 
スフバートル広場  政府宮殿(国会議事堂)前で記念撮影                  議事堂内の会議室で          
  
                        議事堂内の会議室でデンべレル議員との面談


  〔SUKHBAATAR綜合病院訪問・院長面談・医療連携調印式〕
 続いて、12時にSUKHBAATAR綜合病院を訪問、同行の新谷歯科医師が口腔ケアの大切さを解説し、「口腔ケアを怠る と歯周菌が血液の中に入って血栓になり、脳梗塞・脳溢血を引き起こす原因になるので、歯磨きを怠らないように」 等、記念講演を行い、医療連携をし協力関係を築くことで調印式を行いました。TV局も5局が取材に訪れ国内で放映さ れました。
 この病院は、1970年に小児科として開業された病院で、元々は国立病院であったのですが、現在は院長が総合民 間病院として経営中です。医師41名、看護師77名、ベット305床の市内で一番有名な病院です。女性院長として 21年目のCHIMGEE Mishigdorj院長は「モンゴルでは人口の70%がパオに住んでおります。パオはトイレ(下水)が なく、質の悪い石炭を燃やすので大気汚染がひどく子供の肺病が多いので、病院の質を上げて行きたいと」話されまし た。
13時15分 病院発。

   
記念講演と連携調印を見守る病院関係者


  〔セントラルタウン内のレストランで昼食〕   
 チベット仏教の寺「ガンダン寺」がありました。チベット仏教は鐘を撞くのではなく、石を積み重ねて佛典がかかれ た円柱を回しながらお祈りします。

     
                                                          

  〔モンゴル国商工会議所訪問・会頭面談〕
 15時、モンゴル国商工会議所を訪問。ここから商工会議所の顧問でもあるJaicaの松本氏も加わりました。
 会頭のMagvan OYUNCHIMEG 氏は次のように挨拶をされました。
 「日本のモンゴル国商工会議所経由で、当商工会議所に来ていただき有難うございます。モンゴル国商工会議所は5 5年の歴史がある組織です。会員は3,000人、国内すべての21県に支部があります。海外には120か国に支部 があります。日本の支部は大きな活動が認められています。商工会議所の仕事は、政府の方針に沿った戦略的なビジネ スサポートを行っています。
 会員は4種類に分けられており、加入は自由です。すべての輸出品の原産地証明は当商工会議所が出しています。日 本とは5月6日FTAの調印を行い、6月初旬から発効しますが、FTA協定では6,000の商品が免税または低税で輸出 できるようになります。日本はオーガニックを大切にする国であるので、モンゴル国としてもこれらの商品を増やし、 当商工会議所はそれをサポートしていきます。この国の経済の主力商品は銅・石炭等の鉱物資源とカシミヤですが、こ れからはカシミヤを日本の技術を受けて高品質のものとし、日本の市場にあったデザインのものを作っていきたいと思 っています。
 2015年の輸入は中国からが1位で37%、2位が韓国、3位日本です。この国の輸入品の67%は自動車です。 モンゴル国の投資環境は整っていますがノウハウが足りないと思います。輸出品の90%は原料のままの輸出になって いるので今後は付加価値を付けたいと思っています。
 これから力を入れるものは、(スライド写真)毛皮・オーガニック農業・食品(和食)です。外国人のモンゴルへの 投資は、国が許可を出すのにととのった環境にあります。中小企業の設備減税など税法も改善中です。昨年10月から Jaicaが日本とモンゴルの企業のマッチングに動いているのですがまだ成果がありません。友達同士のビジネスには問題 の発生が多いので、モンゴルとのビジネスに関しては商工会議所・日本と相談してください。短い滞在ですが、沢山の 収穫を得てお帰りください。」
 訪問者を代表して、新谷 悟氏(医師)、森下 優氏(レストラン経営)、鈴木潤一氏(日本酒製造)が業務説明を 行いました。16時30分終了。
 ※(注)FTP〔自由貿易協定) EPA(経済連携協定)  日・モ両国は昨年2月EPA協定に署名し、2016年5月8日にウ ランバートルで協定の効力発生のための
   公文書の交換を行い、これにより協定は1ヶ月後から効力を生じています。

  
商工会議所 会頭挨拶              モンゴル経済の活動報告                   記念撮影


   〔モンゴル家庭訪問・羊の石焼料理〕
 普段着に着替えて20時にホテルを出発、母子家庭の母親たちが安定した生活ができるように、支援活動をされてい る富豪の新築別荘に、夕食を戴きに出かけました。ご主人は元駐日大使で、現在は鉱物資源省の大臣です。奥様はノン バンクの社長さんで、渋谷に11年間在住経験のある親日家です。モンゴルでは新しい家を建てた時には、大勢の人を 呼ぶと良いことがあると言われているそうです。ウランバートルホテルの料理人が作る最高のモンゴル料理を戴きまし た。
 ヒツジの石焼料理(ホルホグ)は、肉が新しいので臭みはまったく無く、ヒツジ料理は苦手だと言っていた方も「臭 みがない、おいしい」を連発、絶賛の美味しさで、内臓も全部食べました。何度も「トグトーヨー(乾杯)」を叫び、 ダンスに興じて、外で写真を撮った時は9時半でしたが、まだ空は夕暮れ時の明るさでした。皆が輪になって寝そべり UFOを迎える祈りの儀式を行いました。12時までお邪魔してホテルに帰ったのは12時45分でした。

  
新築別荘での夕食会  外の写真の撮影時間は午後9時半です。
   

   


   【 5月4日 】

  〔建設中のニューエアーポート見学〕
 6時半からホテルで朝食をとり、7時半に出発、市内はラッシュアワーで車の大渋滞でしたが、滞在中市内では自転 車もバイクも一台も見ることはありませんでした。
 新空港の建設は、ウランバートル市内から60kmの場所で、山までの幅5km、長さ20kmの広大な平原の中で 始まっており、途中からは空港に行く道路もなく、平原の中をバスは大きく揺れながら建設中の管制塔を目標に走り続 けました。途中で走行許可を得るために待機し、視察案内車の先導を受けて建設地に入りました。空港に関係ない民間 人の視察は初めてだと言われ、防護服・ヘルメット着用で、建設会社ERELT IMPEX GROUPのデ・エンプトル社長の案内 で視察しました。
 新空港建設は2013年8月から三菱商事がコーデネイトして、千代田共同体と韓国の建設会社が下請けして、日・ モ共同で作っている飛行場で、成田空港も出資してテナントを管理することになっています。現在運行中のチンギスハ ン空港は有視界飛行で離着陸していますが、新空港はILS(自動操縦離着陸)によるレーダー管理になりますので、長距離 飛行機が立ち寄る空港になります。来年春にはテスト運用を開始し、秋には運航開始となるそうです。
 飛行場は標高1000mのところに建設中で、滑走路は羽田と同じ3000m(成田は4,000m)のものを作り、風向 きによってどちらからでも離着陸できるものとなるそうです。乗降ブリッジは6本作られ、将来は16本になる設計に なっています。
10時45分出発。
 
  
荒涼たる原野広がる飛行場の建設地                    建築中の旅客ターミナル                      ほぼ完成している滑 走路
  
  〔日本語センター訪問〕
 元大相撲の蒙古波、白馬が引退後に日本語学校を開いており、日本語を学んでいる青年たちとの交流を図るためにセ ンターを訪問しました。生徒数は90名くらいで、20名ほどの生徒さんが集まっており挨拶をしました。生徒さんは 30歳前後の人も多いのですが、日本企業への就職を希望しており、受け入れを依願されました。  12時50分 発。

  


  〔モンゴル風しゃぶしゃぶ〕
 モンゴル風しゃぶしゃぶを食べました。食材は豊富で食べにくいものはありませんでした。 14時35分出発。

  


  〔遊牧民家族・乗馬〕
 遊牧民のゲルに着いたのは17時10分で、到着直前から雪がちらつき始めました。遊牧民家族のゲルを訪ね暖かい 乳茶を戴き、乗馬を楽しむことになっていましたが、天候が猛吹雪に代わりあっという間に一面が白くなりました。風 が強く気温は厳寒に急変し、体感温度はマイナスです。数人が乗馬をしましたが、多くの人は乗馬をあきらめました。

  
荒涼とした原野の続く先に遊牧民家族のゲルがあった
  


  〔テレルジツーリストキャンプ場〕
 キャンプ場には50人位入れる大型のゲルが1個あり、その北側に小型のゲルが15個位常設されていました。この ゲルの中は周りにベットが4台あり、真ん中にストーブがあるだけで、着替室・シャワー・トイレ・鍋釜等の生活用品 はありませんでした。トイレと洗面所は別の建物にありましたが、着替え等はバスに残したスーツケースに置いてきた ので、着衣のままで寝ました。
 ゲルの中はストーブを燃していて暖かいのですが、2時ころに薪がなくなり、防寒上着を着て布団を冠りましたが、 寒くて鼻水が流れ風邪気味になりました。朝5時ころに従業員が薪を持ってきてくれて一息つきました。宴会の後で屋 外で満天の星空を見て「願いを伝える」儀式をすることになっていたのですが、すべて中止されました。

  
ゲルに着いたときは雪が降り始めたばかりだったが、すぐに白くなった。
  
パーティーは深夜1時まで続いた。
  
一晩中強風が吹雪いた割には、朝の雪は少なかった。しかし、寒さは厳しかった。


   【 5月5日 】

  〔C・ザナバザル記念造形美術館〕
 ツーリストキャンプ場を、8時45分に出発し、ウランバートル市内の美術館に向かいました。当美術館は、古石器 時代の人類が残した壁画から青銅器時代の装飾品・武器など、民族の古代からの歴史品が展示されていました。海のな い国モンゴルの赤い神(ジャムサラン)には、大小5千個以上のサンゴが張り詰められています。
 昼食はロシア料理でした。

   


  〔モンゴル民族舞踊団鑑賞〕
 モンゴルの伝統芸能を観にいきました。咽喉に何種類もの楽器を持っているように、声を変化させてホーミ―(喉 歌)を聞かせてくれました。

   
             ホーミー (喉歌)                                            ツアムの踊り


  〔モンゴル家庭訪問〕
 警備員の立つ囲いの中に建っている、ウルジ会頭さんのお友達のお宅を訪問いたしました。

  

  

   個人の方が収集されている絵画を、近くの ART ギャラリーに見学に行きました。

   


   【 5月6日 】

 朝、6時半にホテルを出て、空港に向かいました。郊外の丘には家を建てられない人たちが、ゲルを建てて住んでい ますが、暖房のために薪を焚いているので煙が出ますし、下水がないので臭いもひどいのだそうです。

   

   
                                                    出発 の日の朝の日の出〔炎〕    
 今回の旅行は、主催してくださったモンゴル国商工会議所・日本のU・ウルジ会頭のご厚意で、国会議員や経済界の重 鎮と面談し、会頭の旧知の友人宅にお招きいただいての夕食会など、楽しく有意義な旅となりました。かなりハードな スケジュールであったと思いますが、毎夜のパーティーでウオッカを飲み、トグトーヨー!(乾杯!)の掛け声に疲れ る暇もありませんでした。優しく親切な国民性は日本人と似ている部分も多く、今後のビジネスや文化で交流を深めら れるものと思います。



モンゴル国 D.ツォグトバータ外務大臣の公式訪日


日 時  平成30年2月21日 (水)
場 所  霞が関ビル35階 東海大学校友会館

 2016年6月7日、日本とモンゴル国は経済連携協定(EPF)を締結しました。日・モ両国の経済交流促進のた めD,ツォグトバータル外務大臣および経済交流団が日本を公式訪問いたしました。今後ますます両国の経済関係、貿 易投資環境の拡大を期待し、歓迎レセプションが開催されました。

  
左、外務大臣  隣、大臣婦人                   花束贈呈                         交流団。関係者 
  
交流団。関係者                        外務大臣あいさつ                   駐日モンゴル国大使挨拶
  

  


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