戦艦ミズーリ展示艦


   戦艦ミズーリ号は、1944年に進水した戦艦で、全長270m、53.000トンの戦艦です。アメリカ合衆国2 4番目の州に因み、
   命名されました。第二次大戦の日本の降伏時に、この船の甲板で降伏文書に調印しました。
   湾岸戦争に従軍したのを最後に、ここ真珠湾で記念館として展示されています。
   すべての艦船は出撃態勢をとって沖合に向かって係留されているのですが、湾岸戦争への出撃を最後 に、
   二度と出撃しない船として、湾奥に向かって係留されています。戦争の始まりを表すアリゾナ号が湾の 沖合に
   向かって沈んでおり、戦争の終わりを表すようにミズーリ号が湾奥に向かって係留されているのです。
   日本の開国を迫った黒船の寄港地である浦賀沖とおなじく、日本の終戦調印もミズーリ号の甲板で浦賀 沖で行われたのです。

 
アリゾナ号に乗船するための通路                     ミズーリ号   

 
    ミズーリ号の砲は、50口径40.6cm砲9門、38口径12.7cm砲20門でしたが、後にトマホーク SLCM16発を装備するために、
    38口径の砲は
12門に減らされました。主砲は1分間に2発発射できて、その飛距離は37kmだったそうです。 右写真の白い
    袋は50kg火薬で台車の上に
乗せている砲弾を飛ばすのに、この50kg火薬を2袋、100kgの火薬が使われたそうです。

  
   浦賀沖で行われた日本の降伏調印式は、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、オランダ、中華民 国、カナダ、ソビエト、オーストラリア、   ニュージーランドが出席して、昭和20年9月2日、東京湾の浦賀沖で行われました。天皇・日本 政府代表は重光外務大臣、大本営陸海軍    代表は梅津大将、連合国側代表はダグラス・マッカーサーでした。彼が調印式に向かうために降り てきたタラップに私も立ってみました。
   甲板に残っているプレートは、調印式のテーブルがあった場所です。

 
           降伏を受け入れた文書

 
      第二次大戦中、日本兵の乗ったゼロ戦がミズーリ号に体当たりした。その際に機体の半分が甲板上 に残って炎上した。
      そこに焼死体があり、
ウィリアム・キャラハン艦長は、反対するものもあったが「敵兵でも死んだら敵ではない。国のた
      めに命をささげた勇士である。・・・
      これは艦長の意志である。丁重に葬ってやりたい」と艦内放送をして、隊員手造りの日の丸に包 み、礼砲を5発上げて
      全員敬礼のうちに
水葬が行われた。この時日本軍のゼロ戦は2機突入しており、1機は艦へ到達直前に撃ち落とさせ てお
      り、どちらの死体であったかは不明。


     戦艦オクラホマは12月7日の日本軍の真珠湾攻撃のより、4発の魚雷が命中し横転転覆した。この 攻撃で20名の士官及
     び395名の兵士が
死亡、行方不明となった。艦は大破し修理不能とされた。このメモリアルには死者・行方不明者415名
     の氏名が刻まれている。

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