ブラジルの食の探究
{ 写真はすべて私が撮影したプライベート写
真です } 河野 善福
場 所 ブラジル大使館 地下1階
主 催 日本食糧新聞社
講 師 平田 マリ 氏 (フードコーディネーター)
「サンパウロ市産まれの日系3世、ブラジル州立大学卒業、パリでフランス菓子を修
行、パリの5つ星ホテルに
勤務の後、1986年に日本に来て和菓子を勉強。ブラジル料理の研究会を開催。原宿
に料理教室がある」
「ブラジル大使館、通商部挨拶」
ブラジル料理としてはバーベキューが有名です。 ブラジルの国民は先住民族であったインディオ
や、ポルトガル、アフリカ、
イタリア、スペイン、ドイツ、ポーランド、日本など、さまざまな国の人達が住んでいます。これらの
国の人たちが多様な食材や
料理法を持ち込みました。その結果、さまざまな国の食文化が複雑に入り混じって、ブラジル料理は完
成したのです。
ブラジルには現在約200万人の日系人が住んでいます。サンパウロには日本料理店がたくさんあり
ます。
ブラジルは世界のオレンジの83%、砂糖の40%、コーヒーの25%を生産しています。 このブ
ラジルの農業発展の基礎
は日本人が作りました。 1960年代の中央部サバンナ地帯の開拓には、日本人が一番貢献しまし
た。
日本は現在ブラジルからコーヒー等の飲料のほかに、鶏肉、大豆等の穀物を大量に輸入しています。
日本の輸入量のう
ち鶏肉は95%、オレンジは90%がブラジル産です。ワインもおいしいワインが造られています。
「平田マリ氏、講演要旨」
ブラジルは1500年まではインデアンの国だったのです。彼らの主食は芋の仲間のキャサバでし
た。キャサバには毒性
の強いものがありますが、皮を剥いてしまうと分からなくなります。彼らはこの芋を水で晒して粉に
することによって、毒を
抜くことを知ったのです。 ポルトガル人が入ってきたときに、彼らはアフリカから奴隷をつれてき
たのです。 ポルトガル人
の主食はトウモロコシでしたが、奴隷となった人たちの食べ物が広く伝わりました。 ポルトガルの
王様も一時は逃げてきて
料理人も連れてきたくらいですから、ポルトガル料理も広まりました。 自分たちが食べる食材を育
てましたので、ブラジル
には食材も豊富にあるのです。
( すべて平田マリ氏が料理し、当日私たちが食べて
私が撮影した料理です )
Bolinho de bacalhau (干したらのコロッケ) Quibe (麦と牛ひき肉のお団
子)
Mandioca Frita(マンヂオカの揚げ物) Quindim (ココナッツと卵のお菓子)
Mobo de Camarao(エビとマンヂオカの煮込み) 同左 ご飯に掛けたマンヂオカの煮込み
Mousse de Cupuacu(クプアスのプリン) Bolinho de bacalhau と Quibeの盛り合わせ
試食会の会場 ブラジル大使館に感謝状
ブラジル食品のパンフレットから
リングイッサとアスパラの串揚げ リングイッサのキーマカレー
Sopa de Arverjita (グリーンスプリットのポタージュ) Arroz com Lentilhas (レンズ豆とソーセージ
の炊き込みご飯)
Mruschetta di Fagioli (白花豆のブルスケッタ) Puchero (ガルバンゾーと芋と野菜のスープ)
フェィジョアーダにキャッサバ芋の粉をご飯に掛けて Especial (豚肉のソーセージ)
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