5月第1例会スピーチ:「栃木県の隠れキリシタン」

 5月第1例会スピーチは、栃木県には隠れキリシタンは居なかったというかつての定説が覆った発見という興味深いお話でした。興味深いお話でしたので、しばらくホームページに残します。
 スピーカーは鹿沼愛隣福祉センター(身障者授産施設)所長で、鹿沼教会主任牧師を辞任して、現在は宇都宮東伝道所の協力牧師を兼務されている高崎 隆先生です。


スピーチ中の高崎先生

以下に高崎先生のお話の要約を記載します。    文責は記録者、十河

(1)高崎先生と隠れキリシタン
 日本キリスト教団栃木地区の地区長をしていたとき、教文館の日本キリスト教歴史大事典の栃木県の部分を執筆したこと、宇都宮で聖書展が開かれ、キリシタン遺品が出品されたことでした。河崎時悦氏の「仮託の祈り 切支丹石仏考」と出会い、興味を持つようになりました。河崎夫人と一緒に隠れキリシタン関連の地蔵等を探して歩きました。1996年1997年には「宇都宮YMCA親和会主催キリシタンツアー」でも会員を案内、県内を探訪しました。また川島恂二氏著「関東平和の隠れキリシタン」もあります。
(2)聖フランシスコ・ザビエルの時代
 信長の時代、宣教師が日本に来て、お寺の坊さんと話をしたとき、日本の仏教は非常に優れていて、日本にキリスト教を伝えるには仏教の勉強が必要と考えました。京都にまさる足利学校には、イエズス会の宣教師が訪れています。600年前の日本は、今以上にキリスト教が盛んでした。信長が浄土真宗に対抗してキリスト教を大切にしたこともあります。
(3)秀吉から徳川へ
 秀吉はキリシタン大名は命がけで働くので、自分にとって危ないと思いました。更に、九州でキリシタンの娘に拒まれ、これがキリシタン迫害につながりました。徳川時代は島原の乱が、キリスト教迫害につながりました。
(4)栃木県のキリシタン大名
 1597年26聖人の殉教、1598年蒲生秀行がキリシタン大名で12万石宇都宮城主、1610年細川興元キリシタン大名茂木1万石、宇都宮城主で釣り天井の話の本田正純もキリシタンであったと言われる。杉本苑子著「汚名」は、本田正純を陥れようとした徳川秀忠のスパイのでっちあげが釣り天井としている。本田正純は立派な人であったと書かれています。
(5)栃木県と隠れキリシタン
 栃木県には隠れキリシタンは居なかったと言われてきたが、隠れキリシタンゆかりの地蔵などがあることが分かってきました。河崎時悦著「石仏 十字の祈り」「石仏 仮託の祈り」等に書かれています。キリシタン大名が多かったせいかとも考えられます。
(6)隠れキリシタンの遺跡
 宇都宮から真岡にかけての鬼怒川流域に多い。
(以下の名称は河崎、川島、高崎諸先生の名付け)
 宇都宮市清住町桂林寺 マリア観音(→写真3)
 宇都宮市上篭谷 エンジェル観音
 真岡市下高間木 青面金剛(→写真1)
 真岡市西高間木 勝軍地蔵の十字錫杖
 真岡市田島   マリア地蔵(→写真2)
 真岡市根本   浸礼のマリア
 南川内町    丁頭のデウス
 真岡市荒町東光寺地内   如意輪観音
 真岡市八幡宮参道西薬師堂 マリア観音
 二宮町芳全寺 オメガ瑤珞・二重クルス地蔵
 茂木町鮎田   十字錫杖地蔵
 県立博物館   エラスムス像(レプリカ)
 茂木町能持院 細川家墓地の灯籠

以下の写真は無断転載・コピーをお断りします。

写真1 「青面金剛」左手に十字架、地名の下高間木の「高」の下半分が「田」で、隠し十字架になっている


写真2 真岡市八幡宮参道西薬師堂 マリア観音(長崎から出るものと酷似)


写真3 宇都宮市清住町桂林寺内のマリア観音は河崎さんが見付けたもの

 (この他、リストにある観音、地蔵など10枚の写真で特徴を説明いただきましたが、紙面の都合で省略します。)
 キリシタン地蔵の見分け方として、十字架の着いた杖、羽根を付けた観音、幼児イエスを抱くマリア観音、「高」の文字の下側を十字架を隠して「田」とした替え字などで判定します。川島恂二先生によるイラスト「隠れ切支丹見分け方図」で説明していただきました。
 栃木県内に約30個所見つかっている。これからも見つかるでしょう。もし見つけたら、高崎先生に連絡して下さいとのことです。

主 要 参 考 文 献

吉田小五郎 「サヴィエル」1959(昭和34)吉川弘文館
河内純徳訳 「聖フランシスコ・サビエル全書簡」1985 平凡社
J・ホイジンガー著、宮崎訳「エラスムス」1965 筑摩書房
岡田章雄 「三浦按針著作集X」1984 思文閣出版
杉本苑子 「汚名」1992 毎日新聞祉(宇都宮釣天井事件で改易となった本田正純の生涯を画いた歴史
小説)
吉田 元 『石が語る謎の群馬切支丹』(月刊“上州路”特集「上州の隠された十字架」1988 3月号
No.167)
河崎時悦 「石仏 十字の祈り」1978(昭和53) 河崎時悦
〃 「石仏 仮託の祈り」1989(平成1) 河崎時悦
〃 「仮託の祈り 切支丹石仏考」1996(平成8)宇都YMCA親和会
〃 「第2回キリシタン遺跡探訪」1997(平成9)宇都YMCA親和会
川島恂二 「関東平和の隠れキリシタン」1998(平成10) さきたま版会
片岡弥吉 「日本キリシタン殉教史」1979(昭和54)時事通信社
船渡川武四 『栃木県Tキリシタン』(「日本キリスト教歴史大事典」1988 教文館)
高 崎 隆 『栃木県Wプロテスタント』(「日本キリスト教歴史大事典」1988 教文館)

キリシタン関係年表および
   栃木のクリスチャン大名

1549(天文18)サビエル鹿児島上陸。日本宣教開始
1579(天正 7)ヴアリニヤーノ来日。信長の信任を得、教会、セミナリオ開設
1587(天正15)秀吉、宣教師(バテレン)追放令
1596(文禄 5)スペイン船サン・フェリーペ漂着 同年(慶長1)キリシタン禁制
1597(慶長 2)26聖人、長崎で殉教
1598(慶長 3)蒲生秀行、宇都宮域主(12万石)
1600(慶長5年)三浦按針(ウィリアム・アダムス)豊後漂着。彼の乗ったリーフデ号の船尾に飾られたエラスムスの木像が後、佐野の龍江院に移された。
1610(慶長15)細川興元、茂木(1万石)領主.兄細川忠興・ガラシャの子興秋(1595年受洗)を養子にする.
1612(慶長17)家康のキリシタン禁止令。岡本大入処刑、教会破壊、宣教師追放、高山右近等キリシタン大名追放、キリシタン弾圧。
1614(慶長19)秀忠、キリシタン禁教宣告文
1615(元和1)高山右近 マニラで病没
1619(元和5)秀忠、キリシタン禁令高札。京都七条河原の処刑
1622(元和 8)古河城主永井信濃守、老中に就任し、古河でキリシタン95人を処刑
1624〜43(寛永) 寛永年問、水戸藩が没収した文書に、「下野国コンドル(帯)のコンフラリア(信心会)衆中に参る」との記録あり.この文書は1618(元和4)教皇シスト5世が認め、フランシスコ会神父が持参したもの。
1628(寛永 5)踏み絵始まる
1629(寛永 6)長崎奉行(竹中) 雲仙岳の熱湯責め
1637(寛永14)
〜1638(寛永15)
島原の乱。この後バテレンと主要信徒は殆ど処刑された。
1654(承応 3)禁制高札
1658(万治1)井上筑後守、全国的探索。下野関係は、三浦志摩守領分壬生1人、奥平美作守領分宇都宮4、5人、日光領足尾多数、細川豊前守領茂木1両名宗門が出たとの記録あり。
1790(寛政 2)浦上キリシタンの受難(浦上一番崩れ)
1858(安政 5)長崎奉行、踏み絵中止宣言。ヘボンら欧米の宣教師たちが神奈川上陸。
1868(慶応 4)明治政府の浦上処分
1872(明治 5)横浜にプロテスタント教会誕生
1873(明治 6)キリシタン禁制の高札撤去、弾圧の停止。