吉田小五郎 「サヴィエル」1959(昭和34)吉川弘文館 |
河内純徳訳 「聖フランシスコ・サビエル全書簡」1985 平凡社 |
J・ホイジンガー著、宮崎訳「エラスムス」1965 筑摩書房 |
岡田章雄 「三浦按針著作集X」1984 思文閣出版 |
杉本苑子 「汚名」1992 毎日新聞祉(宇都宮釣天井事件で改易となった本田正純の生涯を画いた歴史 小説) |
吉田 元 『石が語る謎の群馬切支丹』(月刊“上州路”特集「上州の隠された十字架」1988 3月号 No.167) |
河崎時悦 「石仏 十字の祈り」1978(昭和53) 河崎時悦 |
〃 「石仏 仮託の祈り」1989(平成1) 河崎時悦 |
〃 「仮託の祈り 切支丹石仏考」1996(平成8)宇都YMCA親和会 |
〃 「第2回キリシタン遺跡探訪」1997(平成9)宇都YMCA親和会 |
川島恂二 「関東平和の隠れキリシタン」1998(平成10) さきたま版会 |
片岡弥吉 「日本キリシタン殉教史」1979(昭和54)時事通信社 |
船渡川武四 『栃木県Tキリシタン』(「日本キリスト教歴史大事典」1988 教文館) |
高 崎 隆 『栃木県Wプロテスタント』(「日本キリスト教歴史大事典」1988 教文館) |
1549(天文18) | サビエル鹿児島上陸。日本宣教開始 |
1579(天正 7) | ヴアリニヤーノ来日。信長の信任を得、教会、セミナリオ開設 |
1587(天正15) | 秀吉、宣教師(バテレン)追放令 |
1596(文禄 5) | スペイン船サン・フェリーペ漂着 同年(慶長1)キリシタン禁制 |
1597(慶長 2) | 26聖人、長崎で殉教 |
1598(慶長 3) | 蒲生秀行、宇都宮域主(12万石) |
1600(慶長5年) | 三浦按針(ウィリアム・アダムス)豊後漂着。彼の乗ったリーフデ号の船尾に飾られたエラスムスの木像が後、佐野の龍江院に移された。 |
1610(慶長15) | 細川興元、茂木(1万石)領主.兄細川忠興・ガラシャの子興秋(1595年受洗)を養子にする. |
1612(慶長17) | 家康のキリシタン禁止令。岡本大入処刑、教会破壊、宣教師追放、高山右近等キリシタン大名追放、キリシタン弾圧。 |
1614(慶長19) | 秀忠、キリシタン禁教宣告文 |
1615(元和1) | 高山右近 マニラで病没 |
1619(元和5) | 秀忠、キリシタン禁令高札。京都七条河原の処刑 |
1622(元和 8) | 古河城主永井信濃守、老中に就任し、古河でキリシタン95人を処刑 |
1624〜43(寛永) | 寛永年問、水戸藩が没収した文書に、「下野国コンドル(帯)のコンフラリア(信心会)衆中に参る」との記録あり.この文書は1618(元和4)教皇シスト5世が認め、フランシスコ会神父が持参したもの。 |
1628(寛永 5) | 踏み絵始まる |
1629(寛永 6) | 長崎奉行(竹中) 雲仙岳の熱湯責め |
1637(寛永14) 〜1638(寛永15) | 島原の乱。この後バテレンと主要信徒は殆ど処刑された。 |
1654(承応 3) | 禁制高札 |
1658(万治1) | 井上筑後守、全国的探索。下野関係は、三浦志摩守領分壬生1人、奥平美作守領分宇都宮4、5人、日光領足尾多数、細川豊前守領茂木1両名宗門が出たとの記録あり。 |
1790(寛政 2) | 浦上キリシタンの受難(浦上一番崩れ) |
1858(安政 5) | 長崎奉行、踏み絵中止宣言。ヘボンら欧米の宣教師たちが神奈川上陸。 |
1868(慶応 4) | 明治政府の浦上処分 |
1872(明治 5) | 横浜にプロテスタント教会誕生 |
1873(明治 6) | キリシタン禁制の高札撤去、弾圧の停止。 |