最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

スマホで撮影した月

5/28/2016/SAT

上を向いて歩こう、佐藤剛、岩波書店、2011


上を向いて歩こう

日本橋三越で見た『昭和のスターとアイドル展』で「上を向いて歩こう」が初演されたときの楽譜が展示されていた。「上を向いて歩こう」について調べていて、この歌にまつわる秘話をまとめた本があることを知り、読みはじめた。

『上を向いて歩こう』が全米一位になったのは偶然の賜物と思っていた。

そうではなかった。六、八、九の3人はもちろんのこと、多くの人がこの歌を世界中で売り出そうとしていた。そして、その計画はアメリカで見事に成功した。

音楽ビジネス、というと何か胡散臭いものと思いがちであるけれども、「いいもの」を世に出したい、という心意気を目に見える計画に作り、戦略を立て、実行する。

ポップスとは、そういうものと思い直した。

それは、ただ売れればいい、ということとは違う。みんなが聴きたい歌をつくること、皆が歌いたくなる歌をつくること、そして、いつまでも愛される歌をつくること。作詞の名職人、松本隆はポップ.ミュージックは「不易流行」であるもの、と言う

永六輔が書いた歌詞が「悲しみ」を歌った「哀歌」(エレジー)であること、坂本九の明るい歌い方が楽曲に深みを与えていること、若い世代は忌野清志郎が歌う「上を向いて歩こう」から知る人が多いこと、など、なるほどと思う指摘が多い。

「日本の有名なロックンロール」という清志郎がいつも言う曲紹介も、間違っていないことを知った。「上を向いて歩こう」は、歌い出しからロックだった。


本書は全米一位という大成功の経緯を、さまざまな資料を駆使しながら明らかにして、「上を向いて歩こう」を世界のポップ・ミュージック史のなかに浮かび上がらせる。

実際、いろいろなところから資料を集めている。関係者へのインタビューのほかにも、ブログの記述からラジオ番組での発言まで、ありとあらゆるところからこの作品に関する言葉を集めている。

インターネットがメディアの中心になっている現代では、とりわけ歌謡曲のような大衆文化や、現代人の生活感を対象にする社会学の専門的な研究書では、SNSなども資料として活用する時代になっているのだろう。

石原吉郎のエッセイからも引用がある。

   本当の悲しみは、それが悲しみであるにもかかわらず、僕らにひとつの力を与える。僕らがひとつの意志をもって、ひとつの悲しみをはげしく悲しむとき、悲しみは僕に不思議なよろこびを与える。人生とはそうでなくてはならないものだ。
   (「望郷と海」『石原吉郎詩文集』

本書には、中村八大が麻薬中毒だったことなど、これまで知らなかったエピソードが数多く書かれている。読みながら驚きの連続だった。一番驚いたことは、友人が書いた本が引照されていたこと。

学生の頃から音楽について書くことがうまかったけれど、今や第一線の音楽ライター。不遜な言い方だけど、立派になったなぁ、と思わずつぶやいた。

彼と最後に会ったのは2009年5月のこと。年賀状は交わしていても、もう5年も会ってない。すこし前に近くまで行ったので、彼の仕事場へふらりと寄ってみたところ。取材で外出中だった。

仕事を見つけたら、訪ねてみる。


5/30/2016/MON、蛇足の追記。

「上を向いて歩こう」を販売したのは東芝、米国ではEMI。

「上を向いて歩こう」を80年代に蘇らせたのは、忌野清志郎。

その清志郎が歌った「サマータイム・ブルース」を原子炉を製造する親会社に忖度して販売を見送ったのも東芝EMI。


写真はスマホで撮影した月。

さくいん:永六輔